時雨太夫 続・東海道編

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府中の宿

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 ふぁぁぁぁぁぁぁ

「おふぁよう」

 時雨が朝食を取り、後に起きたとき既に昼八つ(午後二時頃)を過ぎていた。部屋の隅では畳んだ蒲団に寄りかかるように小吉が眠っている。小吉の口の端から垂れる涎を時雨はそっと拭ってやった。その小吉の手には二枚の瓦版が握られている。時雨は小吉が起きないようにそっと手の中から瓦版を引き抜いた。その内容にさっと目を通す。

【昨夜暁八つから明け六つ(午前二時~午前六時)にかけて、府中の宿で残酷な殺しが発生。一人以外は一刀で殺されている。殺された者の姿もまた怪しく、覆面をして全身を同じ衣で覆っていた。顔は焼かれ、全員が男としか判断できなかったという。最後に殺された者は両手を斬り落とされ拷問をされた形跡があり、それはむごたらしい死に方だった。目下、全力でお役人様が犯人を捜している。目撃情報は以下へとのこと】

 あぁ、なんか大事になっている。時雨は瓦版を見ながらやれやれと小吉の寝顔を見た。今年で十五になって大人の仲間入りを果たしたとはいえ、まだまだ幼い顔だ。本人が望んだことだが本当にこのまま巻き込んでよいのか考えながら、時雨は小吉の顔を撫でもう一枚の方へ目を通した。

【府中で五つ目の道場破り発生。 夕七つ(午後四時頃)に現れる狐の覆面の者、すでに有名剣術道場五つ目を破る。剣術道場の主達は戦々恐々。何しろ打撃が効かないという話もある。道場主達の言い訳か……】

 時雨はふにゃっと頬を緩めながら目を通した。正直自分の記事よりこちらの道場破りの方が遙かに面白い。
 ここ府中の宿は東海道の宿の中で最大の規模を誇る。生活する人は二十万を越え、通り過ぎるだけの人はその半分にもなった。府中は駿府城の下にある城下町で、家康公の隠居先でもあった。将軍職を秀忠公に譲った家康公は九年間この駿府城で過ごし、寛永九年には江戸幕府の天領となった。

 ぐるるっるるるるる~

 時雨の腹が鳴る。明けにあれだけ暴れ、朝食を取ってすぐに時雨は寝て、既に昼八つ(午後一時~三時頃)を過ぎ腹が減っていた。ふにゃふにゃと眠る小吉の身体をゆっくりと揺り動かす。

……起きない。

時雨は少し強めに揺さぶっていた。

「んぁ、寝てた……? 時雨姉、今何時?」

 小吉は口元を手の甲で拭いながらその後目を擦っている。小吉の腹も盛大に鳴った。

「おはよう。今は昼八つくらいだよ」

 時雨は小吉が起き出すのを見て立ち上がり、浴衣から着流しへと着替えだした。時雨の巨大だが均整のとれた身体が小吉の目に映る。思わず小吉はその光景に見とれていた。すぐに思い直したように身体ごと後ろを向き、着替え始めた。

「ねぇ小吉。瓦版……どう思った?」

 時雨は着替えながら小吉に話しかける。少し時間が経ち小吉から返事があった。その声は微妙に震えており、時雨は[何か変なことでも聞いたかな?]と思っていた。

「殺しの件は……特に。道場破りは時雨姉とは関係がないからどうでもいいかな? それよりもおなか減った」

 小吉はそう答え着替えを済ませ立ち上がった。一応手には刀を握っている。時雨は小吉の手元を見ながら着替えを済ませる。

「ん、何か食べに行こう。ついでに府中も見て回ろうか? そう言えば小吉、お小遣いあげたっけ?」

 時雨は小吉にお金を渡したかどうかを聞く。小吉は以前、情報料としてかなりの額の金を貰っていた。もっとも時雨に連れ去られたときに勤めていた薬種問屋やくしゅどいやに全て置いてきてしまったのだが。小吉はその事を時雨に話した。時雨は少し頭を抱え、荷物の中から小吉に二差五百文の銭貨を渡す。ずっしりと重いそれは小吉の手の平には収まりきれなかった。

「とりあえずそれで買い物とかをしてね。別に遠慮する必要なんかないから。なくなったらまた言って」

 時雨はそれだけ言うと荷物の中から二枚の小判を取りだした。両替に行くようだ。
 正直小判で支払えるところはない。江戸でも高級料亭八百善やおぜんや吉原で太夫を買う、あとは刀剣、骨董、釣竿、盆栽、家屋などを買う時くらいだ。しかも一般の町民は一生目にすることすらない。

