宿敵の魔女は、実は聖女の茶飲み友達でした

仲室日月奈

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聖女様の初恋

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 聖なる力――それは数百人に一人が持って生まれる稀有な力を指す。
 身分を問わず、国民は十三歳になったとき、教会でその力の有無を調べられる決まりだ。そして、既定値の力を持った女子は聖女候補として隔離される。
 保護という名目で軟禁される彼女たちは、王宮から離れた離島で過ごす。
 一方、聖女となった女性は淑女教育を受けた後、王宮が所有する離宮の北にある塔の最上階で一生を過ごす。
 聖女が外に出るときは、王宮の行事か、教会が寄附金を募るための慰問か、宿敵の魔女との戦いに赴くための三パターンに分けられる。生活は常に監視の目があり、自由に外に出られることはまずない。
 扉の前には護衛騎士が立ち、何人たりとも彼の許可がない限り、誰も通しはしない。
 そう、本来の経路からの訪問ならば。

「はーい。お邪魔するわよー」

 姿見の中から手足が出て、次に上半身がにゅっと出てくる。
 紺のとんがり帽子に紺のローブを着た少女は、腰まで伸びた烏の濡れ羽色の髪を後ろ手で払い、親しげに手を上げた。まん丸の黒曜石のような瞳は長い睫毛に縁取られ、ふっくらとした唇はピンクのルージュが光っていた。
 紺のローブから見えるのは、足先まで覆った黒いドレス。その腕には手編みの籠が下げられていた。
 彼女こそが歴代の魔女の中でも性格が悪いと評判の魔女――つまりは聖女の宿敵である。

 ……表向きは。

 魔女は聖なる力と反対の力を持つ、魔に属する存在。
 その愛らしい顔立ちからは想像できない、奇をてらった攻撃の数々に王国軍は「なんて性悪の魔女だ!」「やり方が汚すぎる!」と口々に不満をぶつけていた。
 清らかな聖女とは永遠に相容れぬ、それが世間の常識だった。

 しかしながら、例外というのは往々にしてあるもので。

 表向きは聖女と敵対しているはずの魔女は、聖女の数少ない茶飲み友達であった。この事実を他に知るのは、他言無用という聖女の言いつけを守っている護衛騎士一人のみだ。

「今日は遅かったのですね。心配していました」

 先日、十六歳になったばかりのリューディアが問いかけると、二歳年上のカティンカがテーブルに籠を載せて謝罪する。

「悪かったわ。ちょっとね、魔女の家に悪戯する悪童どもを懲らしめていたら、支度に手間取っちゃって……」
「まあ、それは大変。魔女に喧嘩をふっかけるなんて、とんだ命知らずがいたのですね」
「ふふふ。もう二度と悪さをしようなんて思わないでしょう」

 木製の椅子を引くと、カティンカが優雅な仕草で腰かける。
 冷めたハーブティーを花柄のティーカップに注ぎ、リューディアはコトンとカティンカの前に置く。

「ありがとう。ここのハーブティーのブレンドが好きなの」

 嬉しそうにティーカップを傾ける様子を見ながら、小皿とフォークを二つ用意する。
 カティンカはほうっと一息をつくと、パチンと指を鳴らす。テーブルに置かれた籠の中から、ふわふわとお皿に盛られたパイが空中を移動し、小皿の横に着地した。
 魔法の名残で、テーブルの上に虹色の鱗粉がきらきらと降り注ぐ。だが次に瞬くと、その幻想的な光景はすぐに消えてなくなる。いつも思うが、少しもったいない。
 カティンカが各自のお皿に取り分け、楽しそうに口角を上げる。

「今日は木苺とブルーベリーのパイよ」

 赤と青のコントラストが美しい。粉雪が舞ったように粉砂糖がまぶされ、パイ生地の焼き目もこんがりとついている。

「このパイを見ていると、出会ったときのことを思い出しますね……」
「え?……ああ、お詫びに持ってきたのが同じパイだったかしら」
「ふふ。あのときは本当にびっくりしました。まさか聖女の元に魔女が直接現れるなんて思ってもみませんでしたし」
「あ、あれは転移術に失敗して……あの頃は新米魔女だったんだから仕方ないじゃない。まだ魔力を扱うのが苦手だったのだもの」

 あれは離宮で淑女教育を一通り終えて、塔に生活を移した一週間後のこと。
 暇つぶしに刺繍をしていると、ドスンッという音とともにベッドのスプリングが揺れた。驚いて背後を見やると、そこには紺のローブを着た少女が座り込んでいたのだ。
 呆然とした表情で動けない彼女の肩にそっと手を置くと、止まっていた時計の針が動き出したように黒い瞳がリューディアを映し出した。
 それが生まれて初めて見る魔女との出会いだった。

