呟き

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金砕棒(とある農民)

金砕棒-4

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 突然の参加者にその場にいた全員が驚きの表情を浮かべる。大男達の幾人かが一瞬動こうとするが入ってきた人物を見て躊躇したように動きを止めた。

「定満殿?」

 実綱が微妙な視線を定満へと向ける。それは景虎も同様であった。

「定満殿? 突然入ってくるのは無礼ではないか? それもそうだがお主はあれだけ善吉を怒鳴りつけていたではないか。
 嫌っておるのではないのか?」

 二人の視線と問いに、定満は微妙な表情を浮かべる。

 「まあ良い。
 で、この長尾家の中でも武の頂点である定満が善吉を預かっていかがいたす?」

 景虎の問いに定満は一言。

 「それは当然武人として鍛え【駄目だな】、え……?」

 定満が自らの考えを述べている途中で景虎が口を挟む。
 本来の景虎には無い言い方だ。いつもは最後まで意見を聞いてそれから返す景虎であるが、今回は即答であった。
 そして直江実綱も定満を見つめながら頷いている。

 「な、何故ですじゃ?」

 定満の問いに景虎は善吉を見ながら答えた。

 「それはな、善吉にその気がないからだな」

 景虎の言葉に定満の視線が善吉に向く。視線を受け、善吉は大きな身体を縮み込ませた。その様子を見た定満は身体を震わせながら大声を上げる。

 「ぬしは、主はまたそのように縮こまるか!」

 大音声に善吉は更に身を縮める。

 「はあ、定満殿。 それよ、それ。
 何故我々が反対するかわかるか? 人には向き、不向きというものがある。 
 儂は先ほど善吉に儂に仕えぬかと言った。その返事は【人殺しは無理です、怖い】であった。まあ、儂は武人としてだけではなく色々とやらせてみようと思って声をかけたのじゃがな。儂も最初は武人として留めようと思ったが、まずは善吉に色々とやらせてみてから決めようと思う。
だから、定満殿の武人として鍛えると一方的に決めつけるのは駄目だと言ったのだ。
それにな、怯えながらやっても強くはならぬし、怪我の元だ
それと、お主の善吉と会ってからの行動。
善吉は農民よ。 言葉使い、度胸、どれも我々とは別のものだと何故気づかぬ?
それを大声で怒鳴り威嚇、もう少し考えてやれ」

 景虎の言葉に定満は納得できない表情を浮かべる。

 「まあ、そういうことだ、定満殿。 儂も別に武人として来ぬかと誘った訳ではない。 善吉は何か不思議なところがある。 何かの刺激にでもなれば良いと思っていただけじゃよ。
 当然、善吉がやはり農民が良いというならば、それはそれで良いのだ」

