プロビデンスは見ていた

深月珂冶

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トパーズの憂鬱

トパーズの憂鬱12

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 午前10時を知らせるベルが鳴る。私は「そうだ。仕事中だった」と呟き、慌てて、森本から離れた。
 森本は私を見て笑う。

「……そんな照れなくても」

 森本は優しい顔だった。私は恥ずかしくなって、目を反らす。

「いや、恥ずかしくないよ!ほら!もう用はないよね!また後で」
「はいはい。じゃあな」

 森本は店を出て行った。
 私は森本が出て行った後のドアを見つめた。私は幸せな気分でいっぱいになる。

 両思いというのは、何故、こんなにも素敵な気分になるのだろう。
 私にもかつて、彼氏がいたことがある。
 けれど、いずれも上手く行かずに終わった。

 大体が相手の浮気で終わっていた。逆に言えば、私自身が本気じゃなかったのかもしれない。
 別れる時もそれほど、落ち込むことはなかった。

 けれど、森本と両思いだったことはこれまでになく幸せな気分になった。

 この想いが本物かどうかは、解らない。ただ今は森本が好き。私はそれでいいと思った。

 しばらくすると、宅配便のヤマモトが荷物を持ってやってきた。

「川本宝飾店様ですね?お届けものです」
「はい。只今」

 私はヤマモト宅配便の宅配員の応対をした。
 宅配員の出す伝票にサインをする。荷物は景品でお客さんに渡す【アメジストのピアス】だった。

「ありがとうございました」
「いいえ。毎度あり」

 宅配員は元気よく言うと、店を出て行った。
 私は荷物の箱を開封する。ぷちぷちで梱包され、入っていたのは【アメジストのピアス】だった。
 注文内容を確認する。注文した300セットが納品されていた。私は景品を仕舞う。

 店にお客さんは今いない。

 しかし、とぼとぼとお客さんがやってきた。
 11月のこの時期になるとカップルの率が高くなる。今日は何組かの、カップルがやってきた。
 クリスマスに相手へのプレゼントを求めて、やってくる。

 真剣に悩んでプレゼントしたものを、きっと相手も喜んでくれるだろう。

 私は美砂子が和義とどうなったか。その先が凄く気になった。
 人の過去を見る行為は、勝手に盗み見ているようにも思える。
 けれど、見えるのだから、仕方ない部分もある。

 私はガラスケースを見ながら、話し合っているカップルをふと見た。

 とても幸せそうだ。どんな、人にも過去がある。
 それが良い過去か悪い過去か。その本人が決めることだ。
 ただ私は、自分の店に来たお客さんが幸せであることを願った。

 店に生気なく、入ってくる男性のお客さんがいた。私は声を掛ける。

「いらっしゃいませ。あ、藤崎様」
「あはは。どうも」

 藤崎というお客さんは、昨日、指輪を仮予約した人だ。

「とてもお元気ありませんが、何かありましたか?」
「あのー。実は仮予約を解除してもらえませんか?」

 やはり彼女と何かが遭ったのだろう。私は心配になった。

「何かご事情があったのでしょう。解りました」
「いや、本当にすいません」
「いいえ、いいですよ。そういうことも御座いますから」

 藤崎は頭を下げる。その様子は痛々しいものだった。

 人の感情は難しい。簡単にはいかない。
 簡単に変わるものならば、争いも誰かを傷つけることもない。

「クリスマス前に別れることになるかもしれません」

 藤崎はぼそりと言った。

「そうですか。何が遭ったか存じ上げませんが。一度、彼女さんとお話したほうがいいかと」
「そうですね、何かすいません」
「いええ。また何かご希望のものがありましたら、ご遠慮なく言って下さい」

 私は笑顔で言った。藤崎は涙目になる。藤崎は一礼し、店を出て行った。
 藤崎と彼女の間に何が遭ったのか。
 知ることもないが、昨日までの幸せそうな藤崎を思うと可哀想に思えた。
 どうか、藤崎と彼女が修復出来ることを心の中で願った。

 今日もそれほど、忙しくはなかった。

 今日、売れたのは、ラピスラズリのネックレス、ティファニーのエメラルドの指輪、アクアマリンのブレスレットなど。

 どのお客さんも二万円以上のお買い上げだったので、【アメジストのピアス】を進呈した。
 クリスマスキャンペーンは上手くいくかもしれない。渡されたお客さんの反応も良い。
 何も大きい問題もなく、今日の営業が終わるかと思った。
 そんな時だった。

 営業終了間近に、一人の女性のお客さんが入ってきた。私はすぐにそれが誰か解る。
 戸松とまつ由利亜ゆりあの育ての母親、文芽《あやめ》だ。
 文芽は私と目が合うと会釈した。私はそれを返す。文芽の表情は表情が固かった。

「いらっしゃいませ」

 私は挨拶をした。文芽の表情はあまり明るいものではない。文芽が言う。

「あの。少しお話いいですか?」
「ええ、いいですよ。椅子、ご用意しますね。あと、店のシャッター閉めますね」

 私は店のシャッターを閉め、閉店の看板を出す。
 私は椅子を用意し、座ってもらうよう促す。

「すいません、これに」

 文芽はそれに座る。

「唐突ですが、うちの由利亜がここに来ていますよね?」

 私は由利亜から、文芽に秘密にするように言われていない。
 だが、正直に言っていいものだろうか。迷った挙げ句、嘘をつく。

「いえ。来てませんが」
「そうですか。すいません」

 文芽は落ち込んだ様子だった。文芽はここに来たと思っていただろう。
 この辺りで、宝石買取をしている店は少ない。必然的にここにくるからだ。


「いえ。あの。紅茶、持ってきますね」
「いや、いいですよ」

 文芽の言葉を遮って、私は給湯室に行く。
 文芽は私の能力を知っているのだろうか。私は文芽が知らないままでいることを願った。

トパーズの憂鬱12(了)

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