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第十三章 ウィルフレッド

ウィルフレッド 第十七節

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アルマ化したビリーとギルの衝突により一階ロビーが殆ど吹き飛ばされる。オフィスビルを包む煙の中からギルが吐き出され、無様に地面を転んだ。
「あがあぁっ!」

「ギル!」「うぅ…ギル!」
俺はアオトを担ぎながら煙から歩み出る。サラもまた先ほどの衝撃でアルマ化が解けて意識不明のキースを担いでいた。
「しかっりしろキース!こんなところでくたばるんじゃねぇ…っ」「あ、うぁ…っ」

「ギル!ギルっ!!大丈夫かっ?」
「ぐおぉ…っ、ビリーのクソ野郎が…っ」
一際大きな亀裂が入った胸を押さえながら、もがいて立ち上がろうとするギル。

「皆様、この映像をご覧ください!」
「なっ!なんなのこれ…っ!?」
この時、アオトや俺達はようやく今の工場の周りの現状を認識した。サーチライトを当ててきてるのは、ビリーが率いる特殊部隊だけじゃない。シティ警察のビーグル。撮影カメラを構えたレポーター、報道用ドローン、そして空の報道ビーグルが、その飢えたレンズを俺達に向けながら工場を囲んでいた。

「いま映り出されてるのが、正にいま世間を震撼させた噂の異星人の浸透兵、そのおぞましい正体です!」
「アレが…そうなのか?」「確かに…サイボーグでもアンドロイドでもないよね…」
報道陣だけじゃない。シティの市民達と思われる野次馬たちまでもが多数混じっていた。

「大衆ってのは残酷だよね。何世紀経ってもその本質は変わらない」
「! ビリー!」
オフィスビルの残骸から、アルマ化したままのビリーと取り巻きのイプシロンアルマモドキ達が歩み出た。

「見てください!イプシロンフォースです!その身に異星人の力を取り込み、勇敢にも異星人の脅威に立ち向かうその威容!」
「あっ、あいつらぁ…!デタラメばっかり言いやがって…っ!」
「待てサラっ!落ち着くんだ!」
俺は怒りで飛び出そうとするサラを抑えると、ビリーが周りの人々を眺めては手を広げる。

「娯楽を求めるためならば虚構された真実さえ喜々と消費する盲目な大衆。けど、それをうまく利用すれば強力な武器にもなれる。『組織』は昔ながらの抑制的な手段は取らないがゆえに、昔ながらの抑制的手段を熟知もしているんだよ」
「ビリー…っ!」
「ついでにパフォーマンスだ。イプシロン1ワンから11イレブン、ターゲットを捕獲せよ」

指示を受けてモドキ達が一斉に襲い掛かる。俺やアオト、サラは止む得ずに迎撃する。
「なろぉぉっ!」
「「うおおぉぉっ!」」
サラのビットが飛びかかろうとするモドキ達を撹乱し、アオトがエネルギーの弓矢を飛ばす。一方、俺は双剣で未だに傷深くふらついてるギルをかばうよう、三体のモドキを相手に跳んだ。

「カアァッッ!」
「FOAA!」
俺を拘束しようと腕に電気を纏ったモドキの腕を双剣で捕らえ、切り落とされた腕が空中で舞っては消滅する。

「なっ!」
だが次の一瞬、切り落とされたモドキの腕が瞬時に再生し、すかさず俺の体を掴んでは膨大な電流を流し込んできた。
「グアアァァッ!ガァッ!」「FoAA!」
反射的にアスティルエネルギーを放出させてモドキを弾いては、思わず膝をついてしまう。
(あの再生速度っ、『イモータル』の能力か…っ)

他のモドキ達と戦ってるアオトとサラも、心なしか動きや連係が普段よりも鈍い。肉体崩壊の話でまだ動揺してるからに違いない。

「このぉっ!」「Aooo!」
空中でエネルギー弾を撃とうとするモドキにアオトのビームアローが直撃する。モドキのエネルギー弾は逸れ、苦悶の声を上げながら報道ビーグル陣へと落下した。

「「うわああっ!」」
その勢いは激しく、野次馬たちや多数のレポーターを巻き込んだ。逸らされたエネルギー弾はビルの巨大ネオン看板に命中し、野次馬めがけて落ちていく。

「う、うあああっ!」「危ないっ!」
俺は反射的に疾走し、一目散に逃げる人達に押されて倒れこんだ数名の人達を助けるよう、落下する看板を受け止めた。
「ぐぅっ!」
落下の衝撃が収まり、看板を支えながら俺は倒れ込んだ人の方を確認する。
「あんた、大丈夫――」