 二人の言葉に定満は不満顔で三人を見回す。 そして【ふん!】と大きく鼻息を吹いた。

 「分かり申した。 こちらからこの者の声をかけるのは止めましょう」

 定満は善吉に視線を向ける。

 「惜しいの、その体躯、剛力。 強ければあのような事も何とかなったものをの!」

 「定満っ! それはっ!」

 定満の言葉に景虎が吼える。 その言葉に善吉は顔色を真っ白にし、実綱も定満に非難の目を向けた。

 「突然間に入り申し訳ございませぬ。 では、御免!」

 それだけ言うと定満はそのまま部屋を出て行った。

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 「すまん、善吉」

 景虎が善吉に頭を下げる。その様子に実綱が驚きの表情を浮かべた。部屋の四方へ陣取っている大男達も表情をこわばらせている。

 「そ、そんな、頭をお上げください。 私は農民です、景虎様に頭を下げていただく事では……」

 善吉は何故景虎が頭を下げるのかが分からず、思わず声をかけていた。

 「儂の部下だ。 そして農民などは関係ない。 不快にさせたら身分などは関係無しで頭を下げるのは当然であろう?」

 景虎の言葉に実綱が同意をするように頷く。その二人をおろおろとしたように見る善吉。

 「で、だ。 
 先程定満に言ったのだが、どうじゃ、戦場いくさばに出よとは言わぬ。うちで何かやってみる気はないか?
 当然ここに魅力を感じないのであれば、そちの村にいた女子達と同じ場所へ移動してくれてもよい。 まあ、全員が同じ場所というわけにもいかぬがな。
 ああ、すぐに結論を出す必要はないぞ。 まだ疲れが残っておるだろうから暫くはゆっくりと休むがよい。
 村の女子達も今後、我が居城である春日山に一度入ってもらいしばらく滞在してもらうつもりだ。 移住する村々との調整もあるからな。
 そうだな……、善吉は春日山に着くまでに答えをくれないか? 大体十日ほどだ。当然その前に考えが纏まれば儂の所に言いに来てくれ。
 善吉はこの屋敷の中に部屋を用意するでな。 それと、この大長刀はどうする? 善吉の取り分だが? 持っておくか? それとも金に換えるか?」

 善吉は大長刀を見て首を振る。

 「それは……、出来れば買い取っていただければ……。 村の女子衆に分けてあげたいです。 村にいたら金なんか持っていません。 別の場所に住むには何かと揃える必要があるかと思いますので」

 景虎は善吉の言葉に頷いていた。

 「良いな、その考え方。
 そうだな、他の野伏の武具なども持ってきてあるから、それも纏めて金に換えて渡そう。 実綱、取り計らってくれ」

 実綱は景虎の言葉に頷く。

 「では陣幕へと案内させよう。 食事は善吉が入る陣幕へと運ばせる」

 景虎が手を叩くと陣幕の中に一人の女が入ってくる。

 「この者の名はお辰。 儂の元にいる間はこの者に色々と聞いてくれ。
 お辰、この者は善吉という。 しばらくうちに滞在するので世話を頼む。とりあえずは陣幕へと案内し……、まずは湯で身体を拭けるように取り計らってくれ。
儂は評定があるでの。
明日からはまた行軍だ。 ゆるりと休めよ」

 そう言うと景虎は実綱と一緒に立ち上がり大男たちと共に去っていった。
善吉はその後ろ姿に慌てて頭を下げるのであった。

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 「お辰だよ、よろしく。
しかしまあ、あれだけ御屋形様に気に入られたものだね」

 頭を下げ続けている善吉に声がかかった。先ほど紹介されたお辰という女からだ。善吉は慌てて顔を上げもう一度一礼する。

 「善吉です、何も知りません。 よろしくお願いいたします」

 善吉の畏まった、緊張した様子にお辰は大きな笑い声をあげた。

 「あはははは、何畏まっているんだい。 あたしは偉い訳ではないただの飯炊き女だよ。まぁ、いささか歳は喰っているけどね」

 ふわりと女性独特の匂いが善吉の鼻をくすぐる。顔を上げた善吉のすぐ目の前にお辰の顔があった。
 お辰は年のころは二十を超え三十に届くくらいであろうか。 それでも村の同じくらいの女たちに比べ若々しく見える。
 身体つきは村の女達に比べると華奢だ。それが善吉には新鮮だった。思わず見つめてしまったほどだ。

 「なんだい? あたしの顔に何かついているかい?
あ~、さては惚れたかね?」

 お辰はくすくすと笑いながら善吉の手を取った。

 「さあ、取り合えず陣幕に案内するよ。
っと、申し訳ないけどその棒は自分で持ってきておくれ。 私じゃ持ち上がりそうもないからね」

 そう言って指を指したのは善吉の横に置かれていた金砕棒だ。
早くおいでと手招きするお辰に善吉は、立ち上がり金砕棒を抱えて付いていくのであった。

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 「さあ、ここがあんたが寝泊まりする場所だよ」

 善吉が案内されたのは十畳ほどの陣幕であった。それは善吉が今まで住んでいた家とほぼ同じ広さである。

 「普通侍大将だってこんなところでは休めないよ。 折角だから楽しみなさい。
私たちなんか雑魚寝だからね」

 お辰は善吉を陣幕の中へ押し込むと適当なところに毛皮を敷く。

「暫くそこに座ってなよ。 あたしは湯を持ってくるからさ。
それと……、その棒はどうしようかねぇ。 あんたの得物なんだろう? 何か敷くものでも持ってくるよ」

 陣幕に押し込まれた善吉は、金砕棒を持ったまま陣幕の中を見回していた。戦場の陣幕の中なので特に何かがあるわけではないがこれだけの広さを一人で独占しているのである。
その広い空間の中で善吉は先ほど景虎達と話した時のことを考えながら暫くぼぅっと立っていた。

(なんか大変なところへ来てしまったなぁ。 本当に景虎様? は俺に何をさせたいんだろう?)


