真っ黒くて大きい女

島倉大大主

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 教授の指が停止ボタンを押し、笑い声が途切れると、部屋に静けさが戻ってきた。
「……どう思いますか? こいつは――竹林に行ったと思いますか?」
 俺は汗を拭うと、教授の顔を見る。
 だが、教授は口をすぼめ、微妙な表情をしている。

「そうだねえ……君はポオを知っているかな?」
「は? ……作家ですか? モルグ街とかの?」
「そうそう。彼の詩でね、我々の目に映る世界は、夢のまた夢なんじゃないかってのがある。まあ、僕はとてもその詩が好きでね……」
「はあ……」
 教授は俺の目を覗きこむと、眉を上下させた。

「脱線しちゃったね。今のは忘れてくれたまえ。
 さて、僕は『専門』じゃないので断言はできないのだけれども――」
 教授は机に肘をつくと、五本の指を突き合わせ、片眉を上げ、微笑んだ。
「これは都市伝説云々ではなく、所謂、女性恐怖症の類じゃないかなと思うんだ」
「……女性恐怖症?」
「そうだね。君の友人言う所の、『ガキの頃』に女性に対するトラウマを――」
「え? あの、ちょっと待ってください。彼が失踪したのは――」
「だからね、まだ失踪と決まったわけじゃないじゃないか。
 現代の男性はね、女性に恐怖を覚えている人が多いらしいね。近づけば痴漢呼ばわり、喋ればセクハラ認定、ま、少し大げさに言ってるけども、それでも恐怖や被害妄想を抱える男性は多いと思うよ。君はどうかな?」
「…………」

「だけどね、男性が、女性に性的興奮を覚えるのは普通だろ? しかし、トラウマや、それに端を発する妄想の類があるから、現実の女性に対しては近づけない。
 だからまあ、君の友人はアニメ等に嗜好を変えるように、都市伝説の架空の女に恋焦がれている……といったところじゃないかなと考えるんだが……どうかな?」
「じゃあ、あいつは――」
「その、竹林だっけ? うーん、僕はそういう場所が大学の近くにあるなんて聞いたことが無いんだよねえ。だから、その――そこら辺をうろうろしているだけなんじゃないかな? 勿論これは正気を失ったうえでの徘徊だから、警察に通報しておくべき案件だろうね」

 教授はにっこり笑うと、立ち上がった。
 俺も釣られるように立ち上がると、頭を下げた。
「すいませんでした、お時間をとらせてしまって……」
「いやいや、中々面白かったよ。はは、結局楽しんでしまうのが、僕の悪い癖だね。さて、一応確認しておくけど、君のすることは――」
「はい、警察に電話します」
「よろしい。で、君自信はどうするのかな?」
 俺は教授を見つめた。
「俺、ですか? 警察に事情を話したら――その、家に帰ります」
 教授は俺に顔を近づけた。

 バレたのだろうか?

 俺がここに来た本当の理由は、失踪した友人を探す為じゃない。
 『真っ黒くて大きい女』の情報を仕入れる為だ。
 一度でいいから、遠目でもいいから、見てみたい――いや、会ってみたい。


 人を狂わせる異性に会いたくない奴なんて、いるものか。



「授業に出なさい。帰るのには、まだ早いよ?」
 俺は言葉に詰まり、やがて笑い出した。教授も俺の肩を軽く叩き、笑った。
 二人並んで部屋を出ると、廊下の突き当たりにあるエレベーターに乗り込んだ。

 狭く、簡素なエレベーターだった。床には群青色の薄っぺらな絨毯がひかれており、壁は乳白色だが、ぼんやりと俺が映り込んでいる。天井の蛍光灯は、切れかけで、時折明滅していた。
「そういえば――君はどうして僕の所に来たんだい?」
「は? あ、えっと……」

 俺は教授の顔を見つめた。
 誰に聞いたんだっけ? 確か、大学の――
 教授は俺の手を指差した。
「それ、まだ仕舞わないんだね?」
 俺は、まだ手にレコーダーを握っていた。汗で表面がびっしょり濡れている。
 教授はしゃがみ込んだ。
「さっきのアレは――友達の家に君が行って録音したんだよね?」
「……さっきそう言いましたよね?」
「うん。でも不思議なんだよね。君の声が一切入ってないんだ。
 彼は質問しているのに、君は相槌もツッコミもいれずに、ずっと黙って傍にいたのかい? 
 しかし、普通はそれでも物音ぐらいは入ってるだろう?」
 教授はぐーっと立ち上がって、俺の目を覗きこんだ。