バチンッ
「うっ」

電気の衝撃が脇腹を走った。倒れ込んでいた人が手にしてる射出型スタンガンによるものだった。アルマにスタンガンなぞ効くはずもないが、彼の恐怖で歪んだ形相が目に移り、この前、血と怖れに満ちた顔で自分を見る女性の姿と重なる。
「き、きみ―――」
「うわああバケモノーーーっ!」
悲鳴を上げて逃げていく人たちを俺は何もできずにただ見つめた。

「FOAAaaa!」
「があぁっ!」
呆然として隙だらけな自分に、局部硬化したモドキの強烈なタックルが直撃し、派手に吹き飛ばされては広場に転んでいく。

「皆様見ましたかっ!?イプシロンフォースが勇敢にも異星人から市民を救ったシーンを!」
「うっ、ぐうぅ…っ」
レポーターの喧騒が無意識に心を揺さぶってくる。痛みを堪えながらゆっくりと身を起こすと、アオトとサラはキースを庇うようにモドキ達に囲まれており、辛うじてモドキ一体を串刺しにしたギルも、先ほどビリーにやられた胸の傷を押さえながら息をあげていた。

「思った以上にうまくいってますね。最新型のイプシロンとはいえ、もう少し手こずると思ったけれど。いえ、自分達の寿命を聞いたばかりならばいつもの実力が出し切れないのも当たり前ですか。だって力を使えば使うほど、貴方達の寿命は縮んでいくのですから」
腕を組んで悠然としたビリーを見て、俺はようやく悟った。
「そうか…妙に報道陣の動きが速いと思ったら…あんたが呼びかけたんだな…っ!ここの施設のデータもわざと流したもので…っ」

「ええ。リソースを追跡に費やすよりも、餌を巻いて獲物を誘った方が有効な手法です。長らくエージェントを務めた貴方たちなら誰よりも承知してると思ってましたが…、それに気づかないなんて、よほど追い詰められてるそうですね」
「ぐ…っ」

拳に力を入れ、立ち上がろうとも体がふらつく。モドキ達の攻撃なんざ普段ならすぐに対応できるはずなのに、キースのことや長い逃亡生活による精神の摩耗、大衆の敵になったことによる孤立感、そして決め手が、肉体崩壊の真実。これら全てが俺達に重く圧し掛かって、連係も思うように取れない。

ゴンッ
「なっ」

どこからともなく飛来した石が体に当たる。俺にだけではない、アオトやサラ、そしてギルにも断続的に石が飛んでいく。その幾つかに打たれたキースが軽く呻き声を上げる。
「うっ、うあ…!」「てっ、てめぇら…っ!」
「だめだよサラっ!迂闊に動いちゃ!」
ギルは無言なまま打たれながら立っていた。

「おい、あの異星人ずいぶん弱ってそうだな?」「もうすぐ死にそう?」「あの異星人、人間の姿でうずくまってる。宇宙人もドラッグ中毒になんの?」「…い、今なら私も異星人倒せそうか?賞金で一儲けできる?」「あはっ、これバット振るよりもストレス解消できそうだぁぁ…っ」
人混みから流れる興味本位の囁きが心に深く突き刺さる。悪寒と孤独で体が思わず震えた。
「や、やめろ…っ」

「なかなか効いてるようだね?大衆の敵パブリック・エネミーはかなり古い手法だから、正直アルマである貴方たちには効果は薄いと予想してたんだけど…」
「ビリー…っ!」
心に沸き立つ怒りを抑えながら、俺はこの局面をどう打開すべきか逡巡していた。

「…ククク…あはははは、ハァーハハハハハハハッ!」
「ギルっ?」
石ころに打たれながら、ギルが胸を押さえながら高笑いした。彼を囲むモドキ達が警戒するように立ち止まり、俺やサラ、ビリーまでも、そんな彼の方に視線を移した。石やごみを投げていた市民達もピタリと手が止まり、恐れを込めた視線で彼を見つめる。

「おい見ろよおまえら!あいつらの俺達を見る顔をよぉっ!今まで俺達が守ってきたことも知らねぇのに他人事みてぇで威張りやがるっ!とちっとも変わってねぇっ!」
既に結晶励起状態にあるギルの全身の結晶が輝き、槍に深紅のエネルギーが走る。

「所詮、家族ファミリー以外の奴らは全てよそ者だ…っ。平和ボケした奴らに、必死に戦ってきた俺たちのことなんざ気にするかよ…っ!」
彼が何をしようとするのを理解した。
「ギ、ギルっ、待て、やめるんだっ!」

