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感情を抑えろ
「アイラ様のお姿がないことに、ひどく不審そうな顔を……。そして、『陛下から賜った火傷の軟膏が、きちんと保管されているか確認しに参った』と、アイラ様の、このお部屋の中を……」
「……!」
「わたくし、必死でお止めしたのですが……あの方が、お帰りになった後、わたくし気づきましたの。アイラ様が大事になさっていたあの、すみれの押し花が入った小さな小箱が……」
「まさか……」
私は、寝台の脇にある小さな小物入れに駆け寄った。いつも、フリードの手紙と羊皮紙はドレスの胸元に、でも、あのすみれの押し花だけは、万が一のためにこの箱に隠していたのに。
箱の中身は消えていた。
「……アイラ様」
マリーが、泣きそうな声で私の名前を呼ぶ。
フェリシア様が、私に疑念を持ち始めた。フリードと会っていたことがバレた? それとも、あの羊皮紙の切れ端の存在を疑っている? いいえ、違う。あの、すみれの押し花はフリードが私に贈ってくれた二人だけの思い出。それが私の部屋から、正妃フェリシア様の侍女長の手によって持ち去られた。
朝。翡翠宮の回廊を歩いていると、向かいからその侍女長がやってきた。彼女は、私を見ると足を止めて深々と頭を下げた。
「ごきげんよう、アイラ様。昨夜は、陛下のお見舞いの品、軟膏の確認とはいえ夜分に失礼いたしました」
その声は、何の感情も含まない磨き上げられた硝子のようだった。
「……ええ。ご苦労様でした」
「アイラ様のお部屋は、いつも清らかで素晴らしいですわね。……ただ」
彼女は、ゆっくりと顔を上げた。その目は笑っていなかった。
「……時折、故郷の古くなった『押し花』などが、紛れ込んでいることもあるやもしれませぬ。そのようなものは埃を呼び、アイラ様の御身に障りますゆえ、わたくしどもでお掃除させていただきますわ」
私の宝物を返せ泥棒と叫びたい。叫びたいけど、落ち着け私。パニックは一旦ゴミ箱に捨てろ。
「ありがとう。助かるわ」
私は微笑んだ。できるだけ優雅に。できるだけ何事もないかのように。侍女長が再び頭を下げ、私の横を通り過ぎていく。そのすれ違いざま、彼女が落としていった冷たい空気の塊が、私の首筋にべったりと張り付いたようだった。
もう、後宮のすべてが敵に見えた。侍女たちのささやき声も、庭師の刈り込む枝の音も、何もかもがフェリシア様の目であり、耳であるような気がして息が詰まる。
侍女長の言葉は警告だ。フェリシア様が私の命を狙っている――そう思わずにはいられなかった。
(フリード様……)
今、彼にこの恐怖を伝えるすべもない。
「アイラ様」
部屋に戻ると、侍女のマリーが青ざめた顔で小さな包みを差し出した。
「こちらは?」
「……皇太子殿下のご側近、ギルバート様からです。庭師に変装して、裏口に」
フリード様からの返事。私は震える手で包みを開いた。
『親愛なるアイラへ。君の身が、今一番危ない。 エルミーヌ(元イリスの侍女長)は、宮廷の薬草師と頻繁に接触している。 だが、まだ尻尾は掴めない。 私の全てをかけて君を守る。 どうか君も、君自身を守ってほしい。君のフリードより』
(フリード様も、戦ってくださっている)
恐怖で縮こまっていた心が、彼の文字を見ただけで温かくなる。こんなことで怯んでいてはダメだ。私も強くならないと。
その日、私は何事もなかったかのように、レオン皇子の宮へと向かった。あの可愛げひとつなく、気難しく、しかも素性まで疑われている皇子様のもとへ。
「……来たのか」
