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【5】忘年会前夜

(2)@一刻寮 ケンポナシエフェクト

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 大忘年会実行委員の三名、蟻川、鯨井、魚沼の三人は、眠い目をこすりながら、小娯楽室に詰め、ずっと持ち込まれたままのホワイトボードのタスクリストを次々潰していた。

 食材部隊、酒調達部隊、近隣挨拶回り部隊と、会場設営部隊のそれぞれを見回し、チェックのつかない酒調達部隊のタスクを見ながら、蟻川はため息をついた。

 常木のバイト先は一刻寮生御用達の大型リカーショップであり、大規模なコンパが開催される場合は事前に予約を入れて準備をするのが常だった。

 しかし、先日密やかに行われたケンポナシ事件対策の為に、仕入れ先を変えたのだ。

 その判断は、蟻川、鯨井、魚沼の三名の独断で行われた。

 他の酒屋にする事で単価が上がるかと思いきや、昨年の数字を使って見積もりを出したところ、随分勉強した価格が出された。

 昨今、大口で酒を購入する顧客は減少傾向にあるそうで、面子が変わっても継続的に取引のありそうな大学学生寮は商売相手としてうまみがあるように思われたようだ。

 仕入れ先を変えた事で、常木から文句が出るかとも思ったが、特に何も無かった。

 参加者から見れば、必要な量が揃っている事が大切なのであって、それらがどこから仕入れられているかというのは、関心の外にあるようで、今のところ、予算を下回る額での仕入れができているという意味で、仕入れ先変更についてはメリットしかなかった。

「……なんだよ、ケンポナシ事件って……」

 同室の先輩から、というよりも、留年を繰り返して一刻寮の主と化している鶴来真尋からの差し入れのドリンク剤を手に魚沼が言った。

「実が酒に入ると水になる、と、言われている、一見すると干しぶどうみたいに見れる木の実の事、今回酒が水に変わった、ってところから真尋さんが名付けた」

「へえ、あの人は本っ当に色々知ってるなあ」

「当人曰く、ネットで調べた付け焼き刃で、自分で効能を確かめたわけじゃないけど、だとさ」

「へえへえ、意識の高い事で」

 茶化すように魚沼が言うと、尊敬する先輩に不名誉なレッテルを貼ろうとする態度が鼻についたのか鯨井が少しばかりむっとした。

「そう怖い顔すんなよ、俺だって真尋さんの事はソンケーしてるんだ」

「ソンケー、ね」

 微妙なニュアンスの違いにいらだちを隠せないものの、今はそれを語り合う時間では無いと開き直って鯨井が続けた。

「仕入れ先を変えた事で、常木は何も?」

「別にあいつが営業窓口だったわけでも無いし、歩合給がついてたわけでも無いからな」

「じゃああの仮定については成り立たなくなったってわけか」

 『あの仮定』というのは、常木を通じて発注した『はず』の酒が、納品されず、支払った分を着服しているのでは無いか、という仮定だ。

「気づかれたと思って警戒されているだけの可能性もあるけどな」

「けど、仕入れ先を変えた事で『ケンポナシ事件』は起きないかもしれない」

「でも、起きるかもしれない、全く別のところに犯人がいる可能性もあるわけだし」

「だから今回は食堂じゃ無くて倉庫にしまってるんじゃねーか」

「あれ運ぶのしんどかった……今日の夜またあれ食堂へ移動しないといけないんだよな……」

 先日納品された一斗樽、瓶ビール、缶ビールのケース類を少人数で運び上げた事を思い出しながら蟻川が言った。

「あんまり大事にして、事情を知ってる人間を増やしたくないっていったのは蟻川だろう」

「その際は人望のある鯨井のおかげで口の堅い一、二年生の協力を得られて助かったよ」

「二人だけだがな」

 鯨井が今回の件で協力を仰いだのは事情を知ってしまったキャッスルステージバイトの譲二と、搬入用に車を出した馬橋の事だ。

「あとほら、第一発見者の羊谷も」

「思えば、最初に見つけたのがあいつでよかったよなあ、他のやつだったらもっと大騒ぎになってたんじゃないか?」

「こっそり主催者にだけ知らせた上に、即座に買い出しに出たフットワークの軽さは確かにそうだな」

「俺さあ、思ったんだけど、着服云々でナシに、羊谷への個人的な嫌がらせってセンは無いの?」

 魚沼の言葉に鯨井と蟻川が互いを見た。

「それはないだろ、だって羊谷だぞ?」

 見た目に反して気の優しい羊谷を慕う者は多い。常木は、見た目は物腰柔らかそうだが、物言いはぞんざいで人当たりもキツい。年上におもねり、弱者をあざける所を嫌がるものも居るが、不思議とそういう常木を慕う者もいて、性格も中身も正反対という意味であれば、羊谷と常木は似ているとも言えるのかもしれなかった。

「だいたいそれで羊谷のダメージにはならんだろ」

 鯨井が言うと、魚沼も確かに、と、同意した。

 差額を着服するというメリットがある他に、酒をすり替えるというところに利があるように思えないというのは三人も同意するところではあった。それなりにリスクもともなう行動で、メリットが無いというのはおかしいとも思えた。

 そうであるならば、着服するチャンスが無くなったという事で、この一件はクローズド、になるはずだ。三人は、騒ぎを大きくして余計な仕事を増やしたくないという点で合意し、当日準備に落ち度が無いか、再度チェックをする事にした。
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