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17:マド寿美!!
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「う~い! 諸君、元気かな? 本日は残念ながら小雨がそぼ降るご機嫌斜めな天気でございますが、なーに、ムードという点においてはグンバツ! 絶好のマド寿美日和と言えましょう! どうだねイダケン!?」
俺は半眼でコロッケパンを咀嚼しながら、そうっすねと投げやりに言った。美子がすかさず台本で俺の頭をばしりとやる。
「食っとる場合かーっ!? おう、新人! ついこの前入ったばっかりなのに、撮影中にコロッケパンをもぐもぐするたあ、いい度胸じゃねえか! ああん!? おうちに緊張感を置いてきちゃったんでちゅかあ? あと半分ください!」
俺はスマホを取り出すと美子の顔にぐいぐい押し付ける。
「今さ、午前四時なんだよ。午前四時~。昨日言ったよね、明日休みだって。だから深夜の撮影頑張れたのにさ、いきなし追加撮影よ。さあ寝るぞってシャワー浴びたら、突如ピンポン連打されてさ――」
「イダケン、めっちゃビビってたわよねえ!」
「ったりめえだろ!」
俺は村篠さんが構えるカメラに向かってまくしたてる。
「午前三時ですよ!? そんな時間にいきなしピンポンピンポンピンポン! んで、玄関ガリガリ引っ掻きやがんだよ、こいつ!」
美子は渋い茶を一気飲みしたような表情で、猫っぽくしなを作った。
「なんだそりゃ」
「雌豹です。あとコロッケパン半分ください」
俺は食いかけのコロッケパンを半分にすると、美子に渡した。美子が齧り付く。
「結構美味いわね! あと雌豹に対するコメントは?」
「いや、コメント困るって! ったく無駄にプロポーションが良いから始末に負えねえ。それと早朝突撃雌豹に関する謝罪は?」
「えー、でも、イダケンちにいきなり訪問するって前に言ったじゃーん」
「言ったけれども! 君! マドモアゼル! 深夜にドアガリガリやって、うううとか呻いちゃってさ! あれでビビらなかったら何にビビるんだよ!? もう、ホントこの女は常識とか――」
「マドモアゼルに常識を問うのかよ?」
村篠さんの冷静なツッコミに、俺は頭を掻きむしる。
「うわーっ! もう寝てえんだよ、俺は! グーグーしたいの! グーグーしたいのおおおおおおっ!!」
「まーまー、イダケン君! これが終わったらさ! マドモアゼル添い寝してあげちゃったりするから! ね?」
「……マジで?」
「マジよマジ。つーか、あたしも眠いから――」
俺は顔を歪めた。
「あー、でも、お前寝相悪ぃしなあ。あと鼾すげーじゃん」
美子は口をOの字にして、お前、それ言ったら戦争だろうがとポキポキした口調で言うと、肩を小突いてきた。俺はその手にしっぺをする。
「よーし、乳繰り合いは十分撮れたんで、そろそろ移動しようぜ。俺も眠いんだよねえ」
村篠さんはそう言って、カメラをこっちに向けたまま車の方に歩き出す。
あれから一月ほど経った。
全身の打撲とアバラや脛のひび、複数の擦過傷もだいぶ落ち着いてきた今日この頃、マド寿美は撮影を再開した。ちなみに間賀津事件は、ほぼカットされた。幻覚の廊下も式神も映っておらず、結局くびれ鬼メインで編集された。俺達の大怪我は、邪眼を食らった時の車内映像を、山の中の映像と編集で繋げて、爆発でやられたことになった。
そして、昏睡状態だった患者たちは、数日後に完全に回復したらしい。森下先生曰く、政府機関からの専門家が診療した途端、全員が回復しだしたとのこと。
しかし、と森下先生は苦笑いした。