励起した結晶が注ぐ膨大なアスティルエネルギーが槍に纏い、二階ほどの高さもある長大な紅のエネルギー槍をギルは高々と掲げる。モドキらとビリー達が身構え、さっきまで騒いでだ市民や報道陣に一瞬の静寂が訪れる。俺は飛び出そうとした。ギルを阻止するために。
「この…っ」
「やめろーーーっ!」
「ダニどもめがああぁぁっーーーー!!!」

全てが無音になるほど、時間が緩やかに流れたかに感じた。赤い斬り跡が、建物やビーグルを巻き込んで人混みを切り裂いた。赤い電光が至るところへと広がり、そのたびネオン看板や建物、ビーグル陣が連鎖反応を起こしたかのように爆発し、血と肉片が飛散する。爆風が鮮血の砂塵を起こし、一面に吹き荒れた。

「「「ぎゃああああぁぁぁぁっ!!!!」」」
人々の声が遅れて響いた。男の声。女の声。サイバネ化した声帯の電子音。老人の悲鳴。ギャングの青年達の声。そして、子供の泣き声。それらの悲鳴が一斉に上げられ、俺の胸を締め付けた。

「アオトっ、サラっ!煙幕を撒けっ!」
「うああああっ!」「くそったれ!」
ギルの指示とともにアオトがチャフをばら撒き、サラはビットで特殊な煙幕を張る。ビリーやモドキたちが一瞬怯む。

パチンとギルの撤退の合図が聞こえた。周り全てが煙に包まれる中、人々の阿鼻叫喚が他の全ての雑音を圧して俺の耳に響く。だが今の自分に、それに気を取られる余裕があるはずもない。完全に無防備なキースをこの場から連れ離れなければならないのだから。
「くっそぉぉぉーーーっ!」

叫びながらギル達とともにその場を離脱するなか、煙の中で、血まみれで泣いている子供の姿が見えたような気がした。

――――――

「…まさか二度も彼らを逃がしてしまうなんて」
煙が散り、倒されたイプシロン達の遺体から回収したクリスタルを胸のクリスタルに収納しながら、元の姿に戻ったビリーは他のイプシロン達に市民の救助に当てた。彼らへのアピールのために。

(いえ、僕にからなのか?特にあの人のこと…。無意識的な欲求バグが生まれてくるの、いつぶりなんだろう…であれば、もう少し観察していきますか)


******


無事シティの郊外にある廃棄ガレージへと逃げ切った俺達は、何も言わずにただその中に座っていた。時々呻き声を上げるキース以外に、誰かが言葉を発することはなかった。沈黙だけが、俺達の気持ちを代弁していた。

落ち着いたいま、真実を告げられたの衝撃が再び心を揺さぶる。キースの状態がそれが真実であることを突きつられ、思考が真っ白になっていく。かつてのストリートで運よく生き延び、『組織』に入って命をかけて力を手に入れ、ようやく安住の場所を見つけたと思ったら、まさか余命一年の宣告だなんて。

しかもずっと裏で人々を助けてると信じていたことが、『組織』の自作自演だったなとは、滑稽にも程がある。英雄とかそういう不確かなもので浮かれる自分を今すぐにでも抹消したいぐらいだった。もっとも、そんなことせずとも一年も満たないうちに跡形もなく消えるから、無駄な労力をしなくてもいいのだが…。

「…これからどうすんだ?ギルよぉ」
ようやく、サラが言葉を発した。彼女にしては気の抜いた口調だった。

「この際、どっかの企業に寝返るってのはどうだ?運がよければアタシ達やキースの体を治す手立てが――」
「そんなの無理だよ。サラも分かってるでしょ」
か細いアオトの声がサラを遮る。
「いまこの世界で最先端な技術力をもってる『組織』にいても、ミハイルさんは僕達を治せなかった…。『組織』やミハイルさんができなくて、他にどこの誰ができるっていうんだっ?」

「ならこのまま死ぬのを待つっていってんのかよアオトっ!?」
激昂したサラに胸ぐらを掴まれても、アオトは無気力なままぐたりとしていた。
「…僕も…分からないよ…これからどうすればいいのか…」

「……くくく、そんなの決まってるじゃねえか」
ギルがようやく言葉を発した。いつものようにとても楽しそうに。
「ぶっ潰すんだよ。俺達をコケにした『組織』をな」
「そ、『組織』を…」「潰すだぁ?」

