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しおりを挟む私は姿勢を低くすると、懐中電灯を点け足元をのみを照らした。注意すべきは腐った床だが、意外にも私の体重に軋みすらしない。
台所を出て廊下に出る。ドアは全て半開きの状態になっている。前に来た連中が不作法だったのかどうかは知らないが、音を立てる機会が減るのはいい事だ。
鳥の鳴き声が聞こえ、さっと目の前を小さな奴が飛んだ。
驚いた、がそれだけだった。
私の右手にある電話機の乗ったキャビネットから飛んだようだ。
しばらくじっと辺りを伺ってから、また進みはじめる。
手前の部屋は風呂場だった。
ここも鳥の糞の匂いが酷い。鼻を手で覆いながら一歩踏み込むが、足元で何かを踏みつぶした感触があり、一気に糞の匂いが強まった。
目を開けていられないくらいのキツさに、廊下に戻る。
隣はトイレで、便座が跳ね上げられていた。白い陶器製のタンクの上に、鳥の羽が落ちている。
トイレから離れると、更に隣を覗く。
居間、だろうか。丸いテーブル、箪笥や薄型テレビがそのまま置いてあり、上に鳥の糞がうず高く積もっている。畳は黒く変色して、踏むとミリミリと音を立てた。
これはいかんと廊下に戻る。残りの二部屋は両方とも和室で、やはり畳が変色し、鳥の糞がうず高く積もっていた。
この家の噂が何となく形をとってきたようだ。
恐らくは二階の何処かに鳥が出入りする場所があるに違いない。暑い日、寒い日、雨の日などに鳥はこの家の中に避難してくるのだろう。
となると二階はもっと酷い事になっているのか……これ以上臭い場所か……行く価値はあるのだろうか?
いや何を馬鹿な、ここまで来て臭いから、と帰ってどうなる?
私は、ハンカチを簡易マスクにすると階段に足をかけた。
「なんだこれは――」
私は絶句した。
二階の部屋は全部で三つ。大きなベッドが置いてある二つは寝室だろう。
その二部屋は普通だった。普通に鳥の糞が酷い部屋だった。
問題は残りの一つだ。
がらんとして何も家具が置いていない。床も絨毯がひいていない。
その代わり――
鳥籠がぎっしりと吊るしてあるのだ。
私は腰を低くしながら籠部屋に入った。
これは異様だ。一体なんでこんなに大量の鳥を飼っていたのか?
床は所々に糞が山を作っている。
どれだけの鳥が、どれだけの月日をかければこんな量の糞を出せるのか。
試しに一番近くにぶら下がっている籠の中を覗いてみると、埃と糞があるだけだった。鳥の骨や死骸は無い。
そうか、と私は納得した。
この家の主は孤独な人だったのだろう。彼、もしくは彼女はある日突然死んでしまう。心臓麻痺か、闘病の果てか、事故死か、ともかく死んでしまったのだ。
残された鳥達は餌を求め、自力で籠をこじ開けると――インコの類は自力で鍵を開けると何処かで読んだ事がある――家の中を飛び回り、やがて外に出た。だが、日本の気候が合わなかったのか、それともこの家を巣と認識したのか、この場所に今でもいるというわけだ。成程ここなら、烏や猫から逃れてぐっすり眠れるだろう。
そして、家主が死んでから結構な月日が経っているのだろう。鳥達は産み増え続け、家の中はこんな有様になってしまったというわけだ。
じゅんじゅん、じじじ、びゅいびゅいっという鳥の鳴き声が聞こえた。
天井裏らしい。
私は溜息をついた。
真相が判ってしまえば、『噂の家』もただの鳥籠というわけだ。どうりでネットで検証に向かった人間からの報告が無いわけだ。
私はあっさりと最後まで辿りついてしまったことに、涙が出そうになっている事に気がついた。
このジャンルなら、と思ったが……。
私はこめかみをゴツゴツと殴ると、撤収する事にした。
さて、撮影するとなれば――やはりこの部屋か。
私はスマホを取り出すとカメラを立ち上げた。
全体と、籠、それと何枚か――まずは、糞まみれだが床を――
ん?
私は違和感を感じ、靴先で床の糞を少しどかした。酷い臭いと共に、すり消えた白い線が床に現われる。
は?
ここで、死んだのか?
ここで、白骨死体が見つかったのか?
私はたくさんの鳥籠を見上げた。
この籠の下で、鳥達に見降ろされながら死んでいったのか?
ん?
私はさっき覗いた一番手近にある鳥籠を懐中電灯で照らした。
籠の斜め上の部分が、爆発でもしたかのように内から外へ骨組みが曲がっている。
なんだ――鍵を開けて出たんじゃなく――籠をこじ開けたのか?
それは、一体どんな鳥なのだ?
ごつり、と何かが踵にぶつかる。
糞の山から足を抜くと、赤黒い何かがごろりと転がった。懐中電灯に照らされたそれは、どろりとした液体にまみれ、てらてらと光っている。
頭蓋骨。
腐った肉片がこびりついた、人の頭の骨。
じゅんじゅん、じじじ! じゅんじゅん、じじじ!
びゅいびゅいびゅいびゅいっ!
天井が落ちてくるような鳴き声の嵐に、羽ばたきの音。酷く重い何かが上で跳ねる音。がりがりと木の板を引っ掻く音がすると、強烈な腐臭とともに、何か大きな物が部屋の隅に落ちてきた。
腐臭――獣臭――いや、鳥の臭い!
私は前方を睨みつけながら、ゆっくりと籠部屋から出ようとした。
びゅいっびゅいっ! どんどんっ。ぎしっ。
じじじじじじっ! どんどんっ。ぎしっぎしっ。
メシメシ、バタンバタン! ばさばさっじじじじじ! どんどんどんどん!
