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第四章
35. 見て見ぬふりはできません
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腰帯の色から優位性を悟ったのだろう。さも目上の者が目下の者に言い聞かせるような話し方に、男の品性が表れている気がした。
だが、ここは穏便に済ませたほうがいい。セラフィーナはしおらしく頭を垂れた。
「ご無礼をお許しください。今夜の舞踏会の準備で人手が足らぬのです」
「まぁ、それはわからないでもないが。……そうだ、この際、君でもいい。今夜時間を取れないか? 僕と一緒に過ごせば、ひとときの夢を――」
「いえ、結構です」
何やら自分に酔いしれている男の一人語りを遮り、セラフィーナはうつむいたまま言葉を続ける。
「わたくしには過ぎた夢でございます。夢は夢のままのほうが穏やかに過ごせます」
「っ……僕はこれでも重要な職に就いているんだぞ。返答はよく考えたほうがいい」
「そうですね。たとえば、わたくしが大声で叫んだとして……立場の弱い女官に詰め寄ったことが知られれば、困るのはそちらではないでしょうか。暴力を振るわれた、と涙ながらに訴えて客観的にどちらに非があるのか、聡明な使者様ならご理解いただけると存じますが」
たたみかけるように言えば、無言が返ってきた。やがて、荒い鼻息とともに吐き捨てるような言葉が聞こえてくる。
「仕事を思い出した。失礼する!」
足音が遠のき、セラフィーナはやっと顔を上げる。そこにはあるのは静寂だけだ。
(……ふう。顔を見せろとか言われなくてよかった。文官なら小さいときから宮城に出入りしていたわたくしの顔を知っている者がいてもおかしくない。ここにいることがディック殿下に知られるなんて事態、できるだけ避けたいものね)
相手が口先だけの小心者でよかった。
(っと、いけない! 思わぬところで時間をとられちゃったわ。急がなくちゃ……!)
早足で中庭を通り抜け、騎士団の受付を目指す。
無事に用事を済ませて持ち場に戻る途中、先ほど見かけた赤髪が視界に入った。と思ったら一直線に突進してくる。呆然としている間に、ジーニアは早口でまくし立てた。
「わ、私は……! ありがとうなんて言わないからね!」
一瞬、何を言われたかわからなかったが、遅れて彼女なりの感謝の表現だとわかると口角がゆるむ。だがジーニアの性格上、ここで微笑んだら怒りを買うだけだろう。
あわてて口元を引き締め、無表情を意識して言葉を返す。
「別にお礼は不要です」
「あなたが勝手にやったことなんだから。私は助けてなんて言ってないもの」
今まで敵視していた相手に素直に感謝できる人は少数だろう。
セラフィーナは鷹揚と頷いた。
「そうですね。ですが、わたくしも同じ下級女官ですから。見ないふりをして通り過ぎることはできませんでした」
「そっ……そう」
「今後はああいう場所で異性と二人きりにならないよう、ご注意ください」
「わ、わかっているわ!」
それ以上は我慢できないとばかりに、ジーニアはくるりと背を向けてどこかへ走り去った。取り残されたセラフィーナは彼女が消えた方向を見つめた。
(……たぶん、悪い子じゃないのでしょうね。素直じゃないけれど)
空には真昼の月が昇っている。
このまま何事もなく時が過ぎますように、と薄い色彩の月を見上げながら願う。その願いもむなしく、このあと運命の女神に翻弄されることになろうとは知らずに。
◇◆◇
仕事をすべて終えて女子寮に戻ると、そのタイミングを見計らっていたように、にゅっと木陰から人影が出てきた。
周囲はすっかり夜の色に包まれている。暗がりから突然、何かが目の前に現れたら誰だって驚く。けれども、玄関の明かりで照らされた服は白い騎士服。加えて、その顔はよく見知ったものだった。
セラフィーナは悲鳴を押し殺し、咳払いで動揺をごまかした。
「……エディ様? どうしてここに」
今夜は華やかな舞踏会。当然、彼が仕えている主人も出席しているはずだ。護衛騎士は主人の安全を守るのが仕事。その彼がセラフィーナの前に現れた理由はひとつしかない。それでも、どうか自分の予想が外れていますように、と望むくらいはいいだろう。
だが現実はどこまでも残酷だった。事務的に告げる声は、わずかな期待すら打ち砕く。
「レクアル様がお呼びです。ご同行願えるでしょうか?」
「…………わかりました」
