12 / 51
第12話
しおりを挟む
「なぜ、彼女を選んだのですか?」
その言葉が私の口を突いて出た。ずっと心の中に溜まり続けていた疑問が、ようやく表に出た瞬間だった。王太子殿下なら、いくらでも名門の美しい令嬢との婚約を結ぶことができたはずだ。しかし、彼が選んだのは、性格に難があり、周囲を困らせることが多いカタリーナだった。なぜだろう? 何が彼をそこまで引き寄せたのか。
アーロンは、私の目を真っ直ぐに見つめ返してきた。その瞳の中には一切の迷いが感じられなかったし、罪悪感すらも見当たらなかった。その視線を受けた瞬間、私は冷たい汗をかき、心臓が跳ね上がるのを感じた。
「決まっているだろう。幼馴染のカタリーナが、かわいいからだ!」
衝撃を受けた――というよりは、むしろ心の中で『納得した』という気持ちが強かった。逆に軽やかで清々しいほどに感じられた。私が大切にしていた家の名誉も、彼と過去に積み重ねた思い出も、未来に信じていた約束も、一切の価値を失ってしまうほど彼の理由はただ一つ。
“幼馴染がかわいい”それだけだった。何もかもがひっくり返るほど強い力を持ったその一言が、私の心の中で何かを音を立てて壊した。これまで私が抱いていたすべての価値観が、その一瞬で崩れ落ちた気がした。
あまりにも単純で、あまりにも無邪気なその答えに、私は思わず声を出さずにはいられなかった。
「……そうですか」
「ああ。だから、ミリアにとっても、それが一番いい選択のはずだ。俺に執着するのをやめ、カタリーナを許し、すべてを水に流す。そうすれば、お前も楽になれる! そして、カタリーナの魅力的な笑顔や優しさを、じっくりと語り合おう!」
アーロンの頭の中は、何もかもが自己中心的で、驚くほどに私とは違う次元で動いている。どこまでが彼自身の思い込みで、どこからが現実なのか、もうその境界すらも見失いそうだ。こんなにも周囲を無視して、自分の意志だけで動く彼の心の中は、一体どうなっているのだろう?
私はゆっくりと手を額の左側に伸ばした。指先が肌に触れると、そこには思っていた以上の違和感が広がっていた。引きつった皮膚が、無理に引き伸ばされた布のように固くて不自然で、何かが裂けそうなほどにピンと張っている。いつも鏡で見るたびにその変化に気づくたび、私はこの皮膚に何かが刻まれている気がして思わず息を呑んだ。
「殿下」
私が発した声は、自分でも信じられないほどに静まり返っていた。周囲の音がすべて吸い取られてしまったかのように、私の言葉はひとしずくの水滴のようだった。
「なんだ?」
「この顔の傷で、私がどれほどの苦しみを味わってきたか、おわかりになりますか? 鏡を見るたびに、自分の醜さに絶望し、死にたいとさえ思った夜が、幾度あったことか。人々の憐れみと好奇の視線に、心がすり減っていく毎日。あなたが、私に『醜い』『価値がない』と吐き捨てて去っていったあの日から、私の時間は、ずっと止まったままだったのですよ」
アーロンの顔が、わずかながら歪んだ。その表情に、ほんの一瞬、私が見たことのないような揺れ動く感情が浮かんだように感じた。もしかして、少しだけ罪悪感を抱いているのか? それとも、ただの気の迷いか。
しかし、その変化はあまりにも短く、一筋の影が過ぎ去るかのようにすぐに消えてしまった。その後には、いつもの無駄のない表情がすぐに戻り、私にはそれがあまりにも不自然に感じられた。
その言葉が私の口を突いて出た。ずっと心の中に溜まり続けていた疑問が、ようやく表に出た瞬間だった。王太子殿下なら、いくらでも名門の美しい令嬢との婚約を結ぶことができたはずだ。しかし、彼が選んだのは、性格に難があり、周囲を困らせることが多いカタリーナだった。なぜだろう? 何が彼をそこまで引き寄せたのか。
アーロンは、私の目を真っ直ぐに見つめ返してきた。その瞳の中には一切の迷いが感じられなかったし、罪悪感すらも見当たらなかった。その視線を受けた瞬間、私は冷たい汗をかき、心臓が跳ね上がるのを感じた。
「決まっているだろう。幼馴染のカタリーナが、かわいいからだ!」
衝撃を受けた――というよりは、むしろ心の中で『納得した』という気持ちが強かった。逆に軽やかで清々しいほどに感じられた。私が大切にしていた家の名誉も、彼と過去に積み重ねた思い出も、未来に信じていた約束も、一切の価値を失ってしまうほど彼の理由はただ一つ。
“幼馴染がかわいい”それだけだった。何もかもがひっくり返るほど強い力を持ったその一言が、私の心の中で何かを音を立てて壊した。これまで私が抱いていたすべての価値観が、その一瞬で崩れ落ちた気がした。
あまりにも単純で、あまりにも無邪気なその答えに、私は思わず声を出さずにはいられなかった。
「……そうですか」
「ああ。だから、ミリアにとっても、それが一番いい選択のはずだ。俺に執着するのをやめ、カタリーナを許し、すべてを水に流す。そうすれば、お前も楽になれる! そして、カタリーナの魅力的な笑顔や優しさを、じっくりと語り合おう!」
アーロンの頭の中は、何もかもが自己中心的で、驚くほどに私とは違う次元で動いている。どこまでが彼自身の思い込みで、どこからが現実なのか、もうその境界すらも見失いそうだ。こんなにも周囲を無視して、自分の意志だけで動く彼の心の中は、一体どうなっているのだろう?
