呟き

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金砕棒(とある農民)

金砕棒-9

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 ばがんっ

 木を打ち付けたとは思えない程の音が修練場へ響く。中央では恵まれた体躯たいくを誇る善吉をさらに超える巨躯きょくの男が体勢を崩しそのまま倒れ込んでいた。

 「そ、それまでっ!」

 力士隊の侍大将が二人の間に割って入る。修練場の周りには十数名の力士隊の者達が肩を揺らし座り込んだまま二人の戦いを見ていた。

 「善吉、力だけ・・・は凄まじいのぅ」

 景虎が一段高いところから声を掛ける。
 この日は現在の善吉がどの程度動けるかを見るための訓練日だ。朝から二刻、善吉は十数名を相手にし、勝ちを手にしていた。
 もっとも善吉と善吉と手合わせした者すべてが力業しか使わなかったのは、何というかまあ、そのようなものだ。

 「しかしまあ、こう、技量というものは無いのかの」

 景虎の横に控えていた直江実綱なおえさねつねがぼそりと呟くと、力士隊の面々は様々な方角へと顔を逸らした。

 「良いではないか。 
それでも問題なく功を立てておるのだ、問題はあるまいて。 まあ、武将などとり合うと黄泉よみへと旅立つことになるであろうがな」

 何気ない一言に修練場のかたわらでへたれ込んでいた力士隊の面々が思わず立ち上がる。
善吉は軽く呼吸を弾ませながらも、自らの得物である金砕棒かなさいぼうを掴んで素振りを始めた。

 「しかし困ったのぅ。 これでは善吉の相手を出来る者がおらぬな。 
正直、儂も嫌じゃな」

 景虎は傍にいる実綱へと視線を向ける。実綱はそっと視線を逸らした。

 「ほぅ、あのへたれがまだったのか」

 突然響いたしわがれ声に修練場にいた全ての者の視線が向く。そこには善吉が久しぶりに見た者が七尺ほどの槍を持って立っていた。

 「宇佐美うさみ……、様?」

 久しぶりに会った宇佐美はやはりいかつい。表情も険しい。

 「おお、宇佐美」

 景虎が宇佐美に声を掛ける。

 「定例のご報告に参りました、景虎様。 
しかしまあ、まだこの者を飼っておいででしたか?」

 さげすんだ目で善吉を見る宇佐美に対し、彦二と彦三が怒りを露わに近づこうとする。
 それを善吉が手を上げ、制す。

 「ご無沙汰しております、宇佐美様」

 言葉と視線で蔑まれながらも善吉は丁寧に挨拶をした。

 「……ほぅ、ちぃとは農民からましになったか?」

 「はい、景虎様にがくを学ばせていただいております。 今回は少々事情がございまして武を教えていただける方を探しております」

 宇佐美の表情が更に険しくなる。

 「おお、聞いておるわ。 また、大切な者を守ることが出来なかったらしいの。
どうじゃ、儂の言ったとおりであっただろう?」

 口元を歪めて言う宇佐美に善吉は無表情で対面する。

 「さようでございます。あの時宇佐美様の言われたことが正しかったと痛感致しました。 自分の不甲斐なさを思い知りましたのでこうして皆様方に稽古を付けていただいています」

 「まあ、無駄じゃの。 稽古は所詮稽古よ。 
 先程から見ておったが棒っ切れでは……な。それに戦場いくさばではこのように正々堂々正面からは誰も戦ってはくれぬわ。奇襲、騙し討ち、隙あらば何でもしてくる者達だらけだ。それは卑怯ではない。生き残る術だ。お主も体験したであろう?
ぬるいのじゃよ。そのようなぬるさがあのような結果を生むのじゃ」

 宇佐美はそこまで言うと景虎に挨拶し去ろうとする。



 「ふんぬっ」

 突然振り向いた宇佐美は手にした槍で打ち下ろされた金砕棒を逸らす。勢いを逸らされた金砕棒は地へと向かうが、善吉の踏み込みと身体の回転に合わせ再度、宇佐美の頭へと襲い掛かった。

 「まぁだぬるいわっ!」

 「善吉っ!」

 「大将っ!」

 様々な者から叫びが上がるが善吉はお構いなしに金砕棒を振るう。その暴風のような鉄の嵐を宇佐美はいなし、かわし、弾く。
 一合
 二合
 十合
  …
 二十を超えたころ宇佐美の持つ槍が悲鳴を上げる。

 「なんと、なんと。 やはり儂が目を付けただけはあるわっ。 腑抜ふぬけておると思っていたが中々のものじゃ」

 鈍い音と共に宇佐美の持つ槍が半ばから折れ、宇佐美のがっしりとした体躯が地に這う。善吉は宇佐美を見下ろす形になり、そのまま金砕棒を頭上に構えた。

 「善吉、めぃ!」

 景虎が叫ぶが善吉は聞こえない。半歩踏み込むと手に持った金砕棒を振り下ろした。
甲高い音が響く。
善吉と宇佐美の間に二振りの太刀が交差する。

 「いい加減にせい」

 景虎と実綱が善吉の横へ居た。
 次の瞬間善吉の脇腹に痛みが走り、善吉の身体は真下へと崩れ落ちる。痛みと痺れを身体に感じながら二人を見上げた善吉を実綱が見下みおろす。