今の自分は皇太子の婚約者でもアールベック侯爵家の娘でもない。ただの下級女官に、ついていく以外の選択肢は与えられていなかった。
だが、ここは穏便に済ませたほうがいい。セラフィーナはしおらしく頭を垂れた。
「ご無礼をお許しください。今夜の舞踏会の準備で人手が足らぬのです」
「まぁ、それはわからないでもないが。……そうだ、この際、君でもいい。今夜時間を取れないか? 僕と一緒に過ごせば、ひとときの夢を――」
「いえ、結構です」
何やら自分に酔いしれている男の一人語りを遮り、セラフィーナはうつむいたまま言葉を続ける。
「わたくしには過ぎた夢でございます。夢は夢のままのほうが穏やかに過ごせます」
「っ……僕はこれでも重要な職に就いているんだぞ。返答はよく考えたほうがいい」
「そうですね。たとえば、わたくしが大声で叫んだとして……立場の弱い女官に詰め寄ったことが知られれば、困るのはそちらではないでしょうか。暴力を振るわれた、と涙ながらに訴えて客観的にどちらに非があるのか、聡明な使者様ならご理解いただけると存じますが」
たたみかけるように言えば、無言が返ってきた。やがて、荒い鼻息とともに吐き捨てるような言葉が聞こえてくる。
「仕事を思い出した。失礼する!」
足音が遠のき、セラフィーナはやっと顔を上げる。そこにはあるのは静寂だけだ。
(……ふう。顔を見せろとか言われなくてよかった。文官なら小さいときから宮城に出入りしていたわたくしの顔を知っている者がいてもおかしくない。ここにいることがディック殿下に知られるなんて事態、できるだけ避けたいものね)
相手が口先だけの小心者でよかった。
(っと、いけない! 思わぬところで時間をとられちゃったわ。急がなくちゃ……!)
早足で中庭を通り抜け、騎士団の受付を目指す。
無事に用事を済ませて持ち場に戻る途中、先ほど見かけた赤髪が視界に入った。と思ったら一直線に突進してくる。呆然としている間に、ジーニアは早口でまくし立てた。
「わ、私は……! ありがとうなんて言わないからね!」
一瞬、何を言われたかわからなかったが、遅れて彼女なりの感謝の表現だとわかると口角がゆるむ。だがジーニアの性格上、ここで微笑んだら怒りを買うだけだろう。
あわてて口元を引き締め、無表情を意識して言葉を返す。
「別にお礼は不要です」
「あなたが勝手にやったことなんだから。私は助けてなんて言ってないもの」
今まで敵視していた相手に素直に感謝できる人は少数だろう。
セラフィーナは鷹揚と頷いた。
「そうですね。ですが、わたくしも同じ下級女官ですから。見ないふりをして通り過ぎることはできませんでした」
「そっ……そう」
「今後はああいう場所で異性と二人きりにならないよう、ご注意ください」
「わ、わかっているわ!」
それ以上は我慢できないとばかりに、ジーニアはくるりと背を向けてどこかへ走り去った。取り残されたセラフィーナは彼女が消えた方向を見つめた。
(……たぶん、悪い子じゃないのでしょうね。素直じゃないけれど)
空には真昼の月が昇っている。
このまま何事もなく時が過ぎますように、と薄い色彩の月を見上げながら願う。その願いもむなしく、このあと運命の女神に翻弄されることになろうとは知らずに。
◇◆◇
仕事をすべて終えて女子寮に戻ると、そのタイミングを見計らっていたように、にゅっと木陰から人影が出てきた。
周囲はすっかり夜の色に包まれている。暗がりから突然、何かが目の前に現れたら誰だって驚く。けれども、玄関の明かりで照らされた服は白い騎士服。加えて、その顔はよく見知ったものだった。
セラフィーナは悲鳴を押し殺し、咳払いで動揺をごまかした。
「……エディ様? どうしてここに」
今夜は華やかな舞踏会。当然、彼が仕えている主人も出席しているはずだ。護衛騎士は主人の安全を守るのが仕事。その彼がセラフィーナの前に現れた理由はひとつしかない。それでも、どうか自分の予想が外れていますように、と望むくらいはいいだろう。
だが現実はどこまでも残酷だった。事務的に告げる声は、わずかな期待すら打ち砕く。
「レクアル様がお呼びです。ご同行願えるでしょうか?」
「…………わかりました」
今の自分は皇太子の婚約者でもアールベック侯爵家の娘でもない。ただの下級女官に、ついていく以外の選択肢は与えられていなかった。
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