王族の婚姻に振り回された聖女ですが、幸せを見つけました

仲室日月奈

文字の大きさ
8 / 13

8. 理想の聖女

しおりを挟む
 孤児院の慰問で、帰り支度をしていたときのことだ。
 木製の扉を少し開くと、複数の男の声が聞こえてきた。慌ててドアの取っ手を内側に引こうとするが、聖女という単語に身を強ばらせる。

「だがなぁ。世の中に身も心も清らかな、まっさらな人間なんているのかね。聖女様だって素顔はオレらと同じかもしれないじゃないか」

 おそるおそる会話の主を見ると、若い男二人と中年の男が話し込んでいた。全員身なりがいいため、バザーの終わりに顔出しに来た貴族といったところか。だが世間話にしては少々声が大きすぎる。

「そうは言っても、彼女だって一人の女の子だ。嫌だなと思う相手だっているだろうよ。笑顔の裏で何を考えているかなんて、誰もわからない」
「一体、何を言っている? 聖女様は王国に光を照らす御方なのだぞ。我らを導く方がそんな考え方をなさるわけがないだろう。聖女様ほど人格的に優れた人はいない」

 間髪を容れずの返答に、クレアは心の中でため息をついた。
 実はこういった台詞を聞くのは一度や二度ではない。
 誰も彼も、無意識に自分の中の「理想の聖女」を押しつける。そして皆、それが間違っているとは露ほども思っていない。クレアだって同じ人間だというのに。
 宗教画に描かれる初代聖女の絵は、時に女神の慈悲を請い、時に戦火に巻き込まれた民の傷を癒やし、時に悩み苦しむ民の心に寄り添う。たとえ絵画越しであっても、慈しみにあふれた微笑みを見るたび、勇気づけられた者も少なくないだろう。
 理想の聖女像を求める気持ちもわからないまでもない。しかし、意図的ではなくても初代聖女と比べられることは、クレアという人間性を否定されているようで毎回心に影が落ちる。
 クレアは慈愛の女神でもなく、初代聖女でもなく、ただの人間だ。喜怒哀楽の感情だって当然ある。聖女のお勤めでは感情を表に出さないだけだ。

(感情的になる聖女は聖女ではない。つまりは、そういうことよね……)

 聖女になってから、誰も自分自身を見てくれない。
 クレアをただの少女として扱わない。求められている役割をこなさなければ、周囲の者たちにとってクレアが存在する意味はないに等しいのだろう。

(――聖女になんて、選ばれなければ)

 そう思っていたときだった。
 よく響く声が、沈みゆく思考に割って入ってくる。

「彼女は聖女である前に、君たちと同じ一人の人間だよ。神聖化するのもいいけれど、彼女の人権を踏みにじってはいけない」

 ジュリアンの声だ。
 王太子らしい言葉遣いに、彼は王族なのだと今さらながら実感する。
 物陰からそっと様子を窺う。視線の先には、やはり護衛騎士を連れた王太子がいた。威厳ある雰囲気に圧倒されたのはクレアだけではなかったようで、先ほどまで威勢のよかった青年は萎縮して縮こまっている。

「ジュリアン王太子殿下、あの……」

 とっさに弁解しようとした若い貴族が口を開けようとするが、ジュリアンは片手を軽く挙げて続く言葉を封じる。王太子の機嫌を損ねたことに気づいたのか、青年はすっかり青ざめている。

「彼女を聖女として尊重するのはいいよ。それに見合う立派な功績も残しているし。でも彼女は生まれたときから聖女だった? 違うよね。それまで普通の女の子として暮らしていた彼女が、完璧な聖女になるのは簡単なことかな。相当努力しなければできないと思うのだけど」
「そ……そうですね。わ、私の考えが軽率……でした」
「何でも聖女だからという先入観はよくないと思う。彼女を苦しめることになりかねないから。彼女は私たちと同じ人間で、感情だってある。ただ崇めるだけでは聖女は喜ばない。どうかそのことを覚えておいて」
「は、はい。殿下のお言葉、確と胸に刻みます……!」