「まだ、学生ぐらいの若い女の子に見えたんだよね。自信なくしちゃうよなあ」
「……その子って、もしかしたらサングラスとか、かけてませんでした?」
森下先生は、あれ? という顔をした。
「なんだ、やっぱりそういう系の人なの?」
俺と美子は顔を見合わせ、そして揃って惚けた。森下先生もそれに乗って、話は終わったのだった。
************
あの日、俺は気絶したまま病院に担ぎ込まれ、気がつくと次の日の夜になっていた。ベッドの横で俺と同じく包帯まみれになっていた美子は開口一番、保険適用されるからと言った。
「……やったー」
俺の棒読みの返しに、美子は、うはあっと大きく息を吐き壁にもたれた。
病室は俺と美子以外にいない。だが、それでも美子は俺の耳元で囁いた。
「よくやったわねイダケン。素直に凄いと思うわよ」
俺は包帯に覆われた手で口を覆うと、小声で聞いた。
「二人は?」
「久美は御頭さんが保護したわよ。全くまんまとやられたわ!」
「というと?」
「あの託宣よ! 『新規採用が起きる』ってやつ!」
俺はしばらく美子の顔を見つめ、ああそうか、と掌で額を打った。
「俺の事じゃなくて、あの久美が『新規採用』されるってことかよ……どーりで……」
御頭さんが常に久美を確保する方で動いていたのは、そういうわけだったのだ。確かに危険な要素はあった。だが、あのトレーラーの囲い込みを使えば、久美をいつでも処理はできたのだ。
美子は俺の頬に優しく触る。消毒液もしくは湿布の臭いがした。
「ま、それでも『解決の糸口』は確かにあんたが握ってたわけだからね?」
「……だったらいいんだけどねえ」
美子が謙虚ねえ、と顔を近づけてくる。
「で、今後もやる?」
「……やるよ」
即答だった。
答えてから、今後もマド寿美をやるかって質問かと気づいたが、まあ答えは変わらない。
「どうして?」
「よく判らん」
「……あっそ。ま、今後ともよろしく」
美子はそう言って笑った。
思わず目が泳ぐ。今更ながら照れてしまう。
「あー……ところで久美はこの先どうなるんだ?」
「さあね。まあ海外勢に色々知られちゃったから、国内でひっそりと仕事をしていくんじゃないのかな。あの邪眼なら使い道は幾らでもあるだろうし」
「おい、それって――」
俺の不安そうな声に美子は、天井を見る。
「まあ、あんたが危惧している使われ方もあるでしょうが……久美にストレスをかけすぎたら暴走するかもしれないでしょ? だから違う方で活躍するでしょうね」
「例えば?」
美子はスマホを取り出す。ニュースサイトで国内に滞在していた窃盗団が一網打尽にされたとある。
「……こいつらって――」
「ま、こいつらがオークションの参加者でしょうね。あのヘビモヤシ、仕事が早いんだから。
久美の協力を取り付けたら、邪眼で魅了したうえで、お帰り願っちゃおうってことになると思うわ」
「あ、そういう使い方か……ちなみに覚醒した久美の邪眼の魅了って、どのくらい続くのかな?」
「あたしらの食らったあれ、ガス爆発事故ってなってるけどね、あれ半径三キロメートルまで影響を及ぼしたらしいわ。フルパワーで食らってたら欠片も残ってなかったわね」
「ひぇっ……」
「そんな『今の覚醒した久美』が魅了をぶち込むわけよ? まあ、加減すると思うけども、どっちみち彼女は連中にとって『神聖にして触れざる存在』になるんじゃないかな」
そうか、と胸のつかえが少しとれる。でも――
「それと……一郎君はどうなったんだ」
美子が、『久美は』と言ったあたりから不安が膨らんでいた。だが、美子はにやりと笑う。
「御頭さんから『人手不足が少しだけ解消された』ってメールが来たわ。考えてもみてよ、彼、久美のストッパーだけじゃなくて、未成熟ながらも反能力者なのよ」
「あ! 御頭さんの部下に!」
俺はホッと力を抜く。美子の言葉を丸ごと信じるほどガキじゃないが、これは嘘じゃない気がする。そういう俺の心の迷いも、美子は判っているような気がする。
「……間賀津は?」
美子は、ああと溜息をついた。
「まあ、予行演習されるんじゃないかな」
ある日見た夢の話をしよう。
それは俺の妄想かもしれないし、エンパスの能力がもたらした幻視かもしれない。
ともかく、間賀津武文は薄暗い独房の中で震えていた。
目の前には三人の人物、スーツ姿の御頭さんと波灘一郎、そしてラフな格好をした久美。
彼女の首には青黒い縫い目があった。
ああ、体は生きていたのだから、これで彼女も人間に戻れたということなのか。
その姿を見て、久美、やめてくれと間賀津が叫ぶ。御頭さんが長々と何かを言った。多分、法律で裁けないので云々、これから先の事を考えると面倒なのでかんぬん――
久美がゆっくりと目を開き始める。
薄暗い独房が明るい光、ピンク色の光に満たされていく。それはあの時俺に押しかかってきた力よりも粘っこく、べたべたとそこら中に張り付く感じがした。
間賀津は悲鳴を上げ、身をよじりながら奥に逃げようとした。だが、ピンクの光に足を取られ、無様に床に転がると炒められた豆のように悶え跳ねまわった。
間賀津の記憶――コンプレックス――そういった物が一瞬見えた。周りが全部馬鹿に見える天才児。だが、成長するにつれ天才はちょっとだけ記憶力がよい普通の男の子になり、周囲は露骨に落胆する。不幸な事に、彼の自尊心は巨大になってしまい、結果、彼はひねくれた。そしてイジメ、イジメられの負のスパイラル。そこから抜けるために彼はイジメた相手を呪殺する。両親を生贄にしてだ。彼はそのまま呪術にはまり、金銭欲、自己顕示欲、高い自己評価を満たすためだけに結婚し、子供を兵器に作り替え、邪魔な妻を殺し、そして近い将来、財産が底をつくと考え計画を――
ああ、これ以上は踏み込まない方が良い。
俺は一歩引いたまま、そういった間賀津の全てが押しつぶされていくのを見守った。
後に残ったのは無垢な残骸だけだった。
いや、残骸ではないか。
「ここはどこですか? 僕は――誰なんでしょうか?」
憑き物が落ちたような間賀津の言葉に、御頭さんは、優しい笑顔で、あなたは記憶を失って――というようなことを言っているところで俺は夢から覚めた。
************
「で、これからどこに行くんだよ?」
残ったコロッケパンを食べ終えた俺は、缶コーヒーを飲みながら美子に問うた。
「くだらなければ、即座に帰るからな。ああっと! 本気だからな!? 帰ってやるともさ! 幸いタクシー代もあることだし!」
くびれ鬼編のコメント欄は怖くていまだに覗けないのだが、どうやら俺のキャラは好評なのだそうだ。大学でも友人や知人に見てるよと言われるようになった。まあ、その先の感想は笑って遠慮するのだけれども。
美子はにやりと笑う。
「あらあ? できるかしらねえ、あんたに」
「ど、どういう意味だよ!? 俺はねえ、優柔不断に思われるかもしれないが、やる時は即座に――」
「実はここから山二つ越えた場所で――」
「おい! 山二つも越えんのかよ!? なんだよ、もー! ぜってぇ、朝になってずるずる寝れなくなるパターンじゃん!」
「まーまー、旦那。ここから山二つ越えた湖でね、釣り人が襲われたのよ」
「……は?」
美子はスマホを取り出すと、動画サイトを立ち上げる。二時間前にアップされたその動画は、釣り船の周りを真っ黒く長い影が泳いでいるところから始まった。
「は!? お! おおおおおおっ!!?」
水音! 水面に盛り上がるなにか! 悲鳴! 怒号! 動物の唸り声!
「う、UMAあ?」
腰が抜けそうな俺に、美子は滅茶苦茶嬉しそうに、うんうんと頷いた。
「御頭さんも今、『これどこ扱い?』って頭を捻ってるわよ! で、警察やら消防も駆けつけて、ちょっとしたパニックになりつつある! で、あたしらに話が来た! ただ、これ他の動画サイトの連中も駆けつけてきてるらしいの!」
「よーし、急行だ! とっとと行くぞ!」
「おーう、イダケン、ノリノリじゃないの! そうこなくっちゃねえっっっ!!!」
俺と美子は腕を組んでスキップをしながら車に乗りこんだ。村篠さんが欠伸をしながら車を急発進させる。おばちゃんが衝撃で目を覚まし、またすぐに寝た。
美子はカメラを自分に向け、さあ、出発よ! と叫んだ。
俺も、おうよ! と勢いよく返す。
かくして俺達は、この一時間後に巨大なUMA相手に大立ち回りをしたあげく、また、とんでもない目にあうのだが――
それはまた別のお話。
了
俺は半眼でコロッケパンを咀嚼しながら、そうっすねと投げやりに言った。美子がすかさず台本で俺の頭をばしりとやる。
「食っとる場合かーっ!? おう、新人! ついこの前入ったばっかりなのに、撮影中にコロッケパンをもぐもぐするたあ、いい度胸じゃねえか! ああん!? おうちに緊張感を置いてきちゃったんでちゅかあ? あと半分ください!」
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「今さ、午前四時なんだよ。午前四時~。昨日言ったよね、明日休みだって。だから深夜の撮影頑張れたのにさ、いきなし追加撮影よ。さあ寝るぞってシャワー浴びたら、突如ピンポン連打されてさ――」
「イダケン、めっちゃビビってたわよねえ!」
「ったりめえだろ!」
俺は村篠さんが構えるカメラに向かってまくしたてる。
「午前三時ですよ!? そんな時間にいきなしピンポンピンポンピンポン! んで、玄関ガリガリ引っ掻きやがんだよ、こいつ!」
美子は渋い茶を一気飲みしたような表情で、猫っぽくしなを作った。
「なんだそりゃ」
「雌豹です。あとコロッケパン半分ください」
俺は食いかけのコロッケパンを半分にすると、美子に渡した。美子が齧り付く。
「結構美味いわね! あと雌豹に対するコメントは?」
「いや、コメント困るって! ったく無駄にプロポーションが良いから始末に負えねえ。それと早朝突撃雌豹に関する謝罪は?」
「えー、でも、イダケンちにいきなり訪問するって前に言ったじゃーん」
「言ったけれども! 君! マドモアゼル! 深夜にドアガリガリやって、うううとか呻いちゃってさ! あれでビビらなかったら何にビビるんだよ!? もう、ホントこの女は常識とか――」
「マドモアゼルに常識を問うのかよ?」
村篠さんの冷静なツッコミに、俺は頭を掻きむしる。
「うわーっ! もう寝てえんだよ、俺は! グーグーしたいの! グーグーしたいのおおおおおおっ!!」
「まーまー、イダケン君! これが終わったらさ! マドモアゼル添い寝してあげちゃったりするから! ね?」
「……マジで?」
「マジよマジ。つーか、あたしも眠いから――」
俺は顔を歪めた。
「あー、でも、お前寝相悪ぃしなあ。あと鼾すげーじゃん」
美子は口をOの字にして、お前、それ言ったら戦争だろうがとポキポキした口調で言うと、肩を小突いてきた。俺はその手にしっぺをする。
「よーし、乳繰り合いは十分撮れたんで、そろそろ移動しようぜ。俺も眠いんだよねえ」
村篠さんはそう言って、カメラをこっちに向けたまま車の方に歩き出す。
あれから一月ほど経った。
全身の打撲とアバラや脛のひび、複数の擦過傷もだいぶ落ち着いてきた今日この頃、マド寿美は撮影を再開した。ちなみに間賀津事件は、ほぼカットされた。幻覚の廊下も式神も映っておらず、結局くびれ鬼メインで編集された。俺達の大怪我は、邪眼を食らった時の車内映像を、山の中の映像と編集で繋げて、爆発でやられたことになった。
そして、昏睡状態だった患者たちは、数日後に完全に回復したらしい。森下先生曰く、政府機関からの専門家が診療した途端、全員が回復しだしたとのこと。
しかし、と森下先生は苦笑いした。
「まだ、学生ぐらいの若い女の子に見えたんだよね。自信なくしちゃうよなあ」
