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第二章
19. 月が見えない夜
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就寝時間はとっくに過ぎて、しんと静まり返った女子寮にて。
セラフィーナは結んだカーテンをロープ代わりにして、するすると降り、地面に足をつけた。下級女官の装いのまま、極力足音を立てないようにして目的の場所へと急ぐ。
だが闇色に染まった花梨の道に向かう途中で、ぐいっと後ろから左腕をつかまれた。
「……っ……!?」
「セラフィーナ。なぜ、ここに?」
振り返った先には、見知った顔があった。
エディの手にはランタンが握られており、ゆらゆらと揺れる光源が足元を照らし出す。金色の瞳は不可解そうな色を宿し、驚くセラフィーナを静かに見下ろしていた。
「その……気になって来てしまいました。情報提供者はわたくしですもの。ただの杞憂だったらよいですが、もし違ったら大変なことになるかと思って」
腕はすぐに解放された。代わりに、大きなため息がこぼれる。
彼は前髪をかき上げ、困った教え子を諭すようにゆっくりと言葉を紡いでいく。
「このような夜に、女性が一人で出歩く危険性はわかっていますか?」
「……はい」
「あなたは見た目に反して、だいぶ行動力があるようですね。私の認識不足でした」
皆が寝静まった時間帯のせいか、声がやけに響いて聞こえる。
どう言えば許してもらえるだろうかと脳内で算段していると、エディが諦めたように言った。
「仕方ありません。私から離れないでくださいね?」
「はい、わかりました」
従順に頷くと、エディが顔を引き締めて横に並ぶ。
夜風でマントが翻る。その弾みで、彼が帯剣している鞘の長さが目に入り、思わず声がもれた。
「それ……レイピアより短いですよね」
騎士といえば、扱う武器は長剣だ。
何気ないつぶやきだったが、口に出したあとで、批判だと受け取られる可能性に遅れて気づく。幸いなことにエディが気分を害した様子はなく、自分の剣を一瞥した。
「ああ、スモールソードです。レイピアは重量があり、今は決闘用に使われています。スモールソードは刀身は短いですが、軽量で使い勝手がいいんですよ」
「なるほど、時代に即した剣ということですね」
「珍しいですか?」
「え、ええ……。ユールスール帝国では、もう少し長い剣が主流でしたので」
答えると、エディが自分の得物を軽く撫でた。
セラフィーナには馴染みがないが、毎日身に付けている彼には愛着があるのだろう。
「慣れたら、こっちのほうが楽なんですけどね──」
苦笑いとともに吐き出された息を飲み込み、エディがすっと目を細めた。先ほどまでの穏やかな気配が一転し、緊迫感が張り詰める。
守るようにセラフィーナの前に長い腕が伸ばされ、視線が左右を行き来する。
(どうしたのかしら……?)
警戒しているエディを見ながらセラフィーナも不審人物がいないか、耳を澄ます。けれども、聞こえてくるのは地面に落ちた葉が風でさらわれる音だけ。
気のせいだったのでは、と強ばっていた体から力を抜いたとき、エディが持っていたランタンを地面に置く。「え?」と思う間に、彼は抜刀して駆け出していた。
それは、ほんの短い間の出来事だった。
宮殿を囲む外壁から人が降ってきたと思ったら、その真下にはエディが待ち構えていた。金属がぶつかる音がして、二人分の影が闇の中を動く。
セラフィーナは慌ててランタンを拾う。
壁際まで近寄り、周囲を照らすようにランタンを掲げた。
少し離れた場所から、キィンと刃が擦れ合う音が続く。
セラフィーナは邪魔にならない距離で息を潜めた。しばらくすると夜目が利いてきて、遠くの様子が少しずつ見えてくる。
侵入者の顔は白い仮面で覆われていた。
不気味な笑みをかたどっている仮面に、派手な羽根の飾りがついている。
(……あれが、怪盗ノイ・モーント伯爵……?)
