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 白み始めた空から、オレンジ色の太陽の光がチラチラと見え始めた。

 私は綾と手を繋いで、明け方の住宅地をゆっくりと歩いた。

 会話はない。

 綾はちゃんと前を向いて歩いている。


 一度綾の家に寄って、それからファミレスに向かうつもりだった。


 綾の家の前に着くと、貴也の車が目に止まり、そういえば居たんだったと男3人の存在を思い出した。

 同期の中で、一番最初に車の免許を取った貴也は、時々親の車を借りて遊びに使っていた。
 1年生の頃、貴也の運転する車に皆ぎゅうぎゅうに詰めて、海を見に行ったな。そんなことを思い出す。
 夏も終わりの海は肌寒く、寒い寒いと言いながら花火をした。

 そんな思い出も、今は遠い昔だ。


 私は車の窓ガラスを叩き、寝ている貴也を起こす。

 目を閉じていただけで、眠ってはいなかったのか、貴也はぱっと起き上がり、車から降りてきた。

  「えっと…どうなった?」

  「どうなった?最初の言葉がそれ?綾のこと見えてるよね?」

 沈黙が続き、私から言葉を続けようとしたとき、握っていた綾の手に力がこもり、手を引かれた。

  「綾?どうしたの?」

  「…貴也と少し話したい。」

  「わかった。離れて見てるよ。」

 私は貴也を一瞥してから、綾の手を離し、声の聞こえないところまで下がった。

 2人は表情も変えず、淡々と話しているように見える。
 暫くそうしていると、綾が手を振りかぶるのが見えて、直後にぱぁんと貴也の頬を打つ音が響いた。
 貴也は呆然と立ち尽くしている。

 綾はその横を通り抜けて家へと入り、小さな荷物を持ってすぐに出てきた。
 そしてまた、貴也の横を通り抜け、私の元へと小走りで駆けてくる。

 その顔は、とてもスッキリとしていた。


  「初めて叩いちゃった!」


 ふふ、と綾が笑う。

  「ほんとに?二度もあんなことがあったのに?綾、すごい我慢強いね。」

  「スッキリした!叩いてからわかった。私本当は貴也に物凄く怒ってたんだ。嫌われたくなくて我慢してたんだなってわかった。」

 晴れやかな顔の綾を見て、もう大丈夫だろうと思った。


  「さあ、ご飯食べに行こう!私昨日の昼から何も食べてないや。」

  「やっぱり。何食べる?私しっかり食べたいから、ハンバーグにする。」

  「いいね。私もガッツリ行きたい気分。」

 笑いながら歩く。


 あの頃に戻ったようだと、少し込み上げるものがあった。


 程なく到着したファミレスのドアを開くと、カウベルの小気味良いカラコロという音が鳴る。
 今時ファミレスにカウベルなんて珍しいが、店舗のこだわりなのか外されることはなく、この四年間何度も聞いた音だ。

店内に入り、それぞれ食べたいものを心のままに注文する。

  「そういえば、このファミレスって、試験前はよく集まって勉強会したよね。」

  「そうだね。あれって結局勉強になってなかったよね。」

  「そうそう。誰かがすぐに脱線するの。」


  「初めてのサークルの合宿で『青春18きっぷ』使ったときにさ、日付越える直前に一枚目を切っちゃって、あー無駄にしたって笑ったよね。あれは勉強になった。」

  「うん。笑った。でも先輩たちはしっかり途中までの切符買ってるんだよね。教えてくれよーって思ったよね。」



  「知ってる?駅前のパン屋さんのね…」



 楽しかった思い出や、身近な人の話、離れていた時期を埋めるように、沢山話した。


 でも、これからの話はしなかった。


 私も、綾も、これが最後になるとわかっている。


  「唯、今までありがとう。」


 話が途切れたとき、綾が一言、私に礼を言った。

  「綾、私からもありがとう。綾との時間はとっても楽しかったよ。きっと一生忘れない。」

  「たまに連絡してもいい?」

  「しない方がいいと思う。お互い期待しちゃうでしょ。」

  「そうだよね…わかった。」

  「じゃあ、そろそろ帰ろうか。」

 席を立ち綾を振り返ると、綾はまだ座っていた。


  「私、もう少しここにいるよ。」

 「わかった。じゃあ、私は帰るね。」


 この会話を最後に、卒業まで綾と会うことは無かった。
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