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第四章
33. マリアンヌの苦悩
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眉根を寄せるマリアンヌは、きっと一人で思い詰めていたのだろう。抱えきれない思いを吐露し、深くうつむいた。
(だけど、ディック殿下が選んだのはマリアンヌ様だわ)
最初から自分はお呼びではないのだ。
「……わたくしは婚約破棄された身です。今さら、どうしろとおっしゃるのですか? 進んでしまった時計の針は元には戻せませんよ」
「そうですね。過去は変えられません。でも、未来は違います」
顔を上げたマリアンヌは迷いを吹っ切ったように、まっすぐと見つめてくる。
その視線の意味を考え、セラフィーナは声のトーンを低くして尋ねる。
「……まさかとは思いますが、皇太子妃の座を降りるつもりですか?」
「いいえ。それはできません。そうではなく……私はあなたに教えを請いたいと思っています」
「ご冗談を。今のわたくしはただの下級女官。マリアンヌ様に教えられることなど、何もありません。わたくしが言えた義理ではありませんが……味方は自分の力で作るものですよ」
最後に小さく付け足した言葉はマリアンヌに届いたらしく、碧眼が丸くなった。
その証拠に、ふんわりと笑みが返ってくる。
「すべてお見通しのようですね。……わかりました。自分のことは自分でなんとかします。だって殿下の妃になることを決めたのは私ですから」
頼ることと依存することは違う。
納得したように頷く様子を見て、セラフィーナはずっと聞きたかった質問の答えを求めることにした。
「ところで、マリアンヌ様と会ったのは、あの舞踏会が最後だったと記憶していますが。どうしてわたくしの居場所をご存じだったのですか?」
「…………あなたの様子が気になって、こっそり抜け出したのです。そうしたら、レクアル殿下と会話しているのが聞こえてきて……」
まさか、あの場を遠くから見ていた第三者がいたとは。
(全然気づかなかったわ……)
マリアンヌは聞き耳を立てていた負い目があるからか、そっと視線をそらした。
「経緯はわかりました。それでクラッセンコルトの宮殿に行けば会えると思ったのですね」
「はい。感謝も謝罪もする機会がなかったものですから……」
感謝したいのはこちらのほうだ。
帝国でセラフィーナのことをここまで心配してくれるのは彼女ぐらいだろう。
もしも、セラフィーナがディックの婚約者でなかったら。違う出会い方をしていれば、自分たちの関係は違ったものになっていただろうか。
「マリアンヌ様は……真面目ですね。領地追放となった恋敵にまで、ご慈悲を向けてくださるなんて」
「わ、私は、あなたが噂のような女性ではないと知っています。そうでなければ、わざわざ殿下に無理を言って同行の許可をもらおうとは思わなかったでしょう」
「…………マリアンヌ様」
「セラフィーナ様、ちゃんとご飯は召し上がっていますか? 女官の仕事はつらいのではありませんか?」
労る言葉には社交辞令のような空虚な響きはなかった。
だからこそ、セラフィーナも真摯に言葉を返す。
「ご飯はしっかりいただいていますし、こう見えて結構しぶといので、ご心配には及びません。あなたがすべきことは、こんな女のことなどは捨て置いて、妃教育に専念なさることだと思います」
「で、ですが……侯爵令嬢が女官の仕事など……」
「務まるわけがないと?」
言葉の続きを読んで言うと、マリアンヌは言葉を濁した。
「あなたがつらい環境にいるなら、微力ながら手助けをしたいと思って……」
「マリアンヌ様。この生き方は、わたくしが選んだ道です。誰かに強要されたわけでもありません。だから不満などありません。あなたに理解してもらえるとも思っていませんが、女官生活はこう見えて充実しているのです。ご心配は不要です」
信じられない、と目が語っていた。
けれど、嘘は何一つ言っていない。セラフィーナの腕を見込んだラウラのおかげで、さまざまな仕事を与えられて毎日飽きることがない。
(まあ、普通の令嬢なら逃げ出したくなるでしょうけど。わたくしは平民の生活がどのようなものか、身をもって知っているから、今が恵まれていることがわかるもの)
レクアルのおかげで旅費も浮いた。質のいい仕事着を支給され、食事も食堂で無料で食べることができる。手狭だが、一人部屋も与えられている。これだけの待遇で不満を言うなど、とんでもない。
マリアンヌはまだ完全に納得した様子ではなかったが、セラフィーナの言葉を信じることにしたらしい。仕事があるので、と退室を切り出したときは仕方なさそうに見送ってくれた。
(友達になれたかもしれない相手だったけれど、道はとうに違えたものね……)