首元にはクラバットが巻かれ、エディが繰り出す剣戟をひらりと躱しながら宙返りし、膝丈まであるフロックコートの裾が翻る。
昼間のような身軽な動きに目を奪われていると、仮面越しに目が合った気がした。
素顔はわからないはずなのに、なぜか不敵な笑みを浮かべているように見えた。しかし怪盗伯爵の余裕は長くは続かなかったようで、エディが一気に距離を詰め、つばぜり合いになる。
弓なりに反った短剣が弾かれ、遠くの茂みに落ちた。
怪盗伯爵は飛び退き、コートの中に手を入れたかと思うと、何かを投げつけた。
長く伸びた鎖がスモールソードにくるくると巻き付く。
ぐいっと引っ張られるのをエディが力を入れて踏ん張るが、怪盗伯爵のほうが上手だ。剣ごとエディが引きずられる。
(……エディ様!)
セラフィーナはワンピースをきつく握りしめた。
はらはらしながら見守ることしかできない自分を歯がゆく思う。手助けしたい気持ちは強くとも、下手に動けば足手まといにしかならない。この場に留まるのが最善だ。
どうにか踏みとどまっていると、なんの前触れもなく、エディの剣の自由を奪っていた鎖が解かれた。驚いたのはセラフィーナだけでなかったようで、急な反動にエディが体勢を崩す。
そこに怪盗伯爵が飛びかかり、足を振り上げた。
エディはすんでのところで身を躱し、剣を突き出した。怪盗伯爵は軽い身のこなしでよけていくが、小石につまずいたのか、反応が一瞬だけ遅れた。
その隙を逃さず、エディの剣先が怪盗伯爵の顎下を狙う。
(あ……)
コトリと仮面が地面に落下する。
夜の宮殿には、オイルランプの外灯が一定の距離ごとに置かれている。
その光がわずかに届く中、さらされた素顔を見てエディが目を見開く。少し離れた場所で見守っていたセラフィーナも驚愕した。なぜなら、その顔は──。
(レクアル様……? そんな、はずが……)
セラフィーナは結んだカーテンをロープ代わりにして、するすると降り、地面に足をつけた。下級女官の装いのまま、極力足音を立てないようにして目的の場所へと急ぐ。
だが闇色に染まった花梨の道に向かう途中で、ぐいっと後ろから左腕をつかまれた。
「……っ……!?」
「セラフィーナ。なぜ、ここに?」
振り返った先には、見知った顔があった。
エディの手にはランタンが握られており、ゆらゆらと揺れる光源が足元を照らし出す。金色の瞳は不可解そうな色を宿し、驚くセラフィーナを静かに見下ろしていた。
「その……気になって来てしまいました。情報提供者はわたくしですもの。ただの杞憂だったらよいですが、もし違ったら大変なことになるかと思って」
腕はすぐに解放された。代わりに、大きなため息がこぼれる。
彼は前髪をかき上げ、困った教え子を諭すようにゆっくりと言葉を紡いでいく。
「このような夜に、女性が一人で出歩く危険性はわかっていますか?」
「……はい」
「あなたは見た目に反して、だいぶ行動力があるようですね。私の認識不足でした」
皆が寝静まった時間帯のせいか、声がやけに響いて聞こえる。
どう言えば許してもらえるだろうかと脳内で算段していると、エディが諦めたように言った。
「仕方ありません。私から離れないでくださいね?」
「はい、わかりました」
従順に頷くと、エディが顔を引き締めて横に並ぶ。
夜風でマントが翻る。その弾みで、彼が帯剣している鞘の長さが目に入り、思わず声がもれた。
「それ……レイピアより短いですよね」
騎士といえば、扱う武器は長剣だ。
何気ないつぶやきだったが、口に出したあとで、批判だと受け取られる可能性に遅れて気づく。幸いなことにエディが気分を害した様子はなく、自分の剣を一瞥した。
「ああ、スモールソードです。レイピアは重量があり、今は決闘用に使われています。スモールソードは刀身は短いですが、軽量で使い勝手がいいんですよ」
「なるほど、時代に即した剣ということですね」
「珍しいですか?」
「え、ええ……。ユールスール帝国では、もう少し長い剣が主流でしたので」
答えると、エディが自分の得物を軽く撫でた。
セラフィーナには馴染みがないが、毎日身に付けている彼には愛着があるのだろう。
「慣れたら、こっちのほうが楽なんですけどね──」
苦笑いとともに吐き出された息を飲み込み、エディがすっと目を細めた。先ほどまでの穏やかな気配が一転し、緊迫感が張り詰める。
守るようにセラフィーナの前に長い腕が伸ばされ、視線が左右を行き来する。
(どうしたのかしら……?)