私はゆっくりと手を額の左側に伸ばした。指先が肌に触れると、そこには思っていた以上の違和感が広がっていた。引きつった皮膚が、無理に引き伸ばされた布のように固くて不自然で、何かが裂けそうなほどにピンと張っている。いつも鏡で見るたびにその変化に気づくたび、私はこの皮膚に何かが刻まれている気がして思わず息を呑んだ。
「殿下」
私が発した声は、自分でも信じられないほどに静まり返っていた。周囲の音がすべて吸い取られてしまったかのように、私の言葉はひとしずくの水滴のようだった。
「なんだ?」
「この顔の傷で、私がどれほどの苦しみを味わってきたか、おわかりになりますか? 鏡を見るたびに、自分の醜さに絶望し、死にたいとさえ思った夜が、幾度あったことか。人々の憐れみと好奇の視線に、心がすり減っていく毎日。あなたが、私に『醜い』『価値がない』と吐き捨てて去っていったあの日から、私の時間は、ずっと止まったままだったのですよ」
アーロンの顔が、わずかながら歪んだ。その表情に、ほんの一瞬、私が見たことのないような揺れ動く感情が浮かんだように感じた。もしかして、少しだけ罪悪感を抱いているのか? それとも、ただの気の迷いか。
しかし、その変化はあまりにも短く、一筋の影が過ぎ去るかのようにすぐに消えてしまった。その後には、いつもの無駄のない表情がすぐに戻り、私にはそれがあまりにも不自然に感じられた。
933
あなたにおすすめの小説
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。
灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。
曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。
婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。
前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。
【短編】ちゃんと好きになる前に、終わっただけ
月下花音
恋愛
曖昧な関係を続けていたユウトとの恋は、彼のインスタ投稿によって一方的に終わりを告げた。
泣くのも違う。怒るのも違う。
ただ静かに消えよう。
そう決意してトーク履歴を消そうとした瞬間、指が滑った。
画面に表示されたのは、間の抜けたクマのスタンプ。
相手に気付かれた? 見られた?
「未練ある」って思われる!?
恐怖でブロックボタンを連打した夜。
カモメのフンより、失恋より、最後の誤爆が一番のトラウマになった女子大生の叫び。
学園では婚約者に冷遇されていますが、有能なので全く気になりません。〜学園でお山の大将されてても、王宮では私の方が有能ですから〜
織り子
恋愛
王都カラディナにある国立魔術学園では、満十六歳の生徒たちの社交界デビューを兼ねた盛大なパーティーが開かれていた。
侯爵令嬢タレイア・オルトランは、婚約者である第二王子アスラン・オグセリアの迎えを待つも、結局ひとりで会場へ向かうことになる。
学園では身分の差がないとはいえ、アスランが公然とタレイアを侮辱し続けてきたことで、彼女は生徒たちから冷笑と蔑視の的となっていた。しかしタレイアは、王城で政務を担ってきた聡明さと矜持を失わず、毅然と振る舞う。
婚約破棄の代償
nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」
ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。
エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。
結婚十年目の夫から「結婚契約更新書」なるものが届いた。彼は「送り間違えた」というけれど、それはそれで問題なのでは?
ぽんた
恋愛
レミ・マカリスター侯爵夫人は、夫と政略結婚をして十年目。侯爵夫人として、義父母の介護や領地経営その他もろもろを完ぺきにこなしている。そんなある日、王都に住む夫から「結婚契約更新書」なるものが届いた。義弟を通じ、夫を追求するも夫は「送り間違えた。ほんとうは金を送れというメモを送りたかった」という。レミは、心から思った。「それはそれで問題なのでは?」、と。そして、彼女の夫にたいするざまぁがはじまる。
※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる