風の勇者ハンミョウ

島倉大大主

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 雷がアスファルトを叩き、轟音と閃光に道行く人々は悲鳴を上げ、倒れ伏した。何が起きたかに気付いた者達はさっとスマホを取り出す。

 立ち込める蒸気が、徐々に晴れていく。

 キレの良い大胸筋が見えた。

 見事に割れた腹筋が見えた。

 引き締まった太腿が見えた。

 そして

 えくぼの浮かんだ臀部が見えた。

「きゃーっ!!! ハンミョウよーっ!」
 悲鳴か? 歓声か?
 重なり合うそれを伴奏に、ハンミョウと呼ばれた男は、猛然とアスファルトを蹴った。固く、それでいてしなやかな足裏が、たしったしっと音を立てる。

 たしったしっ
 たしったしっ
 たしったしっぴたん
 たしったしっ
 たしったしっ
 たしったしっぴたんぴたん

 ハンミョウはモーセが海を割ったように、群衆を割りながら商店街を走った。
『ハンミョウ! あと六分だよ!』
 チコの声が脳内に響き、ハンミョウは了解した、と低く呟くと振り返った。
 三人の警察官が靴音髙く、追いかけてきている。

 よしっ。

 ハンミョウは商店街を飛び出ると、市役所へ向け大通りを走った。時刻は昼。食事をとるために外に出ていた人々は、弾丸のように走る肌色に、思考が追いつかず硬直する。ややあって、口々にハンミョウだハンミョウだと騒ぎ出す頃には、遥か彼方で引き締まった臀部が揺れている、といった具合である。

 彼らの一体どのくらいが、通報したかは定かではないが、ほぼ全員がスマホを取り出し、そしてハンミョウが目的地の百メートル手前にいたる頃には、警官の数は二十人近くに膨れ上がっていた。
 追いすがる警官達が口々に叫ぶ。

「待てーっ!」
「止まりなさーい!」
「貴様―っ、いい加減にしろーっ!!」
「くくっ、相変わらず良い尻してやがるっ」
「……山さん?」

 ハンミョウは、もう一度後ろを振り返り、警官の数が適正と判断するや、一気に加速する。
『ジャストだ!』
 そこは市役所横の小さな二車線のトンネルだった。その中間部分に、しゃがみ込んでいる男が二人いる。彼らは時限式の爆弾で、この下に埋まっているガス管を破壊するつもりなのだ。
 トンネルの上には、老人養護施設がある。
 彼らの唾棄すべき目的は、後に新聞紙面に『不要物の排除』と簡潔にまとめられた。つまりは老人達を殺害する事こそ、社会正義と考えていたのである。
 ハンミョウは、彼らの思想を透視したチコから、これを道々聞かされていた。 
 彼らのうち一人が足音に振り返った時、ハンミョウの怒りのボルテージは最高潮に達した瞬間であった。

 貴様ら、許さんぞ! と叫ぶとハンミョウは跳んだ。

 その男は即座に何が起きつつあるのか悟った。すぐさま小銃を構え、足を踏ん張ると、警官達もろとも、ハンミョウに向かって乱射しようとした。
 だが、壁を蹴ったハンミョウが火線を塞ぐ。
 トンネルを揺るがす連続音と共に発射された銃弾は、そそりたつハンミョウの下半身に弾かれ、アスファルトを穿つ。
 馬鹿者がっとハンミョウは叫ぶと、大股を拡げての豪快な二段蹴りを繰り出した。一撃目で男の手から小銃を叩き落とし、二撃目で、それを警官達の方に蹴り飛ばす。
 しゃがみ込んでいた男が、動くな、とリモコンらしきものをハンミョウの方に向けた。
 動けば、みんな吹っ飛ぶ――と言いかけた瞬間、ハンミョウの姿が消えた。
 男の手から、リモコンが無くなっていた。
 ハンミョウは体表面に渦巻く魔力を足裏に集中させ、カタパルトのように自分を前方に撃ち出したのである。
 あっ! という男の声に被さって、じゃっとアスファルトをハンミョウが蹴る音と、風、そして

 ぴたん

 という音がトンネルに木霊した。

 確保っという声と共に警官隊が男達に殺到する。
 トンネルの出口で、腰に手を当てたまま、ハンミョウは、一部始終を見届けた。
「貴様もだーっ!」
「そこを動くなーっ!!」
 こちらに走ってくる警官達に、ハンミョウは頷くと、手を天にかざした。

 最初に彼をハンミョウと呼び始めたのは誰だったのか。
 悪を嗅ぎつけ、悪に導く。
 昆虫のハンミョウが、迷い人を導いたという俗説に端を発した、その仮称は今や、正義のシンボルとなりつつある。

 稲妻が煌めき、轟音が轟く。
 アスファルトに蒸気が立ち込める。

 ――私の名はハンミョウ
 悪に導く者
 正義の心を持つ者達よ、私の後に続くのだ――

 その声だけは、警官達に届いたが、すでにハンミョウの姿は影も形もなかった。
 彼はこれからも、正義のミチシルベとなり、悪を追い詰め続けるのだろう。
 世界の終わるその日まで――





「くそっ、また逃げやがった……」
「まあ、でも今回もお手柄だったよな。連中爆弾を持ってたぜ」
「でも、お前、あれも犯罪者だぞ?」
「まあなあ……ストッキング被った露出狂だからなあ……」
「くくっ、今回もギンギンだったじゃねえか、ハぁンミョウぅ」
「……山さん?」



「君を選んだのは、間違いじゃなかったか……と、時々思うんだ」
 私の傍らに浮いていたチコは、死んだような目で、そう言った。

 了
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