警戒しているエディを見ながらセラフィーナも不審人物がいないか、耳を澄ます。けれども、聞こえてくるのは地面に落ちた葉が風でさらわれる音だけ。
気のせいだったのでは、と強ばっていた体から力を抜いたとき、エディが持っていたランタンを地面に置く。「え?」と思う間に、彼は抜刀して駆け出していた。
それは、ほんの短い間の出来事だった。
宮殿を囲む外壁から人が降ってきたと思ったら、その真下にはエディが待ち構えていた。金属がぶつかる音がして、二人分の影が闇の中を動く。
セラフィーナは慌ててランタンを拾う。
壁際まで近寄り、周囲を照らすようにランタンを掲げた。
少し離れた場所から、キィンと刃が擦れ合う音が続く。
セラフィーナは邪魔にならない距離で息を潜めた。しばらくすると夜目が利いてきて、遠くの様子が少しずつ見えてくる。
侵入者の顔は白い仮面で覆われていた。
不気味な笑みをかたどっている仮面に、派手な羽根の飾りがついている。
(……あれが、怪盗ノイ・モーント伯爵……?)
首元にはクラバットが巻かれ、エディが繰り出す剣戟をひらりと躱しながら宙返りし、膝丈まであるフロックコートの裾が翻る。
昼間のような身軽な動きに目を奪われていると、仮面越しに目が合った気がした。
素顔はわからないはずなのに、なぜか不敵な笑みを浮かべているように見えた。しかし怪盗伯爵の余裕は長くは続かなかったようで、エディが一気に距離を詰め、つばぜり合いになる。
弓なりに反った短剣が弾かれ、遠くの茂みに落ちた。
怪盗伯爵は飛び退き、コートの中に手を入れたかと思うと、何かを投げつけた。
長く伸びた鎖がスモールソードにくるくると巻き付く。
ぐいっと引っ張られるのをエディが力を入れて踏ん張るが、怪盗伯爵のほうが上手だ。剣ごとエディが引きずられる。
(……エディ様!)
セラフィーナはワンピースをきつく握りしめた。
はらはらしながら見守ることしかできない自分を歯がゆく思う。手助けしたい気持ちは強くとも、下手に動けば足手まといにしかならない。この場に留まるのが最善だ。
どうにか踏みとどまっていると、なんの前触れもなく、エディの剣の自由を奪っていた鎖が解かれた。驚いたのはセラフィーナだけでなかったようで、急な反動にエディが体勢を崩す。
そこに怪盗伯爵が飛びかかり、足を振り上げた。
エディはすんでのところで身を躱し、剣を突き出した。怪盗伯爵は軽い身のこなしでよけていくが、小石につまずいたのか、反応が一瞬だけ遅れた。
その隙を逃さず、エディの剣先が怪盗伯爵の顎下を狙う。
(あ……)
コトリと仮面が地面に落下する。
夜の宮殿には、オイルランプの外灯が一定の距離ごとに置かれている。
その光がわずかに届く中、さらされた素顔を見てエディが目を見開く。少し離れた場所で見守っていたセラフィーナも驚愕した。なぜなら、その顔は──。
(レクアル様……? そんな、はずが……)
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