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第46話
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ブラッドの支配は、日々強まっていった。歪んだ教育は、家の中に冷たい空気をもたらし、彼はセリーヌとクロエが自分が描く“理想の家族”の役割を果たせないことに焦りと苛立ちを募らせた。その感情を無言の支配に変えて、ますます妻と子供に圧力をかけるようになった。
セリーヌは、次第に強い危機感を抱くようになった。このままでは自分だけでなく、まだ無垢で純粋な心を持つクロエまでもが、壊されてしまうのではないかという恐怖が彼女の胸を締め付けていた。
ある夜、セリーヌは、ろうそくの淡い光に照らされたクロエの寝顔を見つめながら深い悔いに沈んでいた。娘は無邪気に眠り、口元に微かな微笑みを浮かべていた。その顔を見た母の心は辛さで押し潰されそうだった。
(私の甘さが、クロエにこんな苦しみを与えてしまった」
セリーヌは、自分がこれまでどれほど甘かったのか、あの時、きっぱりとブラッドを拒絶していればよかったのではないかと後悔していた。別れた時、セレニティの館でも中途半端な慈悲をかけてしまったことが、すべての始まりだったと感じていた。
もっと鉄のように冷たい態度で強く自分の意思を通していたなら、今のような状況にはならなかったのかもしれない。私のせいだとセリーヌは自分を責め続けていた。
(この場所から逃げ出そう!)
しかし、後悔の念だけでは何も変わらない。このままでは、何も始まらないことをセリーヌは理解していた。彼女は立ち止まることなく、この暗闇から抜け出さなければならないと心の中で強く誓った。
彼女はもう、誰にも頼らないと決めた。現在の夫・皇帝ルドルフの助けを待つことなく、自分の力で、この状況を打破しなければならない。
(ブラッドの暴走を止められるのは、私しかいない。もう、誰にも頼らない。ルドルフの助けも、今は待てない。この手で。私がクロエを守り抜く。どんな手を使ってでも。たとえ、この手が血に汚れようとも……)
その決意が、セリーヌの瞳に変化をもたらした。母としての慈愛に満ちた瞳が、今は獲物を狙う冷たい獣のような鋭い光を宿していた。それは、愛する我が子を守るためには、どんな手段もいとわないという覚悟を示していた。まさに、母として最も危険な覚悟が彼女の中に燃え上がった。
数日後、予想以上に早くチャンスがやってきた。朝方、まだ眠そうなクロエを抱きかかえ、私は足音を忍ばせながら食料庫の扉を目指していた。目の前にその扉が見え、ようやく脱出のチャンスが訪れたことを実感する。
事前に調べてわかっていた通り、この扉が外に通じる道だ。今は見張りも少なく気配も薄い。何より、ブラッドはきっとまだ寝ているだろう。この瞬間を逃すわけにはいかない。あとは、ほんの数歩の距離。その時だった――
背後から差し込んだカンテラの光が、私とクロエの姿を冷たい床に長く引き伸ばした。
「……どこへ、行くんだ? セリーヌ」
その声が耳に届いた瞬間、心臓が凍りついた。震える手をクロエの背に当て、私はゆっくりと振り返った。そこには、千鳥足でよろけながらも、目だけが不気味にぎらぎらと輝くブラッドの姿があった。手には、飲みかけの酒瓶がしっかりと握られている。
絶望的な気持ちが胸に広がり、喉元が締めつけられるのを感じた。
(もう逃げられない)
そう思った瞬間、足元がふらついて身体が震えだした。
「……クロエが少し、気分が悪いと申しますので……風にでも、当てようかと」
セリーヌは、必死で平静を装い声を絞り出した。自分でも、どこか無理がある言い訳だと感じていた。ブラッドはしばらく黙って私を見つめ、その目は疑わしげに細められた。そして、彼の視線が、私がドレスの袖で固く握りしめているバターナイフに注がれるのが分かった。
「それは、なんだ?」