「まるで――独りきりで、レコーダーを口元に当てて録音したみたいだ。違うかい?」

「は?」
「君は――あの女に子供の頃に出会って、骨抜きになった。そして、また会ってしまった。いや、望んであったのかな? でも最後の一線が越えられないんだ。
 ふふ、怖くて怖くて怖くて怖くて――」

「おい、やめろ」

「怖くて怖くて怖くて怖くて、でも会いたいんだ。でも怖い。ははははははは! 子供の頃からちっとも変ってない怖がりの泣き虫の我儘のむっつりスケベで怖がりで小便を垂れ流しながら涎を垂らしてあの女の指の感触が忘れられなくて――」

「おい! あんた、さっきから一体何を言って――」
 ぼんやりと壁に映る俺に、俺は怒鳴っていた。
 手の中でかちりと音がする。


『最後の一押しさ。それが俺には足りない。頑張れよ、俺! もうちょっとさ! そうすりゃ、ほら――ああ、あの女の臭いがする……だから、あそこに行くんだよ。

 そうすれば――お前を縛ってる最後の一欠片も引き剥せる――』



 俺はレコーダーを落とすと、壁に寄り掛かった。足に力が入らなかった。
 これは――この声は俺の声だ。
 俺は――自分でこれを――昨日の夜に――

 俺の正面にある壁に、ぼんやりと俺が映っている。

 いい年をして、大学の教授にまでなって、都市伝説の蒐集が趣味だなんて嘘までついて

 あの女を追いかけてきた自分が、映っている。

 足元がぐっと沈んだ。
 俺はあっと声を上げ、姿勢を崩しながら、両手を壁に突っ張った。
 生臭い風がごうと下から吹きつける。

 床が無かった。

 ただ、真っ黒な空間が下に見え、そこを絨毯がひらひらと落ちていくのだ。
 俺はぶるぶると震える手で、体を上にあげようと努力する。エレベーターが狭いお陰で、両手で体を支えていられるが、汗で濡れた手は、徐々に滑り始めていた。
 俺は助けを呼ぼうと、声を出そうとするが、落ちないように全筋肉を使っているので、小さく助けて、と呟くことしかできなかった。


 いらっしゃいな。


 俺は下を見た。
 顔から滴った汗が、すうっと落ちていく。明滅する蛍光灯の光を受け、きらきらと光って落ちていくそれらを、真っ赤な舌が舐め取った。

 あの女が下から上がってきた。

 そうか、下の暗闇は――全部あの女の服で――ああ! 手が!

 一瞬、俺はわざと手を放したのではないか、と我と我が身を疑ったが、次の瞬間俺は落下を止め、思考全てが吹き飛んでいた。

 女は、その細く長い指で、俺を『つまんで』いた。

 真っ黒い空間に、真っ白い顔が、艶めかしい紅い唇が、俺の体よりも大きく浮かんでいる。その指は、俺の襟首をつまんでいるのだ。
 女の臭いが、俺に襲いかかってきた。
 俺はたちまち失禁した。ひーひーと馬の鳴き声みたいな物が聞こえる。多分、俺が無意識に出しているのだろう。

『あの真っ黒くて大きい女、最高だよな』

『エレベーターの中で、たっぷりとしゃぶられるんだ』

『お前も遂に、じっくりと隅々までしゃぶられるな』

『安心したまえ。。絞りかすになって戻って来れなくなったら、最後には食べてもらえる。存分にしゃぶられたまえ』

 女は口を開いた。
 長く、そして力強い舌に俺は優しく乗せられ、そして、女は口をすぼめた。
 女の口から、俺のちっぽけな頭が出ている。

 そして――ゆっくりと、強く、深く、隅々まで

 俺はしゃぶられた。




 ********************

「あの真っ黒くて大きい女、最高なんだよ」

 昼下がりのカフェ、そのテラス席だった。
 時折強く吹く風に、単行本のページが捲れてしまわないように気を付けていた青年の耳に、その言葉は突然飛び込んできた。
 青年の斜め前の席、そこに男は座っていた。
 だらしない格好で、ボンヤリした顔をして、へらへら笑っている。服は、脱水機にかけて、そのまま放置したかのように皺が寄っており、酷い臭いが漂っていた。
「あの女にしゃぶってもらったんだ」
 男は初老とは思えない程、だらしなく、そして、うっとりとした顔で、青年の方を見て、そう言った。
「じっくり隅々までやってもらったよ」
 青年は堪らず立ち上がると、飲みかけのコーヒーをそのままにして、レジに向かった。

 だが、ふっと立ち止まると、一度だけ振り向いた。

 男はにやりと笑うと、青年の斜め上、カフェの向こうに風で強く揺れる木々の間の闇に微笑んだ。

「あんなことをされたら、愛さずにはいられないよ」

 女は木々の間をするすると動きながら、その紅い唇を歪め、嗤った。
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