「時雨姉、一緒に行こう」
「あー、もしかして迷子が怖いのかな?」

 小吉の誘いに時雨がにんまりと笑う。小吉は言い返せずに黙ってしまった。どの道時雨は小吉と行動するつもりだった。いつ松風家の刺客が現れるかわからないからだ。

「そうだねぇ、この府中で迷子になられたら探すのに苦労しそうだからね。いいよ、一緒に行こう。掏摸すりには気をつけなよ。まずは両替屋を探そう。それからご飯」

 時雨と小吉は金と荷物を持って旅籠を後にした。府中は賑わっている。様々な物売りが声を張り上げて物を売っている。二人は様々な店を見ながら両替屋を探す。そこである商売の前で立ち止まった。

「さあさあ、拙者に挑戦する者はいないか? 一回四十文、ここにある袋竹刀で拙者に一太刀触れればこの小判はその者のものだ! 降参するまでどれだけでも時間はかかっても良いぞ。拙者は斬りかからん!」

浪人……とまでは言わないが身なりの貧しい侍が民を煽って勝負を挑んでいる。

「当たったからって無礼打ちなんかにしねぇよな!」

 見物客の中の一人が大声を上げる。

「無論! 金を貰っているから当然じゃ。さあさあどなたかおらぬか!」

 浪人の言葉に一人の男が地面に置かれた箱に四十文を投げ入れる。その男は身の丈六尺を越え、横も二尺はあるがっちりとした浪人風の人物だ。男は袋竹刀を受け取ると青眼に構える。周りで見ていた町人たちも一瞬静かになった。

「いぇぇぇぇぃ!」

 浪人に最初の挑戦者が斬りかかった。ぶおんという袋竹刀が風を斬る音が響く。速度も悪くはない。が、それだけだ。

「ん~、あれじゃあ駄目だね。小吉、よく見ときなよ。あの浪人の足元……」

 体格の良い挑戦者は次々と斬りかかるが浪人は涼しい顔で袋竹刀を避けている。唐竹には体を半身にし、横薙ぎは浅ければ上体を反らし、深ければしゃがむ。その攻防は暫く続き、遂に体格の良い挑戦者は汗まみれで地面に手をついた。

 「もう終わりですかな?」

 浪人は汗一つかかず挑戦者を見下ろしている。挑戦者は手をぎゅっと握りしめ浪人を睨んでいた。

「小吉、分かっ……」

 時雨が小吉に話しかけたとき、挑戦者の手が浪人に向けて突き出された。手のひらから浪人の顔をめがけ砂が飛ぶ。

「あっ!」

 周りを囲んでいた見物人達から一斉に声が上がる。その間に挑戦者は袋竹刀を持ち浪人へ斬りかかっていた。しかし浪人は左手の袖で顔を覆い砂を避ける。そして袈裟に斬りかかってきた挑戦者の手首を右手で掴んでいた。

 「が……、いてぇ!」

 挑戦者の男の手から袋竹刀が落ちる。浪人に掴まれた挑戦者の手首から[みちみち]という音が周囲に聞こえ始めた。それは徐々に大きくなり、遂に[みちゃ]という音とともに挑戦者の手首がだらりと垂れ下がる。挑戦者の額には大粒の汗が滝のように流れ、最後の音とともに猿の鳴き声のような絶叫が辺りに響き渡った。
 その声と同時に浪人は挑戦者の手を離す。顔には不味いという表情が浮かんでいる。挑戦者はその場に崩れ落ち、声にならない叫び声をあげていた。唖然として見守る見物人の中から徐々に小さな拍手が湧き上がる。

 「おぅ、浪人さん。すごい力だな」
 「そこのでか物、恥を知れ!」

 地面に転がり手首を押えている挑戦者に容赦ない罵声が浴びせられる。男は罵声を浴びながら砕かれた左手を押え急ぎ足でその場を去って行った。どうやら見物人たちは挑戦者を卑怯だととらえたようだ。見物人から浪人の足元にある箱へ次々と銭が投げ入れられる。
 見物人たちが浪人の前を去ると、足元の箱には時雨たちが見たときの十倍近い銭が入っていた。1文銭が殆どだが中には豆板銀まめいたぎんも見える。

「ねぇ、時雨姉。あれは卑怯でも恥でもないよね?」

 小吉は手首を砕かれた挑戦者のことを言っているようだ。時雨は小吉の頭をぽんぽんと叩き[あれも手段だ]とだけ言う。目の前の浪人は見物人が姿を消したので目の前にある箱を回収し立ち去ろうとしていた。