 王族として恥じない高貴な振る舞いを目の当たりにして、格の違いを否応なく感じる。
 思えば、リアンとして下町で接していたときも、洗練された所作が目についた。本人は隠しているつもりだったようだが、明らかに貴族の教育を受けているとわかる育ちの良さが垣間見えた。
 本当は高貴な血筋の子息なのだろうと頭の片隅で気づきながらも、あの何気ない会話が楽しくて、身分差に気づかないふりをしてきた。彼がこうして自由に歩き回れるのも、子供である数年間かもしれない、と姉のような気持ちで見守っていたはずだった。
 けれど今はこうして自分を守ってくれる存在になっている。
 クレアが傷つかないように。

(彼はもう子供じゃない。この国の王太子で、わたしは聖女……。あのときとは何もかもが違う)

 王太子として接するジュリアンは紳士だ。
 対して自分はどうだったか。彼にふさわしい女性であろうと努力しているだろうか。
 思案に暮れていると、足音がこちらに近づいてくるのに遅れて気づく。ぱっと顔を上げた。

「クレア嬢、ちょうどよかった」
「お、王太子殿下。本日はお日柄もよく……」

 貴族の挨拶を返すために膝を落とそうとしたところで、ジュリアンが「ああ、いえ」と断りを入れる。

「公式な訪問ではないので、どうぞ楽にしてください。お仕事中に押しかけてすみません。実は豊穣の儀式の後、私たちの婚約披露パーティーを行うことになりました。今日はそのお知らせに来ました」
「……そ、そうですか」
「あと、あなたの顔を一目でも見たくて。すれ違いにならなくてよかったです」

 ふわりと花がほころぶような笑みを見てしまい、なんだか見てはいけないものを見てしまったような気まずさが襲う。
 胸に手を当て、詰まりそうになった呼吸を落ち着ける。

「? どうかされましたか」
「い、いえ。……なんでもありません」

 彼にとって、これはただの挨拶代わりみたいなものだ。深い意味はない。
 そう頭でわかってはいるものの、一度高鳴った鼓動はすぐには元通りにならない。
 今までクレアを口説こうとする異性は現れなかったが、婚約者として過ごす以上、こういったやり取りは今後増えていくだろう。
 ジュリアンは常連客ではなく、婚約者になったのだ。
 毎回取り乱しては聖女の名折れだ。どうやって耐性をつければいいのかはわからないが、早急に手を打たなければいけないことは確かだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

殿下、私の身体だけが目当てなんですね!

石河 翠
恋愛
「片付け」の加護を持つ聖女アンネマリーは、出来損ないの聖女として蔑まれつつ、毎日楽しく過ごしている。「治癒」「結界」「武運」など、利益の大きい加護持ちの聖女たちに辛く当たられたところで、一切気にしていない。 それどころか彼女は毎日嬉々として、王太子にファンサを求める始末。王太子にポンコツ扱いされても、王太子と会話を交わせるだけでアンネマリーは満足なのだ。そんなある日、お城でアンネマリー以外の聖女たちが決闘騒ぎを引き起こして……。 ちゃらんぽらんで何も考えていないように見えて、実は意外と真面目なヒロインと、おバカな言動と行動に頭を痛めているはずなのに、どうしてもヒロインから目を離すことができないヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は他サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID29505542)をお借りしております。

酒飲み聖女は気だるげな騎士団長に秘密を握られています〜完璧じゃなくても愛してるって正気ですか!?〜

鳥花風星
恋愛
太陽の光に当たって透けるような銀髪、紫水晶のような美しい瞳、均整の取れた体つき、女性なら誰もが羨むような見た目でうっとりするほどの完璧な聖女。この国の聖女は、清楚で見た目も中身も美しく、誰もが羨む存在でなければいけない。聖女リリアは、ずっとみんなの理想の「聖女様」でいることに専念してきた。 そんな完璧な聖女であるリリアには誰にも知られてはいけない秘密があった。その秘密は完璧に隠し通され、絶対に誰にも知られないはずだった。だが、そんなある日、騎士団長のセルにその秘密を知られてしまう。 秘密がばれてしまったら、完璧な聖女としての立場が危うく、国民もがっかりさせてしまう。秘密をばらさないようにとセルに懇願するリリアだが、セルは秘密をばらされたくなければ婚約してほしいと言ってきた。 一途な騎士団長といつの間にか逃げられなくなっていた聖女のラブストーリー。 ◇氷雨そら様主催「愛が重いヒーロー企画」参加作品です。