わずかに残る未練を心の奥底にしまい込んで、すずらんの館を出た。
雨雲が近いのか、水分を多分に含んだ風が横を流れていった。
(だけど、ディック殿下が選んだのはマリアンヌ様だわ)
最初から自分はお呼びではないのだ。
「……わたくしは婚約破棄された身です。今さら、どうしろとおっしゃるのですか? 進んでしまった時計の針は元には戻せませんよ」
「そうですね。過去は変えられません。でも、未来は違います」
顔を上げたマリアンヌは迷いを吹っ切ったように、まっすぐと見つめてくる。
その視線の意味を考え、セラフィーナは声のトーンを低くして尋ねる。
「……まさかとは思いますが、皇太子妃の座を降りるつもりですか?」
「いいえ。それはできません。そうではなく……私はあなたに教えを請いたいと思っています」
「ご冗談を。今のわたくしはただの下級女官。マリアンヌ様に教えられることなど、何もありません。わたくしが言えた義理ではありませんが……味方は自分の力で作るものですよ」
最後に小さく付け足した言葉はマリアンヌに届いたらしく、碧眼が丸くなった。
その証拠に、ふんわりと笑みが返ってくる。
「すべてお見通しのようですね。……わかりました。自分のことは自分でなんとかします。だって殿下の妃になることを決めたのは私ですから」
頼ることと依存することは違う。
納得したように頷く様子を見て、セラフィーナはずっと聞きたかった質問の答えを求めることにした。
「ところで、マリアンヌ様と会ったのは、あの舞踏会が最後だったと記憶していますが。どうしてわたくしの居場所をご存じだったのですか?」
「…………あなたの様子が気になって、こっそり抜け出したのです。そうしたら、レクアル殿下と会話しているのが聞こえてきて……」
まさか、あの場を遠くから見ていた第三者がいたとは。
(全然気づかなかったわ……)
マリアンヌは聞き耳を立てていた負い目があるからか、そっと視線をそらした。
「経緯はわかりました。それでクラッセンコルトの宮殿に行けば会えると思ったのですね」
「はい。感謝も謝罪もする機会がなかったものですから……」
感謝したいのはこちらのほうだ。
帝国でセラフィーナのことをここまで心配してくれるのは彼女ぐらいだろう。
もしも、セラフィーナがディックの婚約者でなかったら。違う出会い方をしていれば、自分たちの関係は違ったものになっていただろうか。
「マリアンヌ様は……真面目ですね。領地追放となった恋敵にまで、ご慈悲を向けてくださるなんて」
「わ、私は、あなたが噂のような女性ではないと知っています。そうでなければ、わざわざ殿下に無理を言って同行の許可をもらおうとは思わなかったでしょう」
「…………マリアンヌ様」
「セラフィーナ様、ちゃんとご飯は召し上がっていますか? 女官の仕事はつらいのではありませんか?」
労る言葉には社交辞令のような空虚な響きはなかった。
だからこそ、セラフィーナも真摯に言葉を返す。
「ご飯はしっかりいただいていますし、こう見えて結構しぶといので、ご心配には及びません。あなたがすべきことは、こんな女のことなどは捨て置いて、妃教育に専念なさることだと思います」
「で、ですが……侯爵令嬢が女官の仕事など……」
「務まるわけがないと?」
言葉の続きを読んで言うと、マリアンヌは言葉を濁した。
「あなたがつらい環境にいるなら、微力ながら手助けをしたいと思って……」
「マリアンヌ様。この生き方は、わたくしが選んだ道です。誰かに強要されたわけでもありません。だから不満などありません。あなたに理解してもらえるとも思っていませんが、女官生活はこう見えて充実しているのです。ご心配は不要です」
信じられない、と目が語っていた。
けれど、嘘は何一つ言っていない。セラフィーナの腕を見込んだラウラのおかげで、さまざまな仕事を与えられて毎日飽きることがない。
(まあ、普通の令嬢なら逃げ出したくなるでしょうけど。わたくしは平民の生活がどのようなものか、身をもって知っているから、今が恵まれていることがわかるもの)
レクアルのおかげで旅費も浮いた。質のいい仕事着を支給され、食事も食堂で無料で食べることができる。手狭だが、一人部屋も与えられている。これだけの待遇で不満を言うなど、とんでもない。
マリアンヌはまだ完全に納得した様子ではなかったが、セラフィーナの言葉を信じることにしたらしい。仕事があるので、と退室を切り出したときは仕方なさそうに見送ってくれた。
(友達になれたかもしれない相手だったけれど、道はとうに違えたものね……)
わずかに残る未練を心の奥底にしまい込んで、すずらんの館を出た。
雨雲が近いのか、水分を多分に含んだ風が横を流れていった。
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