低く地を這うような声が響く。セリーヌの背筋を冷たい汗が滑り落ちて息が詰まる。心臓が大きく跳ね上がり、手が震えそうになった。
(もう、この男を殺るしかない)
セリーヌは、その瞬間に全てを失ったような気がした。
セリーヌは、次第に強い危機感を抱くようになった。このままでは自分だけでなく、まだ無垢で純粋な心を持つクロエまでもが、壊されてしまうのではないかという恐怖が彼女の胸を締め付けていた。
ある夜、セリーヌは、ろうそくの淡い光に照らされたクロエの寝顔を見つめながら深い悔いに沈んでいた。娘は無邪気に眠り、口元に微かな微笑みを浮かべていた。その顔を見た母の心は辛さで押し潰されそうだった。
(私の甘さが、クロエにこんな苦しみを与えてしまった」
セリーヌは、自分がこれまでどれほど甘かったのか、あの時、きっぱりとブラッドを拒絶していればよかったのではないかと後悔していた。別れた時、セレニティの館でも中途半端な慈悲をかけてしまったことが、すべての始まりだったと感じていた。
もっと鉄のように冷たい態度で強く自分の意思を通していたなら、今のような状況にはならなかったのかもしれない。私のせいだとセリーヌは自分を責め続けていた。
(この場所から逃げ出そう!)
しかし、後悔の念だけでは何も変わらない。このままでは、何も始まらないことをセリーヌは理解していた。彼女は立ち止まることなく、この暗闇から抜け出さなければならないと心の中で強く誓った。
彼女はもう、誰にも頼らないと決めた。現在の夫・皇帝ルドルフの助けを待つことなく、自分の力で、この状況を打破しなければならない。
(ブラッドの暴走を止められるのは、私しかいない。もう、誰にも頼らない。ルドルフの助けも、今は待てない。この手で。私がクロエを守り抜く。どんな手を使ってでも。たとえ、この手が血に汚れようとも……)
その決意が、セリーヌの瞳に変化をもたらした。母としての慈愛に満ちた瞳が、今は獲物を狙う冷たい獣のような鋭い光を宿していた。それは、愛する我が子を守るためには、どんな手段もいとわないという覚悟を示していた。まさに、母として最も危険な覚悟が彼女の中に燃え上がった。
数日後、予想以上に早くチャンスがやってきた。朝方、まだ眠そうなクロエを抱きかかえ、私は足音を忍ばせながら食料庫の扉を目指していた。目の前にその扉が見え、ようやく脱出のチャンスが訪れたことを実感する。
事前に調べてわかっていた通り、この扉が外に通じる道だ。今は見張りも少なく気配も薄い。何より、ブラッドはきっとまだ寝ているだろう。この瞬間を逃すわけにはいかない。あとは、ほんの数歩の距離。その時だった――
背後から差し込んだカンテラの光が、私とクロエの姿を冷たい床に長く引き伸ばした。
「……どこへ、行くんだ? セリーヌ」
その声が耳に届いた瞬間、心臓が凍りついた。震える手をクロエの背に当て、私はゆっくりと振り返った。そこには、千鳥足でよろけながらも、目だけが不気味にぎらぎらと輝くブラッドの姿があった。手には、飲みかけの酒瓶がしっかりと握られている。
絶望的な気持ちが胸に広がり、喉元が締めつけられるのを感じた。
(もう逃げられない)
そう思った瞬間、足元がふらついて身体が震えだした。
「……クロエが少し、気分が悪いと申しますので……風にでも、当てようかと」
セリーヌは、必死で平静を装い声を絞り出した。自分でも、どこか無理がある言い訳だと感じていた。ブラッドはしばらく黙って私を見つめ、その目は疑わしげに細められた。そして、彼の視線が、私がドレスの袖で固く握りしめているバターナイフに注がれるのが分かった。
「それは、なんだ?」
低く地を這うような声が響く。セリーヌの背筋を冷たい汗が滑り落ちて息が詰まる。心臓が大きく跳ね上がり、手が震えそうになった。
(もう、この男を殺るしかない)
セリーヌは、その瞬間に全てを失ったような気がした。
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