「……その子って、もしかしたらサングラスとか、かけてませんでした?」
森下先生は、あれ? という顔をした。
「なんだ、やっぱりそういう系の人なの?」
俺と美子は顔を見合わせ、そして揃って惚けた。森下先生もそれに乗って、話は終わったのだった。
************
あの日、俺は気絶したまま病院に担ぎ込まれ、気がつくと次の日の夜になっていた。ベッドの横で俺と同じく包帯まみれになっていた美子は開口一番、保険適用されるからと言った。
「……やったー」
俺の棒読みの返しに、美子は、うはあっと大きく息を吐き壁にもたれた。
病室は俺と美子以外にいない。だが、それでも美子は俺の耳元で囁いた。
「よくやったわねイダケン。素直に凄いと思うわよ」
俺は包帯に覆われた手で口を覆うと、小声で聞いた。
「二人は?」
「久美は御頭さんが保護したわよ。全くまんまとやられたわ!」
「というと?」
「あの託宣よ! 『新規採用が起きる』ってやつ!」
俺はしばらく美子の顔を見つめ、ああそうか、と掌で額を打った。
「俺の事じゃなくて、あの久美が『新規採用』されるってことかよ……どーりで……」
御頭さんが常に久美を確保する方で動いていたのは、そういうわけだったのだ。確かに危険な要素はあった。だが、あのトレーラーの囲い込みを使えば、久美をいつでも処理はできたのだ。
美子は俺の頬に優しく触る。消毒液もしくは湿布の臭いがした。
「ま、それでも『解決の糸口』は確かにあんたが握ってたわけだからね?」
「……だったらいいんだけどねえ」
美子が謙虚ねえ、と顔を近づけてくる。
「で、今後もやる?」
「……やるよ」
即答だった。
答えてから、今後もマド寿美をやるかって質問かと気づいたが、まあ答えは変わらない。
「どうして?」
「よく判らん」
「……あっそ。ま、今後ともよろしく」
美子はそう言って笑った。
思わず目が泳ぐ。今更ながら照れてしまう。
「あー……ところで久美はこの先どうなるんだ?」
「さあね。まあ海外勢に色々知られちゃったから、国内でひっそりと仕事をしていくんじゃないのかな。あの邪眼なら使い道は幾らでもあるだろうし」
「おい、それって――」
俺の不安そうな声に美子は、天井を見る。
「まあ、あんたが危惧している使われ方もあるでしょうが……久美にストレスをかけすぎたら暴走するかもしれないでしょ? だから違う方で活躍するでしょうね」
「例えば?」
美子はスマホを取り出す。ニュースサイトで国内に滞在していた窃盗団が一網打尽にされたとある。
「……こいつらって――」
「ま、こいつらがオークションの参加者でしょうね。あのヘビモヤシ、仕事が早いんだから。
久美の協力を取り付けたら、邪眼で魅了したうえで、お帰り願っちゃおうってことになると思うわ」
「あ、そういう使い方か……ちなみに覚醒した久美の邪眼の魅了って、どのくらい続くのかな?」
「あたしらの食らったあれ、ガス爆発事故ってなってるけどね、あれ半径三キロメートルまで影響を及ぼしたらしいわ。フルパワーで食らってたら欠片も残ってなかったわね」
「ひぇっ……」
「そんな『今の覚醒した久美』が魅了をぶち込むわけよ? まあ、加減すると思うけども、どっちみち彼女は連中にとって『神聖にして触れざる存在』になるんじゃないかな」
そうか、と胸のつかえが少しとれる。でも――
「それと……一郎君はどうなったんだ」
美子が、『久美は』と言ったあたりから不安が膨らんでいた。だが、美子はにやりと笑う。
「御頭さんから『人手不足が少しだけ解消された』ってメールが来たわ。考えてもみてよ、彼、久美のストッパーだけじゃなくて、未成熟ながらも反能力者なのよ」
「あ! 御頭さんの部下に!」
俺はホッと力を抜く。美子の言葉を丸ごと信じるほどガキじゃないが、これは嘘じゃない気がする。そういう俺の心の迷いも、美子は判っているような気がする。
「……間賀津は?」
美子は、ああと溜息をついた。
「まあ、予行演習されるんじゃないかな」
ある日見た夢の話をしよう。
それは俺の妄想かもしれないし、エンパスの能力がもたらした幻視かもしれない。
ともかく、間賀津武文は薄暗い独房の中で震えていた。