どれくらい経っただろうか、数人が入ってきた。

 「あら、善吉? あんたまさかずっと立っていたのかい?」

 陣幕に入ってきたお辰と数名の女たちが不思議そうな視線を善吉に向ける。善吉はどう答えて良いものかという表情を浮かべていた。
 その間にも女たちが湯の入った桶を陣幕の隅に運び込み、さらに先ほどの毛皮とは別の敷物を敷く。

 「あんたのその棒、その布の上に置いておきな。
しかしまぁ、なんて得物だい? こんな禍々しい得物見たことがないね」

 湯と布を持ってきた女たちは用事が済むとすぐに陣幕から出ていき、後には善吉とお辰だけが中に残った。

 「さあ、脱ぎな!」

 突然お辰の口から出た言葉に善吉は呆然とする。

 「ん? なんだい? 別に何かしようというわけではないよ? はは~ん、善吉~」

 にやにやと笑うお辰。
善吉はそのお辰の表情から逃げるように視線を背ける。

 「ほれっ、さっさと脱ぎなよ。 身体を拭いてあげられないだろ?」

 そう言いながらもお辰の口元はふるふると震えていた。

 「だ、大丈夫です! 自分で出来ます!」

 善吉、必至である。 その必死な様子にお辰はからからと笑う。

 「はいはい、じゃあ外に出てるよ。 身体を拭き終わったら声を掛けなよ。 食事を持ってくるからさ」

 手を軽く振り陣幕から出てゆくお辰。その後ろ姿を見つめながら善吉は大きく溜息を吐くのであった。

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 「あんまりからかってやるな」

 陣幕を出たお辰に暗闇から声がかかる。

 「あ、これは実綱様」

 お辰は暗闇の中の人物、直江実綱の方へ向き片膝を付く。

 「良い。 すまぬな、うちでも最上位の草であるお主にこのような子守を頼んでしまって」

 「いえ、楽しんでおりますので……」

 善吉が華奢と思ったのは大きな間違いであった。その実、鍛え上げられた肉体は極限まで引き締めらているのだ。
 お辰は長尾家の中でも上位の草だ。 今回の戦に同行していたのは対真田の指揮を執るためである。 当然表の相手ではなく裏の方面でだが。

 「そうか、景虎様の気まぐれではあるがそれを良しとせぬ者が多いのでな。 何かのきっかけで斬ろうとする者がおるやも知れぬ。
くれぐれも頼む」

 「承知致しました」

 すぐに暗闇から実綱の気配が消える。ゆっくりと立ち上がったお辰は陣幕の入口へと佇むのであった。

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 「では、各々方、春日山へと帰ろうぞ!」

 景虎の号令の下、黒いものが蠢きだした。 善吉は馬を与えられている。 当然宇佐美の背ではなく、一人で乗っている。
 もっとも善吉は馬を操ることができないのでお辰が馬を引いているのだが。
その後ろには生き残った村の女、子供たちが連なっていた。

 「善吉、出世したねぇ」

 馬の横を歩く女、善吉に決断を促した春が下から声をかける。善吉は微妙な表情で春を見つめ返す。

 「勘弁してくださいよ」

 困ったような善吉の返事に村の者たちが笑う。

 「とりあえず今後のことは聞いたよ。 あんたはどうするんだい?」

 春が善吉に問う。
善吉は春の言葉にゆっくりと前を向く。善吉の視線の先には山のように蠢く人がいた。

 「まだ、どうしようかと思っています。 俺は臆病なんで。 それは春さんがよく知ってますよね」

 「あー、まあね。 ただねぇ、こんな出会いはもう無いと思うんだよね」

 二人の間に静かな時間が流れる。その空気を感じたのか笑っていた村の者たちも徐々に無言になってゆく。
暫くして善吉が口を開く。

 「まあ、まだ時間がありますから……」

 善吉の曖昧な返事に微妙な表情を浮かべた春は馬を引くお辰を見る。

 「善吉、折角生き残ったんだ、後悔はしないようにね」

 春の呟きのような言葉を善吉は頭の中に刻み込むのであった。
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