私が乗っても軋み一つ立てなかった階段を、何かが大きな声で鳴きながら、飛び跳ねるように上がってくる。
私は手近にあった寝室に滑り込むとドアを閉めた。入り口横にあった鏡台をひっくり返し、扉に立てかけるや、外に何か大きな物が打ちつけられた。
じーじー! ばさばさばさ! ごっごっごっごっごっ!
白骨。
報告されない検証結果。
ドアがたわみ、ささくれ立つ。
私はゆっくりと後ろに下がると、窓を調べた。
妙に分厚いガラスが一枚、鍵も無く窓枠にガッチリ固定してあるようだった。
その時、鏡台を立て掛けた時に散らばった小物の一つが、私の目に飛び込んできた。
写真立て。
中に入った古びた写真には、南洋の植物に囲まれ、肩に大きな鳥を乗せ、微笑んでいる女性が写っている。
糞にまみれた写真立てから、老婆があの笑いを投げかけてくるのだ。
ああ、そういう事か。
鏡台が吹き飛び、壁にぶち当たって粉々に壊れた。
ドアの透間から、真っ青な大きな羽毛の生えた物が勢いよく突き出てきた。
じゅんじゅん、じじじじじ!
歓喜に震えているのか、それは頭の上に真っ赤なとさかを開いた。まるで削岩機のように床を突きながら、それはどんどんと部屋に体をねじ込んでくる。
と、削岩機の先端がばくりと開いた。
ピンク色のひだが三重に並んだ、毒々しい花のような口内。
鳥はさっと首を伸ばすと、私の頭めがけて凄まじい勢いで口を閉じた。
ばぢんっと裁断機のような音が部屋に響き、私は声を上げ、ぬるぬるの床を転がる。糞に隠れていた細長い骨が糸を引いて舞い上がり、鳥はひぃぃぃっと電車のブレーキみたいな声を上げ、でっぷりした腹を部屋にねじ込み終わると、勢いよく翼を開いた。
壁から壁へと届く、真っ黒なカーテン。
あの婆さんにまんまと一杯喰わされたか。
ネットに情報を流して、興味を持って侵入してきた連中を生餌にしているわけだ。
いつかは破綻する馬鹿な計画だが、その時には、ここら一帯の住人が太刀打ちできないくらいの数に増えているのかもしれない。
いや、畑の骨を思い出せ。きっともう、密かに始まっているに違いない。
もしかしたら、そのうち日本はこいつらに――
鳥が襲いかかってきた。
稲妻のような速さで繰り出された嘴が、太腿に大きな穴を穿つ。血が吹き出し、私はがっくりと膝をつく。
ドアの透間から二匹目、そして三匹、四匹と続々と鳥が覗きこんでくる。
再び繰り出された嘴に、反射的に翳した手が、細かい痛みと共に穴だらけになっていく。
酷い痛みが私の体を満たしていく。
私は笑いだした。
あの籠の分、まだまだ廊下にいるに違いない。どうやったって外には逃げられないのだ。
ならば、やることは一つしかない。
鳥は首を再び鞭のようにしならせ、私の顔にとどめの一撃を加えようとする。
それは、あまりにも単調すぎた。
グエッ!
鳥のえずく声が部屋に響く。ドアの透間から体を潜り込ませようとしていた鳥達が動きを止める。
私は鳥の首を鷲掴みにし、力の限り絞めあげた。
羽毛の下でぶるぶると筋肉が痙攣し、鍵爪のついた足が床の糞を巻き上げる。
私は穴だらけになった手で拳を作ると、鳥を殴る。
嘴の付け根、羽の付け根、羽毛の薄そうな場所を選び拳を撃ちこむと、鳥は羽を広げ私を包む。
背中に痛みが走った。
こいつ――翼に爪があるのか!
私はまじまじと鳥の顔を見た。
目がやや正面にある。開いた嘴の中に、小さいながらも尖った歯が並んでいる。
「お前、恐竜みたいだな! ははは、始祖鳥みたいなものか!」
私は笑いながら、鳥の首を掴んで床に叩きつけ、引きずり回す。
鳥の鳴き声と、私の叫びが混じり合い、分厚いガラスをビリビリと震わした。
鳥の蹴りが私の腹を薙ぐ。だが、咄嗟に腹筋に力を入れたおかげで傷は浅い。
私は鳥を床に押し付けると、そのまま壁まで引きずって行く。背中が爪でズタズタになる。
だが私はひるまずに、鳥を掴んだまま振りかぶり、壁が凹む勢いで叩きつけた。鈍い音と共に壁一面に真っ青な翼が美しく拡がる。
私は手を放した。
ずるずると鳥は床に落ちると、弱々しい声で鳴いた。
私は鳥に近づくとしゃがみ込み、その目を覗きこんだ。
もう嘴を繰り出してくるガッツは無いようだ。
私は鳥の頭に手を伸ばし――指で羽毛の薄い部分をさらりと撫でた。
鳥は戸惑ったように私を見つめ、それから頭を垂れた。
扉から入ってきた鳥達も、私に頭を垂れる。
そうか――私が打ちのめしたのは、群れのボスだったのか……。
爆発音、悲鳴、車が衝突する音。
屋根の上から辺りを見回すと、地獄がそこかしこにあった。
それを見ながら私は満足していた。
『噂の家』――その真実に辿りついたのだ。
勿論、満腹ではない。今も飢えている。
私の周りには、私の群れの精鋭たちが頭を垂れて控えている。
こいつらは――いや、私達は半端な事はしない。
食べ、増え、また食べる。
終わりなんかない。
食っても食っても、底なんかない。どこにも辿りつかない。
私は地獄に飛び込んだ。
それでいい。
それこそが、私が求めるモノなのだ。
了
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