目の前には三人の人物、スーツ姿の御頭さんと波灘一郎、そしてラフな格好をした久美。
彼女の首には青黒い縫い目があった。
ああ、体は生きていたのだから、これで彼女も人間に戻れたということなのか。
その姿を見て、久美、やめてくれと間賀津が叫ぶ。御頭さんが長々と何かを言った。多分、法律で裁けないので云々、これから先の事を考えると面倒なのでかんぬん――
久美がゆっくりと目を開き始める。
薄暗い独房が明るい光、ピンク色の光に満たされていく。それはあの時俺に押しかかってきた力よりも粘っこく、べたべたとそこら中に張り付く感じがした。
間賀津は悲鳴を上げ、身をよじりながら奥に逃げようとした。だが、ピンクの光に足を取られ、無様に床に転がると炒められた豆のように悶え跳ねまわった。
間賀津の記憶――コンプレックス――そういった物が一瞬見えた。周りが全部馬鹿に見える天才児。だが、成長するにつれ天才はちょっとだけ記憶力がよい普通の男の子になり、周囲は露骨に落胆する。不幸な事に、彼の自尊心は巨大になってしまい、結果、彼はひねくれた。そしてイジメ、イジメられの負のスパイラル。そこから抜けるために彼はイジメた相手を呪殺する。両親を生贄にしてだ。彼はそのまま呪術にはまり、金銭欲、自己顕示欲、高い自己評価を満たすためだけに結婚し、子供を兵器に作り替え、邪魔な妻を殺し、そして近い将来、財産が底をつくと考え計画を――
ああ、これ以上は踏み込まない方が良い。
俺は一歩引いたまま、そういった間賀津の全てが押しつぶされていくのを見守った。
後に残ったのは無垢な残骸だけだった。
いや、残骸ではないか。
「ここはどこですか? 僕は――誰なんでしょうか?」
憑き物が落ちたような間賀津の言葉に、御頭さんは、優しい笑顔で、あなたは記憶を失って――というようなことを言っているところで俺は夢から覚めた。
************
「で、これからどこに行くんだよ?」
残ったコロッケパンを食べ終えた俺は、缶コーヒーを飲みながら美子に問うた。
「くだらなければ、即座に帰るからな。ああっと! 本気だからな!? 帰ってやるともさ! 幸いタクシー代もあることだし!」
くびれ鬼編のコメント欄は怖くていまだに覗けないのだが、どうやら俺のキャラは好評なのだそうだ。大学でも友人や知人に見てるよと言われるようになった。まあ、その先の感想は笑って遠慮するのだけれども。
美子はにやりと笑う。
「あらあ? できるかしらねえ、あんたに」
「ど、どういう意味だよ!? 俺はねえ、優柔不断に思われるかもしれないが、やる時は即座に――」
「実はここから山二つ越えた場所で――」
「おい! 山二つも越えんのかよ!? なんだよ、もー! ぜってぇ、朝になってずるずる寝れなくなるパターンじゃん!」
「まーまー、旦那。ここから山二つ越えた湖でね、釣り人が襲われたのよ」
「……は?」
美子はスマホを取り出すと、動画サイトを立ち上げる。二時間前にアップされたその動画は、釣り船の周りを真っ黒く長い影が泳いでいるところから始まった。
「は!? お! おおおおおおっ!!?」
水音! 水面に盛り上がるなにか! 悲鳴! 怒号! 動物の唸り声!
「う、UMAあ?」
腰が抜けそうな俺に、美子は滅茶苦茶嬉しそうに、うんうんと頷いた。
「御頭さんも今、『これどこ扱い?』って頭を捻ってるわよ! で、警察やら消防も駆けつけて、ちょっとしたパニックになりつつある! で、あたしらに話が来た! ただ、これ他の動画サイトの連中も駆けつけてきてるらしいの!」
「よーし、急行だ! とっとと行くぞ!」
「おーう、イダケン、ノリノリじゃないの! そうこなくっちゃねえっっっ!!!」
俺と美子は腕を組んでスキップをしながら車に乗りこんだ。村篠さんが欠伸をしながら車を急発進させる。おばちゃんが衝撃で目を覚まし、またすぐに寝た。
美子はカメラを自分に向け、さあ、出発よ! と叫んだ。
俺も、おうよ! と勢いよく返す。
かくして俺達は、この一時間後に巨大なUMA相手に大立ち回りをしたあげく、また、とんでもない目にあうのだが――
それはまた別のお話。
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