「当たり前だろうが。寿命が一年だからってなんだ。俺達をさんざん利用したビリーや、くだらない一人相撲をさせた『組織』の奴らに、俺達は殴られたら殴り返すことを思い知らせてやるっ!」
「そうだ…そうだよなぁっ!アタシを裏切った奴らをこのまま放置していられっかよっ!あいつらに自分達が何を作り出したのか知らせてやらあっ!」
「そのとおりだサラ!どうせ消える命だってんなら、最後の最後まで派手に暴れようぜ!」

興奮するギルとサラに、アオトは生気が抜けたようなままで俯き、キースは依然としてひたすら呟くだけ。そして俺は、ギル達のように戦意に燃えるようにはならなかった。『組織』への見返し、自分はそれを求めてるのだろうか。

ビリー達の追跡に対応しなければならないという点で、『組織』と戦うこと自体は避けれない。それはいい。けれど、さきほど工場から脱出した時に見た、なぶり殺した市民達の血がこびりついていたギルの姿を思い出して、言葉にできない不安がどうしても生じてしまう。

「アオトやウィルも異論はないな?」「…うん…」
ギルの問いに無気力に答えるアオト。俺は、返事するべきか迷っていた。先ほどの疑念だけじゃない。今までただ、みんなと一緒にいて、自分なりに助けたい人達を助ければそれでよかった。けれど安住の地だった『組織』から追われ、みんな含め余命が一年しかいないと言われた今、進む方向を失ったかのように、俺はひたすら戸惑った。

沈黙を黙認と捉えたのか、ギルは軽く俺の背を叩いた。そして励ますようにうずくまっているキースの肩に手を置く。
「安心しなキース、あんたをこのまま放置することはしないさ。一緒にあの生意気なクソビリーに一泡吹かせようぜ」

「…あ、あぁ…」
小さく返事するキースに思わず拳を握る。そうだ、どのみち今の彼をこのまま置いておく訳にはいかない。とにかくまずは『組織』の追撃を凌ぐことに専念しよう。

「よし、アオト、こっちに来い、次のターゲットの相談だ。ウィル、追手が来てないか外を見張れ」
「うん…」「ああ…」

ふらりと立ち上がるアオトに、俺は問いかける。
「アオト…君はこのままでいいと思うか?」
「…別に、いいんじゃないかな…」
精彩の欠けた返答をして、ギルのところに行こうとするアオトの足が床につっかえてしまい、俺は慌てて彼を支えた。

「アオトっ」
カツンと落ちたアオトの眼鏡を拾っては彼に渡そうとした。
「大丈夫か?ほら」
「あ…」

眼鏡のことを忘れたかのような顔を浮かべるアオトは、やがて顔を横に振った。
「それ、もういらないから…」
「え…でもこれは君にとって大事な――」
「別に、大事もなんでもないよ。今となっちゃ…」
振り返りもせずに離れていくアオト。

「アオト…」
俺はアオトを呼び止めることもなく、ただ彼が離れるのを見つめることしか出来なかった。


******


俺たちから攻める形で『組織』と対抗することになったが、その過酷さは寧ろ逃亡時よりも上回っていた。今までの『組織』や企業私兵、賞金稼ぎバウンティ・ハンター達、そして民間からの孤立に加え、何よりも俺達を追い詰めているのは、いつ自分の身に起こるかも分からない肉体崩壊の影だった。

「クソ野郎がぁぁぁっ!」
「ぐああぁぁっ!」
『組織』所属の商業ビルの外にある通りで、アルマ化したサラのビットが重度サイバネ化した賞金稼ぎバウンティ・ハンターの体を貫いた。全身に走るアスティルエネルギーの電光に焼かれ、微動だにしなくなったその死体を、サラがさらに地面へと打ちのめし、狂ったかのように踏み荒らす。

「このクソやろぉ!ナメた真似しやがってぇっ!」
「サラ!」
その場に駆けつけると、目の前の凄惨な景色に思わず胸が締め付けられる。賞金稼ぎバウンティ・ハンターだけではない、最初からその場にいたと思われる市警、そして市民達の屍が、みな原形をとどめないほど潰されており、まわりの瓦礫は真っ赤な血に染められていた。まだ生きて重傷を負ってる人達の呻き声が、さらに心に痛みを刻んでくる。

「サラ!やめろサラ!あいつはもう死んでるんだ!」
「うるせーっ!」
「ぐっ!」
半狂乱になってる彼女を阻止しようとした俺を張り退けると、サラがふらりと揺れては頭を抑えては苦しそうな声を出す。その胸のクリスタルから赤いエネルギーラインが走る。

