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決戦! 地区別運動会

戦い終わって日が暮れて(4)

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「志信ちゃん、大丈夫だった?」

 和美が声をかけてくれて、志信は少し落ち着いた。

「ごめん、皆、大丈夫だった?」

 調理室へ行っていたのか、鍋を持ったまま佳織もすぐ近くにいた。

「本当は私が気をつけてなきゃいけなかったのに……」

 北海道東北チームで、志信達の同室でもある佳織が、責任を感じたように申し訳なさそうに言った。

「あー、多分、怪我とかはしてなさそうなんで、大丈夫です、佳織先輩、そのお鍋、運んじゃって下さい」

 少し落ち着いたのか、志信も余裕を見せる。

 ひとしきり、周囲の上級生達からの心配の声に答え、すぐにその場を立ち去るのもバツが悪かったので、志信と和美と亜里沙、そして、鍋をテーブルのカセットコンロに置いた佳織がまざって、女子だけで輪になり、少し話をした。

「本当にゴメンね、鹿野さん、今日は外でコンパがあるって聞いてたから、油断してた」

 もう一度佳織は志信に謝った。

「いや、そんな、佳織先輩に謝ってもらう必要は……、でも、鹿野さんって、要注意人物だったんですか?」

 あんな事のあった後なので、志信もわりと遠慮が無い。

「あー、そうだねえ……」

 佳織は、ちょっと言いにくそうに周囲を見ながら、言葉を選んでいるようだ。

「鹿野さん、またやらかしたって?」

 ロビーで羊谷にかつがれていく鹿野を見たのだと、晶子も話の輪に入ってきた。

「はい……、ショーコ先輩、私、ちょっと調理室に行ってて……」

「いや、佳織ちゃんは悪くないよ、あんなの、予想できないし」

 佳織から、クーラーボックスに入っている冷えた缶ビールを受け取りながら、晶子はプシュっとプルトップを開けて、喉が乾いていた様子でごくごくと飲み干した。

 晶子も、打ち上げ準備で、あまり飲んでいなかったクチのようだ。

「ぷは~ッ、冷えてて美味しい~、って、ゴメンね、おっさんみたいで」

 晶子のような美女が缶ビールを美味そうに飲み干す様子は、ビールのコマーシャルのようで、まだ飲めない志信でも『美味しそうだな』と思わせる。

「鹿野さんはさー、シラフだとわりと気弱な感じで、おとなしーい人なんだけどねー、なんでか、酔っ払うとタガが外れるというか、羽目を外し過ぎちゃうところがあるんだよねー」

 晶子がそんな風に言うと、佳織ももう、周囲の目をあまり気にしなくなっているのか、素直に言った。

「学部別コンパとか、ブロック別コンパでは、見かけなかったんですけどね、さすがに四年生だし、忙しいのかなって思ってたんですけど……」

 佳織が言うと、

「地区別は、新入生の参加率が高いから、来たかったんじゃなかな」

 周囲も気にせずに晶子が言った。

「でも、前もって飲んで、泥酔状態で来るなんて、狙っていたとしか思えません」

 憤慨しているのか、佳織も遠慮なくズバリ言ってみせた。

「それは、わざとセクハラしに来たって事ですか?」

 亜里沙もハッキリと言った。

「今回は、相手が女の子だったから、セクハラって事になるんだけど、多分、ここにいたのが一年生男子だったとしても、似たような事にはなっていたんじゃないかとは思うんだよね、悪意があって、ってわけじゃないんだろうけど、酔うと少し距離感がね……」

 苦々しい顔で晶子が言った。

 だけど、だからといって会場から締め出すわけにもいかず、結局、目端のきく人間が目を光らせるしかないという状況なのだ、とも。

「悪意がなくて距離感が微妙な人か……、それは、なんか、やっかいな人ですね」

 和美がつぶやいた。

「鹿野さんが下級生だったころは、多分、ああいうノリでも許されていたのかな? ってのはあるのよ、でも、上級生になっちゃうとね……」

 晶子もわずかに歯切れが悪い。

 そう、今までは、他に言いようがないので、あえて『被害者』とするが、被害者側が、ああいう人なのでしょうがないとあきらめていたようなところもあったのだろう。

 しかし、いつか、それを許さない『被害者』が現れた時に、鹿野はどうするつもりなんだろう。志信は思いつめたように視線を落とした。

「私、鹿野さんにちゃんと謝ってもらおうと思います」

 今までの『被害者』がどうだったかは知らない、しかし、ここで志信が『我慢』すると、鹿野はまた、同じ事を誰かにするんだろう。その相手は、和美かもしれないし、亜里沙かもしれない。

「そうだね、それがいいよ、私も、見てたし、証言する」

 亜里沙が言った。

「私は、やめた方がいいと思う」

 反対したのは和美だった。

「私、鹿野先輩がどんな人かは知らないけど、ああいう人は、口先だけ謝って、多分同じ事を繰り返すよ、志信ちゃんは、多分鹿野先輩のために、自覚して欲しくて自分から動こうとしてるのかもしれないけど、逆効果だよ、一方的に志信ちゃんが悪者にされるか、下手をすると執着されて、面倒な事になるよ」

 めずらしく、感情的に自分の考えを話す和美は、新鮮だった。

 志信の方も、そこまで深くは考えていなかったので、即座に和美に言葉を返すことができなかった。

 気まずい沈黙が流れる。

「ここで欠席裁判やってもしゃーない、ナオキさん寝かしたんで、後日当人同士で話合う他ないだろ」

 沈黙を破ったのは悠嘉だった。

 鹿野を部屋へ連れて行った悠嘉と慎吾は、様子を見に戻って来たのだった。

「そだね、佳織、皆、そろそろ戻った方がいいね」

 晶子にそう言われて、佳織が、

「そうだね、じゃ、行こうか」

 と、志信たち三人を連れて部屋へ戻ろうとすると、帰りしなに悠嘉が和美に言った。

「なあ、猪俣……だっけ? なんか、怖い目にでも合った事あんの」

 その言葉に、和美の顔色が変わった。

「悪い、俺が言える事じゃないけど、ナオキさんの距離感も独特だけど、猪俣の距離の取り方も、ちょっと変わってるんじゃね?」

 佳織が、とがめるように悠嘉をねめつけると、悠嘉は行き過ぎた自分の言葉を飲み込むようにして、佳織を見返した。

「さっ、行こうか」

 佳織に促され、志信達は娯楽室を後にした。
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