虜囚の王女は言葉が通じぬ元敵国の騎士団長に嫁ぐ

あねもね
恋愛
グランテーレ国の第一王女、クリスタルは公に姿を見せないことで様々な噂が飛び交っていた。 その王女が和平のため、元敵国の騎士団長レイヴァンの元へ嫁ぐことになる。 敗戦国の宿命か、葬列かと見紛うくらいの重々しさの中、民に見守られながら到着した先は、言葉が通じない国だった。 言葉と文化、思いの違いで互いに戸惑いながらも交流を深めていく。

「お前を愛するつもりはない」な仮面の騎士様と結婚しました~でも白い結婚のはずなのに溺愛してきます!~

卯月ミント
恋愛
「お前を愛するつもりはない」 絵を描くのが趣味の侯爵令嬢ソールーナは、仮面の英雄騎士リュクレスと結婚した。 だが初夜で「お前を愛するつもりはない」なんて言われてしまい……。 ソールーナだって好きでもないのにした結婚である。二人はお互いカタチだけの夫婦となろう、とその夜は取り決めたのだが。 なのに「キスしないと出られない部屋」に閉じ込められて!? 「目を閉じてくれるか?」「えっ?」「仮面とるから……」 書き溜めがある内は、1日1~話更新します それ以降の更新は、ある程度書き溜めてからの投稿となります *仮面の俺様ナルシスト騎士×絵描き熱中令嬢の溺愛ラブコメです。 *ゆるふわ異世界ファンタジー設定です。 *コメディ強めです。 *hotランキング14位行きました!お読みいただき&お気に入り登録していただきまして、本当にありがとうございます!

誰も信じてくれないので、森の獣達と暮らすことにしました。その結果、国が大変なことになっているようですが、私には関係ありません。

木山楽斗
恋愛
エルドー王国の聖女ミレイナは、予知夢で王国が龍に襲われるという事実を知った。 それを国の人々に伝えるものの、誰にも信じられず、それ所か虚言癖と避難されることになってしまう。 誰にも信じてもらえず、罵倒される。 そんな状況に疲弊した彼女は、国から出て行くことを決意した。 実はミレイナはエルドー王国で生まれ育ったという訳ではなかった。 彼女は、精霊の森という森で生まれ育ったのである。 故郷に戻った彼女は、兄弟のような関係の狼シャルピードと再会した。 彼はミレイナを快く受け入れてくれた。 こうして、彼女はシャルピードを含む森の獣達と平和に暮らすようになった。 そんな彼女の元に、ある時知らせが入ってくる。エルドー王国が、予知夢の通りに龍に襲われていると。 しかし、彼女は王国を助けようという気にはならなかった。 むしろ、散々忠告したのに、何も準備をしていなかった王国への失望が、強まるばかりだったのだ。

【完結】余命半年の元聖女ですが、最期くらい騎士団長に恋をしてもいいですか?

金森しのぶ
恋愛
神の声を聞く奇跡を失い、命の灯が消えかけた元・聖女エルフィア。 余命半年の宣告を受け、静かに神殿を去った彼女が望んだのは、誰にも知られず、人のために最後の時間を使うこと――。 しかし運命は、彼女を再び戦場へと導く。 かつて命を賭して彼女を守った騎士団長、レオン・アルヴァースとの再会。 偽名で身を隠しながら、彼のそばで治療師見習いとして働く日々。 笑顔と優しさ、そして少しずつ重なる想い。 だけど彼女には、もう未来がない。 「これは、人生で最初で最後の恋でした。――でもそれは、永遠になりました。」 静かな余生を願った元聖女と、彼女を愛した騎士団長が紡ぐ、切なくて、温かくて、泣ける恋物語。 余命×再会×片恋から始まる、ほっこりじんわり異世界ラブストーリー。

処理中です...