 「二人とも少し頭を冷やせ。 彦二、彦三、善吉を連れて行け!」

 実綱の言葉に彦二と彦三が慌てて善吉へと駆け寄り抱き起す。
連れていかれる善吉の背に宇佐美が声を掛けた。

 「七夜ななやじゃ、七夜おきにここへ来い。 再戦じゃあ」

 善吉は宇佐美の方へ頭を向けると黙って首を縦に振り自らの住む屋敷へと連れていかれるのであった。

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 「定満さだみつっ! 何故善吉をあおった!」

 あの後鍛錬場へ残っていた景虎、実綱、そして宇佐美定満は三人で評定ひょうじょうを行う部屋へと移動していた。
 それぞれが腰を落ち着けた瞬間、景虎の怒鳴り声が響く。実綱も声には出さないが非難の視線を向けている。

 「あの手の男はあおったほうが伸びますぞ」

 定満は飄々ひょうひょうとした顔で答える。

 「結果はこの通りですじゃ」

 景虎と実綱の前に定満が右腕を差し出す。

 「む……う」

 「これはまた……」

 差し出された定満の腕の惨状さんじょうに二人は言葉を詰まらせた。
定満の右腕は半ばが紫色に変色し、一部分が倍以上に膨れ上がっている。

 「早めに帰って木を当てねば流石に不味いですじゃ」

 笑いながら定満はすぐに腕をしまう。

 「しかしな、善吉は危ういぞ」

 「まあ、確かに冷静さを失った者は戦場では早死に致しますからのぅ。
それに臆病者は長生きできますが、投げやりな者には死が寄ってくるものですじゃ」

 「分かっているのならば何故に?」

 「まずは、己を知るべきじゃ。 そしてそれ以外は時間が教えてくれる。 
儂はそうして憶えてきたものですじゃ」

 「もし憶える前に何かあったらどう致す?」

 景虎が不審そうな視線を送る。

 「その時は……、まあ運がなかったということですじゃ」

 定満の答えに景虎と実綱は心の中で頭を抱えた。

 「まあ、なんにせよ七夜ごとに立ち会いましょうぞ。 ちっとはましになると思いますなぁ」

 定満はそれだけ言うと腕を継ぐと言い景虎の前をした。

 「……実綱、技以外はぬしに任せても良いか?」

 景虎の問いに実綱は溜息をつき頷いた。

 「そうですな、そう致しましょう。 どのみちお辰の件もございますから纏めて面倒を見ることに致しましょう」

 実綱の答えに景虎は【頼む】と一言だけ言い曲がった太刀・・・・・・に視線を向けるのであった。

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 「善吉、あれはどうなの?」

 離れに戻った善吉にお辰が問いかける。

 「不意打ちを仕掛けた事?」

 善吉は宇佐美の言葉に従っただけという抗議の視線を向ける。

 「不意打ち? そんなもの当たり前です! 問題なのは冷静さを失っていたことです」

 お辰の言葉に善吉は最後の辺りで自我を失っていたことを思い出していた。

 「あー、あの時は……」

 状況を思い出したのか善吉は恥ずかしそうに頭を掻く。

 「いや、あのまま押し切って勝てそうだったから……」

 善吉のしどろもどろな言い訳にお辰は額を押さえて溜息をついた。

 「あのねぇ、だんなさま? 宇佐美さまが手を抜いておられたことにお気づきでない?」

 「? ……手を、……抜いていた?」

 自分は全力で行き、宇佐美を地に這わせることが出来た。それもほとんど相手に攻めさせることなくだ。たとえそれが不意打ちであったとしても長尾家四天王の一人に圧勝した。それが今の善吉の頭を麻痺させていたのだ。

 「旦那様。 宇佐美様はあなたさまを倒すのは簡単だったのですよ? 分かっておられますか? ただ単に力任せに棒っ切れを振り回しただけで武将を打ち取れるとでも思っておられましたか?
 駄目ですねぇ」

 お辰の言葉に善吉は宇佐美の手の上で踊らされていたことを知り肩を落とす。

 「まあ、あのあおりは旦那様にとっては辛かったでしょうし、いただけなかったですが……、わたしも殴りたいくらいでしたしね。
それは置いておくとしても、旦那様は武を学びたいのでございましょう? 戦場いくさばに出て一番必要なことは常に冷静であることです。冷静な判断を下せない者は戦場いくさばではすぐ死にます。
今回の宇佐美様は、多分ではございますが旦那様の力を十全じゅうぜんに引き出すための所業しょぎょうだと私は思っております。
次回は冷静な対応をしてください。


……旦那様が死ぬのは嫌です」

 次第に涙目になってゆくお辰の顔を見た善吉は、夫婦となり本当に守るべき者が出来た事を痛感していた。

 「ごめんよ、お辰。 以後気を付ける。 
今後とも自分に足りない物を教えてほしい」

 善吉の言葉にお辰は笑顔を浮かべ善吉へ抱きつくのであった。
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