レオン皇子は、いつもと同じように寝椅子に寝そべって分厚い本を読んでいた。けれど、この前と違うのは私が入っていくとすぐに本を閉じて、その黒い瞳でじっと私を見つめてきたことだった。
「……!」
「わたくし、必死でお止めしたのですが……あの方が、お帰りになった後、わたくし気づきましたの。アイラ様が大事になさっていたあの、すみれの押し花が入った小さな小箱が……」
「まさか……」
私は、寝台の脇にある小さな小物入れに駆け寄った。いつも、フリードの手紙と羊皮紙はドレスの胸元に、でも、あのすみれの押し花だけは、万が一のためにこの箱に隠していたのに。
箱の中身は消えていた。
「……アイラ様」
マリーが、泣きそうな声で私の名前を呼ぶ。
フェリシア様が、私に疑念を持ち始めた。フリードと会っていたことがバレた? それとも、あの羊皮紙の切れ端の存在を疑っている? いいえ、違う。あの、すみれの押し花はフリードが私に贈ってくれた二人だけの思い出。それが私の部屋から、正妃フェリシア様の侍女長の手によって持ち去られた。
朝。翡翠宮の回廊を歩いていると、向かいからその侍女長がやってきた。彼女は、私を見ると足を止めて深々と頭を下げた。
「ごきげんよう、アイラ様。昨夜は、陛下のお見舞いの品、軟膏の確認とはいえ夜分に失礼いたしました」
その声は、何の感情も含まない磨き上げられた硝子のようだった。
「……ええ。ご苦労様でした」
「アイラ様のお部屋は、いつも清らかで素晴らしいですわね。……ただ」
彼女は、ゆっくりと顔を上げた。その目は笑っていなかった。
「……時折、故郷の古くなった『押し花』などが、紛れ込んでいることもあるやもしれませぬ。そのようなものは埃を呼び、アイラ様の御身に障りますゆえ、わたくしどもでお掃除させていただきますわ」
私の宝物を返せ泥棒と叫びたい。叫びたいけど、落ち着け私。パニックは一旦ゴミ箱に捨てろ。
「ありがとう。助かるわ」
私は微笑んだ。できるだけ優雅に。できるだけ何事もないかのように。侍女長が再び頭を下げ、私の横を通り過ぎていく。そのすれ違いざま、彼女が落としていった冷たい空気の塊が、私の首筋にべったりと張り付いたようだった。
もう、後宮のすべてが敵に見えた。侍女たちのささやき声も、庭師の刈り込む枝の音も、何もかもがフェリシア様の目であり、耳であるような気がして息が詰まる。
侍女長の言葉は警告だ。フェリシア様が私の命を狙っている――そう思わずにはいられなかった。
(フリード様……)
今、彼にこの恐怖を伝えるすべもない。
「アイラ様」
部屋に戻ると、侍女のマリーが青ざめた顔で小さな包みを差し出した。
「こちらは?」
「……皇太子殿下のご側近、ギルバート様からです。庭師に変装して、裏口に」
フリード様からの返事。私は震える手で包みを開いた。
『親愛なるアイラへ。君の身が、今一番危ない。 エルミーヌ(元イリスの侍女長)は、宮廷の薬草師と頻繁に接触している。 だが、まだ尻尾は掴めない。 私の全てをかけて君を守る。 どうか君も、君自身を守ってほしい。君のフリードより』
(フリード様も、戦ってくださっている)
恐怖で縮こまっていた心が、彼の文字を見ただけで温かくなる。こんなことで怯んでいてはダメだ。私も強くならないと。
その日、私は何事もなかったかのように、レオン皇子の宮へと向かった。あの可愛げひとつなく、気難しく、しかも素性まで疑われている皇子様のもとへ。
「……来たのか」
レオン皇子は、いつもと同じように寝椅子に寝そべって分厚い本を読んでいた。けれど、この前と違うのは私が入っていくとすぐに本を閉じて、その黒い瞳でじっと私を見つめてきたことだった。
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