おくる

じー

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おくる

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七月中旬。外では蝉がやかましく鳴いていた。蝉の声に混じり携帯の着信音が鳴った。送り主は母だった。
 大学入学を機に地元を離れ一人暮らしを始めた。当初は親の目がない故の「自由」を手にし、これからの大学生活に期待を寄せていた。
 私の母は口うるさい人だった。思春期真っ只中だった私はいつも母の言葉を遮断するように適当な言葉を返した。母はそんな私にも言葉を送り続けた。
 大学入学後、まもなくして新型ウイルスが蔓延し始めた。我々大学生も当然影響を受けた。授業は全面オンラインでの施行となり顔の見えないクラスメイトとの浅い交流が続いた。外出も制限され、アルバイトもできない。そんな状況で友達など当然作ることもできず、私は地元から離れた地で完全に孤独となった。一年経っても状況は変わらず、二年目の夏を迎えていた。そんな状況下での母からの連絡だった。
 普段なら母からの連絡など無視していた。しかし私は無意識にトーク画面を開いていた。そこには約一年分の、定期的に送られてきていた母からの言葉が並んでいた。特別な内容なんかではない。「おはよう」、「元気にやってるか」、至って普通の内容。だが私にとっては一つ一つの言葉が重かった。茹だるような暑さも忘れ、母からの言葉を読み返す。頬を伝ったのが汗ではなく涙であることに気づいた。滲む視界に母の顔が浮かんだ。「時間が有ればいつでも帰っておいで」一番新しいメッセージに「ありがとう」と一言だけ送った。少し恥ずかしさもあったが、直後、「やっと返信きた。良かった」、という返信を見て「心配かけてごめん」と今度は恥じらいなく言葉を送ることができた。
 母が私に贈り続けてくれた言葉が苦しかった生活に光をもたらしてくれた。言葉を送るのは簡単なことだ。しかし贈ることは難しい。難しいからこそおもい。
 私は地元に向け車を走らせる。感謝の言葉と少し遅めの母の日のプレゼントを贈る為に。
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