「うっ…!いっっつ…!…あ、ウィル…?お前ここで何やってんだよ…てかここどこだ…」
サラの言葉がナイフのように胸を刺した。
「…俺はサラを迎えに来たんだ。アオト達のハッキングはもう終わってる。追手が来る前に早くここを離れよう」
「お、おう…」
サラは困惑しながら受け入れた。

――――――

盗んだビーグルでセーフハウスへと移動する道中。サラはただ呆然と窓の外を、夜のシティの明かりを眺めていた。ビーグルが走るブリッジの向こうに、先ほど俺達がいた通りから燃え上がる煙を、火の明かりが爛々らんらんと赤く染め上がっている。戦いに巻き込んで散らばれた人々の血のように。

このような戦いが今まで幾度も繰り広げられていた。『組織』の情報を得るために施設を強襲するたびに、現地の警備や追手との戦いは熾烈さを増していく。なまじ強大な力をもつアルマなだけに、巻き込む無実な人達の数は増える一方だし、何よりもさっきのサラのような症状が、それを深刻化させていく。

「例の異星人集団が、ドルセント社のフォーミュラビルディングで再び悲惨な大規模殺人事件を引き起こし――」
ラジオで早速、先ほどの事件が取り上げられる。ギルはほっとけと言うが、毎回このような戦いが行われるたびに、無実な人達の血が流れることへの呵責と、人々から孤立されることへの孤独感に、俺は苦痛を感じずにはいられなかった。

「…へへ」
「どうしたサラ?」
「ウィル、あんたやっぱおめでたいお人よしだな」
「なんだいきなり――」
「さっき、アタシまた発作したんだろ?」

胸が強く打たれるような感覚に、唇を噛んだまま何も言えなかった。サラの記憶障害は今回が初めてじゃない。数週間前から最初の発作して以来、彼女は度々記憶が混乱するようになっていた。落ち着いてると思ったらいきなり逆上したり、意気込んでたらいきなり沈黙するなど、情緒が不安定になることも増えてきている。そしてその理由は、俺達の誰もが知っていた。

「…まったく、まだこんな歳で年寄りみてぇに健忘症かよ…。ふざけるんじゃねぇぞくそったれがっ!!!」
怒り任せにサラがサイドガラスを殴り、砕けた窓から冷たい酸性雨を帯びた風が吹き込む。苦笑じみた笑い声をして、サラは前にうつ伏せる。

「へへ、この調子じゃ、ひょっとしたらアタシの方がキースより先に――」
「言うなサラっ!…頼む、言わないでくれ…」
掠れた声で俺は懇願した。たとえそれが避けようのない事実でも、いまだ全員生きてるのにそれを聞くのはとても耐えられなかった。

「…あはっ、まったく子供みてぇな情けねえ声出しやがってよ。あん時アタシを家族ファミリーだと押してきた気概はどこ行ったんだ?あ?」
サラらしくもない気の抜けた笑顔をしながら俺の頭を掴むサラを直視することはできなかった。見たら間違いなく、情けなく泣き出す顔を見せてしまうのだから。

「わぁったよ。お人よしの甘ちゃんをこのまま放ってはこっちも安心して逝けねえもんな」
「サラ…っ」
「もういい…さっさと帰ろうぜ…」

――――――

「ああもうっ!どうしてこの暗号化はこうも面倒なんだよっ!クソッ!」
変調をきたし始めたのはサラだけじゃない。アオトも以前に増して情緒が不安定になり、時折焦燥感に駆けられてはものを投げ、ひっそりと泣きじゃくる時間が増えた。キースにいたっては、もはや俺達のことを認識することさえできない。アオトが前にかけてあげた黒いサイバーコートを掴みながら、ただ呆然とバーグの名前を繰り返しているばかり。まだ精神異常の兆候を見せてないのは、俺とギルだけだった。

「仕方ねえさ。治療の手立てが見つからねえ以上、あいつらの好きなようにさせてやれ。最後の時まで俺達で面倒をみりゃいいんだ。それが家族ファミリーとしてのせめてもの情けってもんさ。それよりも、久しぶりにいいビールが手に入ったぜ、一杯付き合えよ」

いつもと変わらずに笑顔でビール缶を差し出すギルのことを、正直俺は理解できなかった。長い付き合いでお互い良く知っているつもりだったが、人々の血が流れ、アオトやサラ達がおかしくなっていくに連れ、段々と彼との溝を感じていった。

けれどあの時の俺に、ギルに反発することに思いつくことはできなかった。ただ流れに身を任せたまま、絶望的な『組織』との戦いに専念することで、疑念を先送りにした。

だがそれも所詮、現実から目を逸らした一時凌ぎに過ぎなかった。


【続く】
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