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第3堡塁の側壁
第9話 青白い月明かりだけが
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龍二は、電車を降りて、澄の勤め先であった鎌倉聖花高校を横目に、そこから程なくの丘に建つ、澄の実家に向け全力で走っていた。
そのころ、澄は自室の窓から満月の空を見上げていた。
部屋の電気はつけないままでいた。
龍二の試合中継をテレビで観ながら、婚約者の絶望的な状況を速報で知り、そのまま夜になっていたのである。
そんな時、懐かしい北勢高校の制服を、埃と汗まみれにしながら全力で駆けてくる龍二の姿が目に入った。
澄にはそれが一瞬、高校時代の三枝啓一と重なり、思わず息を飲むのであった。
しかし、それが龍二であることはすぐに理解出来たのだが、いつも冷静な龍二が、いつになく、なりふり構わないその姿から、兄の啓一とこれほどまでに重なって見えるものかと思うのであった。
最初は微笑ましいとすら思えた龍二の姿であったが、その距離が迫るに連れて龍二がこれまでに澄に見せたことのない表情と、傷だらけの状態が、彼女の胸を突くのである。
玄関に入ると邸宅の家政婦がものすごい形相の龍二を制止する。
「お嬢様は今、どなたにも会われません、どうか冷静に」
しかし、龍二の耳にはまるで入っていないかのように制止を無視し玄関を上がろうとしていた。
この時の龍二には、澄を優しく抱き寄せて、そのまま一緒にいてあげることのみ考えていた。
そして、彼女に思いっきり泣いてもらおう、いつも我慢ばかりしてきた一途な女性を、今日だけは、今だけは解放してあげよう、そう考えていた。
異性に不器用すぎる男の、今考えられる、これが最大限であった。
「龍ちゃん、いらっしゃい、こんばんは」
品良く挨拶する澄に、言葉を失い立ち尽くす龍二。
その姿は、汗まみれなだけではなく、先ほどまで新国立競技場での激しいぶつかり合いを象徴するような、無数の傷と絆創膏で満たされていた。
逆に澄はその姿を見て、自分の為に、恐らくは試合後にシャワーすら浴びる時間も無く、全てに優先して駆けつけてくれた龍二の姿に、胸を打たれていた。
澄は自室に龍二を招き入れると、再び笑顔でこう言った。
「試合で疲れている身体に、こんな坂道を全力で駆け上がって来るなんて、無茶はだめですよ」
年の少し離れた姉、そして女子校の教師としての風格を醸しだしながら、やはりその頬には涙の跡と、目の下を赤く染める中、健気に平静を保とうとする澄の姿に、龍二はどうしようもない切なさを感じていた。
龍二は、その感情の正体が理解出来ないまま、そっと手を差し伸べ、澄を引き寄せようとした時、逆に澄の両手が龍二の頭に延び、彼女はそのまま引き寄せたのである。
「龍ちゃん、今日は偉かったね、辛かったね、私たち、今日は大切な人を失ったんだね。」
澄も龍二と同じことを考えていたのである。
いつも冷静で人前では絶対に泣かないであろう龍二を、ここでは我慢させないであげたい。
龍二は、思っていたことと真逆の事態が起こったことに一瞬困惑したが、澄の言葉がじわじわと心に響いてきて、母親のように優しく包み込む澄に抱かれ、龍二の目は、ようやく涙で満たされていくのである。
そして澄の目にも涙が流れ続けた、それを悟られたくない彼女は龍二の頭を強く抱き抱えて、龍二の頭の上に自分の頭を軽く乗せ、何とかしっかり者の姉であろうとしていた。
テレビの小さな報道以外に音もなく、暗く静かな部屋には、青白い月明かりだけが、いつまでも二人を照らし続けていた。
そのころ、澄は自室の窓から満月の空を見上げていた。
部屋の電気はつけないままでいた。
龍二の試合中継をテレビで観ながら、婚約者の絶望的な状況を速報で知り、そのまま夜になっていたのである。
そんな時、懐かしい北勢高校の制服を、埃と汗まみれにしながら全力で駆けてくる龍二の姿が目に入った。
澄にはそれが一瞬、高校時代の三枝啓一と重なり、思わず息を飲むのであった。
しかし、それが龍二であることはすぐに理解出来たのだが、いつも冷静な龍二が、いつになく、なりふり構わないその姿から、兄の啓一とこれほどまでに重なって見えるものかと思うのであった。
最初は微笑ましいとすら思えた龍二の姿であったが、その距離が迫るに連れて龍二がこれまでに澄に見せたことのない表情と、傷だらけの状態が、彼女の胸を突くのである。
玄関に入ると邸宅の家政婦がものすごい形相の龍二を制止する。
「お嬢様は今、どなたにも会われません、どうか冷静に」
しかし、龍二の耳にはまるで入っていないかのように制止を無視し玄関を上がろうとしていた。
この時の龍二には、澄を優しく抱き寄せて、そのまま一緒にいてあげることのみ考えていた。
そして、彼女に思いっきり泣いてもらおう、いつも我慢ばかりしてきた一途な女性を、今日だけは、今だけは解放してあげよう、そう考えていた。
異性に不器用すぎる男の、今考えられる、これが最大限であった。
「龍ちゃん、いらっしゃい、こんばんは」
品良く挨拶する澄に、言葉を失い立ち尽くす龍二。
その姿は、汗まみれなだけではなく、先ほどまで新国立競技場での激しいぶつかり合いを象徴するような、無数の傷と絆創膏で満たされていた。
逆に澄はその姿を見て、自分の為に、恐らくは試合後にシャワーすら浴びる時間も無く、全てに優先して駆けつけてくれた龍二の姿に、胸を打たれていた。
澄は自室に龍二を招き入れると、再び笑顔でこう言った。
「試合で疲れている身体に、こんな坂道を全力で駆け上がって来るなんて、無茶はだめですよ」
年の少し離れた姉、そして女子校の教師としての風格を醸しだしながら、やはりその頬には涙の跡と、目の下を赤く染める中、健気に平静を保とうとする澄の姿に、龍二はどうしようもない切なさを感じていた。
龍二は、その感情の正体が理解出来ないまま、そっと手を差し伸べ、澄を引き寄せようとした時、逆に澄の両手が龍二の頭に延び、彼女はそのまま引き寄せたのである。
「龍ちゃん、今日は偉かったね、辛かったね、私たち、今日は大切な人を失ったんだね。」
澄も龍二と同じことを考えていたのである。
いつも冷静で人前では絶対に泣かないであろう龍二を、ここでは我慢させないであげたい。
龍二は、思っていたことと真逆の事態が起こったことに一瞬困惑したが、澄の言葉がじわじわと心に響いてきて、母親のように優しく包み込む澄に抱かれ、龍二の目は、ようやく涙で満たされていくのである。
そして澄の目にも涙が流れ続けた、それを悟られたくない彼女は龍二の頭を強く抱き抱えて、龍二の頭の上に自分の頭を軽く乗せ、何とかしっかり者の姉であろうとしていた。
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