「浪人さん、この子の相手をしてやってくれないかい?」

 突然の時雨の提案に小吉は不安そうな顔で思わず時雨を見上げていた。立ち去ろうとしていた浪人は時雨のほうに視線を向け、すぐに小吉の方へ視線を向ける。女の方は不思議な雰囲気を纏っており正直断り辛い。小僧は……、小僧だった。

浪人は暫く考え[にっ]と笑って回収した箱を地面に置いた。

「姉さん、良いのか? 一両がかかっているから手加減無しで避けるが?」

 浪人の問いに時雨は一分判を一枚箱の中に投げ込んだ。浪人は目を丸くする。一分判は文銭に直すと千文になる。それが子供の相手の対価として投げ込まれたのだ。浪人にしてみれば数日以上の稼ぎになる。しかも先ほど挑戦者の手首を砕いたせいで暫く挑戦者は現れないだろう。
 浪人は時雨に一礼し袋竹刀を小吉へ差しだした。小吉は時雨の顔と投げ入れられた一分判を交互に見てから黙って袋竹刀を受け取った。

「兄さん、適当に反撃をしてやってくれないかぃ?」

 浪人は時雨の顔を見つめ、意図を理解したのかそっと頷いた。

「……小僧、かかってこい」

 浪人が構えをとる。先程までとは打って変わった気配に変わる。青眼に構えていた小吉は思わず後ずさった。

「小吉、さっき見ていたことを思い出すんだよ。ちゃんと視ていたら、もしかしたら触れられるかもしれないからね」

 時雨の言葉に小吉は先ほどの浪人の動きを思い出していた。そして……。

 「やぁぁぁぁ!」

 小吉は浪人へ斬りかかる。唐竹、右袈裟、左袈裟、突きと様々な技を繰り出してゆく。もっとも素振りしかしていないのでまともな技術などはない。単に棒を振り回しているだけだ。当然浪人は器用にかわす。先ほど去っていった見物人たちとは別の見物人たちが徐々に集まっていた。袋竹刀を振り回す小吉を応援する声、負けてやれという声が周りを沸かせていた。浪人は時雨の要望通り時折打撃を受け、ゆっくりとした動きで反撃する。
 小吉が数十回斬りかかったとき浪人の視界から小吉が消えた。浪人はほんの一瞬だけ小吉を見失った。ぞわりとする冷や汗が浪人の背中を伝う。浪人は反射的に飛び上がり袋竹刀を全力で地面に突き立てていた。

「がっあっ!」

 足元を通り過ぎた小吉の袋竹刀を握った腕を、浪人の持つ袋竹刀が地面に縫い付ける。浪人の落下に伴う体重の乗った突きに小吉は思わず声をあげていた。見物人たちは、ある者は目を、ある者は口元を覆い二人を見つめている。

「は~い、それまで~」

 一瞬凍った空気はのんびりとした時雨の言葉で氷解した。辺りにざわざわと喧騒が戻る。浪人が慌てて小吉から袋竹刀を離し、小吉の腕が折れていないかを確かめていた。小吉は腕を押え蹲っている。

「子供相手にねぇ」
「大人げない……」

 見物人達から浪人に向けてひそひそと非難の声が上がっている。浪人はその言葉に反論するでもなく俯いていた。突かれた腕を押えながら小吉が立ち上がる。

「ありがとうございました!」

 小吉は大声で礼をすると時雨のところまで戻ってきた。同時に周りの見物人から拍手と喝采があがる。

 「小僧! 頑張ったな!」
 「見料を入れるものはないのか?」

 その声に時雨は小吉の頭を撫でた後、とてとてと歩き、笠で見料を回収している。浪人が挑戦者へ勝ったときの倍近くの銭が集まっていた。暫くして見物人は解散し、その場には浪人と時雨、小吉しか残っていなかった。

 「小僧、申し訳なかった。これは詫び代だ」

 浪人は懐から一両小判を小吉に差し出していた。どうやら手を出したので反則というつもりらしい。小吉は受け取るのを躊躇い、時雨に視線を向ける。

「時雨姉、これ貰っていいの?」
「貰う自信があればいいんじゃない?」

 小吉は微笑んでいる時雨の表情を見て黙って小判を押し返した。

「ありがとうございます。でもこれは受け取れません。私はあなたに勝てなかったのですから……」

 浪人は再度小判を渡そうとしたが小吉の顔と時雨の微笑を見て、複雑な顔をしながら小判を受け取り懐へと仕舞った。浪人が稼いだ分を回収し去ろうとした時、時雨はにこにこと笑いながら笠に入ったお捻りを浪人に差しだしていた。
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