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白くて大きな犬は両目を閉じてこちらを見ていた。

興奮してるのか口を開けて息を荒くしてる。


「あっ・・!こら!茶々!キッチンに入っちゃだめだろ?」


そう言ってお茶碗を持った若そうな男の人が犬の頭を撫でた。


「ここで飼ってるんですか?」


私は側に行き、犬の体をそっと撫でた。

ふわっふわな毛が何とも言えないくらい気持ちよく、目を閉じて笑ってるような顔をしてるのも何とも言えないくらいかわいい。


「そうなんですよー。こいつ、茶々丸って名前なんスけど、両眼がないんです。」

「え・・?眼がない・・?」

「だいぶ前に潰しに行った組にいた犬なんスけど、虐待されてたみたいで、全身毛は無かったですし、切り傷も無数にあったんですよ。もうその時に眼も無くて、若頭・・・今の組長が連れて帰ることを決めたんス。」

「へぇー・・そうなんですか・・・。」


色々疑問に思う単語が出てきたことは置いときながら、私は茶々丸をぎゅっと抱きしめた。


「よかったね、ここで大事にしてもらって・・・。」


抱きしめると茶々丸の温かい体温が伝わってくる。

確かに『生きてる』ことを感じれるものだ。


「目が見えないならどうやって暮らしてるんですか?」

「あぁ、うちに来た最初のころは壁とかにぶつかりまくってましたけど、しばらくしてぶつからなくなったんですよ。場所を覚えた・・みたいな?」

「!!・・・賢いんですね!」

「そうなんスよー。なんか?ダメなやつとか分かるみたいで、変なの来たら唸るんですよねー。」

「へぇー・・・!匂いとか・・ですかね?」

「わかんないっス。」


『犬は賢い』ということをよく聞く気がする。

きっと茶々丸も賢くて、この家で暮らすためにがんばったんだろう。


「えらいね、茶々丸ー。」


撫で繰り回すと嬉しそうに顔を上げてくれる茶々丸。

犬を飼うことに少し憧れがあった私は、この時間を目いっぱい楽しませてもらおうと思って茶々丸を撫でた。

でも撫でられることが嫌になったのか、茶々丸はすぐにどこかに行ってしまったのだ。


(もっと撫でたかったなー・・。)


動物相手に無理はさせれない。

また機会があったら触らせてもらおうと思い、私はシンクに向かった。

水に浸けて置いたお茶碗を洗おうと手を伸ばしたとき、茶々丸の声が聞こえてきたのだ。


「わんっ!」

「え?」


振り返ると私の足元にいた茶々丸。

口に白いお皿を咥えて座ってる。


「え?え?もしかして・・・ごはん?」

「わんっ!」


明らかに『食事』を欲してるような吠え方に持ち物。

どうしたらいいのかわからずにいると、さっきの男の人が茶々丸のお皿をパッと取り上げた。


「こーら、メシはまだだろ?」


そう言われて明らかにシュン・・・としてしまった茶々丸。

何かないかと思って辺りを見回すと、大きなバスケットに果物があるのが見えた。


「リンゴって・・・あげても大丈夫ですか?」


そう聞くと男の人はバスケットを見た。


「あぁ、大丈夫ですよ?」

「なら・・・・」


私はバスケットからリンゴを一つ取り、包丁で半分に割った。

そしてその半分をまた半分にし、小さくなるように切っていく。


「喉つめちゃだめだよ?」


男の人が取り上げたお皿に並べ、床に置く。

すると茶々丸はリンゴの匂いを嗅いで、ばくばくっと食べていった。


「ふふっ・・・かわいい・・・。」


匂いを頼りに食べていく姿に心が痛む。

眼が見えていたら茶々丸の世界はもっと広がるのに・・・と。


「あ、食器、洗っちゃうのでみなさんの分、集めてもらっていいですか?」


さっき茶々丸のお皿を取り上げた人にそう聞くと、驚いた顔をしながら両手をぶんぶんと横に振り始めた。


「やっ・・!姐さんにそんな家政婦みたいなことさせれないんスけど・・・」

「姉さん?・・・私、野崎 柚香っていいますけど・・・?」

「あー・・・えっと・・・」

「苗字でも名前でもどちらで呼んでいただいてもいいんですけど・・・あなたのお名前も聞いていいですか?」


そう聞くと男の人は困ったような顔をし始めた。

何かきまずいことでもあるのかと思ってると、やがて諦めたかのように笑顔を見せた。


「・・一平です。柚香さん。」

「一平さんですね。教えてくださってありがとうございます。」

「いえ・・・、というか、洗い物は俺たちに任せてください!」

「でも・・・」

「ほら!和服!濡れちゃいますし!」

「あ・・・」


大量に洗い物をしようと思ったら確かに袖が濡れてしまいそうだった。

タスキが無いことから袖を始末することもできないし、仕方なくここはお任せすることに。


「すみません、お願いします。」

「ありがとうございます!!」

「?」


よくわからないお礼を言われ、私はキッチンを後にした。

食堂の部屋からも出て、とりあえず広いお家の中を歩いて回る。


「『どこに行ってもいい』って園田さんは言ってたけど・・・さすがにダメだよねぇ・・・。」


食堂を出たときに一緒についてきてくれた茶々丸に聞くと、茶々丸は首を傾げるようなポーズを取って見せていた。


「ふふ、茶々丸っていい名前だね、茶々って呼んでいい?」

「わんっ!」

「ありがと。」


茶々と一緒にぐるぐる家の中を歩き回り、私は結局あの中庭の所に戻って来た。

廊下で壁にもたれるようにして座り、茶々と一緒に庭を見つめる。


「・・・ねぇ、茶々?私ね、結婚を考えてる人がいるんだけどね、今・・・悩んでるの。」

「わんっ?」

「悩んでるっていうより、自分の考えがわからないって表現した方が正しいと思うんだけど・・・」


私は隣に座る茶々を撫でながら、今、思ってることを全部口にしていった。

健太に怒られる毎日は終わりがくるのだろうかとか、怒られる毎日は普通なのだろうかとか、疑問に思っていたことを茶々に聞いていく。

茶々はそんな私の言うことなんてわからないだろうけど、それでも側にいて聞いてくれてるだけで心の中が整理されていくような気がした。


「このままで・・・いいのかな・・・。」


寒空の下に私を追い出した健太は私を探してるんだろうか。

『悪いことをした』と思ってくれてるんだろうか。

謝ってくれるのだろうか。

私はこのまま健太と一緒にいて・・・幸せなんだろうか。


「難しいね、幸せって。」


人の喜んでる顔は好きだ。

誰かのために何かをすることも好きだった。

でも・・


「怒られたり怒鳴られたりするのって違うよね・・・。」


褒めて欲しいって気持ちが無いと言ったら嘘になる。

健太が望むものを用意できない私が悪いといえばそれまでだけど、『結婚』という一生一緒に生きる選択を取るのなら、思いやりがないとやっていけない。

お互いに思いやりを大切にして一緒に過ごしていくか、片方が一生我慢するかしかないのだ。


「私が我慢・・・人の寿命は100年時代だから、あと80年我慢・・・?」


気が遠くなるような年月だ。


「いっそのこと、このまま行方不明になれたら・・・」


そんなことを思いながら、私は茶々にもたれかかった。

ふわふわの毛が何とも言えないくらい気持ちがよく、そのままうとうとし始めてしまう。


「帰りたくない・・・よ・・・」


温かい茶々にもたれながら、私は夢の世界に旅立ってしまったのだった。






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