「魔女が同じくらいの歳の女の子だとわかって、わたくしは嬉しかったです」
「だけど、お友達になってください、と言われるとは思っていなかったけれどね……」
「いいじゃないですか。まだお互いを知らなかったときだったんですから。魔女と聖女が代替わりして平和な一年の間に、わたくしたちは友達の絆を強められましたし」

 聖女と魔女は宿敵。そう教えられて育ってきたが、リューディアの目の前にいる魔女は普通の女の子にしか見えなかった。
 お互い、同年代の友達がいないことを知ると、これはチャンスではないかという話になり、秘密の茶飲み友達となったのだ。
 魔女は魔女であるがゆえ、孤立した存在。対する聖女は、神聖さを保つため、外界から隔離されなければならない存在。だけど、お互い望んでそうなったわけではない。
 聖女だって、鬱憤は溜まる。同年代の友達とのお喋りにも憧れる。けれど、塔の外に出ることは叶わない。
 しかしながら、魔女の訪問は別だ。
 誰にも悟られず、聖女の元へたどり着ける唯一の人間。この絶好の機会をみすみす逃す手はない。本来は敵対する間柄とはいえ、憎しみや恨みといった感情は持ち合わせていないのだから。
 結果的に、二人の友情はしっかり育まれた。そして、その関係を隠すため、外で会ったときはお互い聖女と魔女として振る舞った。
 本当は二人が大の仲良しであることは、護衛騎士を除いて、知る者はいない。

「ところで、コンラートとはどうなの? 少しは進展したの?」
「……っ……」

 コンラートとは聖女となった日から仕えてくれている護衛騎士の名である。七歳ほど歳が離れた彼は剣の腕に優れた騎士で、主に聖女の身の回りの世話も兼任している。
 彼とはかれこれ、三年の付き合いだ。外界と隔離された生活の中で、話し相手となってくれる貴重な人間だ。
 そして、リューディアの初恋の人でもある。ただし、一方通行の思いだが。

「わ、わたくしは……その、聖女ですので。今の関係のままで充分幸せです……」

 蚊の鳴くような声でそう告げると、カティンカがはあ、と大きく息をついた。

「聖女は婚姻が認められていないんだったわね。こんな塔に閉じ込めるのもどうかと思うけど、恋愛ぐらいは自由にさせてくれてもいいんじゃない?」
「……聖女は結婚すると、聖なる力を失うと言われていますから……」

 大司教に言われた戒めを思い出す。
 女神に仕える聖女は、清らかな乙女でなくてはならない。ひとたび純潔を散らしてしまえば、女神からの加護を失い、ただの人間になる。聖なる力である白魔法は使えない。
 そうなれば、古の聖杯を狙う魔女とは戦えなくなる。
 リューディアはフォークで果物のパイをぱくりと頬張る友人をちらりと窺った。波打った黒髪は何色にも染まらない美しさを放っており、美味しそうに頬をゆるます表情は普通の少女にしか見えない。

(そういえば、カティンカ自身は聖杯に興味はないのでしたね。おばあさまの遺言に従っているだけだと。ですが、たとえ友人であっても、聖杯は渡せません……)

 聖杯は創世記から伝わる遺物だ。扱う者によって、白にも黒にも染まるといわれている。そして一度、黒に染まった聖杯は元には戻らない。
 リューディアにとって、カティンカは大事な友人だ。その事実は変わらない。
 けれど、聖女を拝命したとき、女神からの祝福によって魂に刻み込まれた使命から逃れることもできない。聖女は聖杯を守るために生きている。誓約により、女神の願いを拒むことはできない。

(『魔女の果たし状』があったのは半年前――ということは、次はそろそろかしら)

 聖杯を狙う魔女は毎回、教会を通じて聖女の元に手紙を送ってくる。昔は昼夜を問わず攻めてきたらしいが、いつからか、聖女と魔女の間で事前通告が暗黙の了解となった。
 カティンカいわく、魔法の練習にちょうどいい。リューディアも教会が聖女としてアピールするのにうってつけの練習試合。二人の利害は一致していた。
 その五日後、フクロウを伝達係として『魔女の果たし状』が大司教の元に届けられた。

 ◆◆◆

 白魔法に比べ、黒魔法は燃費が悪いのだそうだ。敵対しているアピールをするため、派手な魔法をぽんぽんと放つ戦いの後、カティンカの訪れは一ヶ月程度開くことが多い。
 その日は彼女との約束の日だったにもかかわらず、リューディアは膝を抱えてベッドに腰かけていた。このところ、趣味の刺繍もほとんど進んでいない。
 いつもは心引かれる図案の本を見ても、ちっともときめきが訪れない。
 一人きりの部屋でこぼれるのは、ため息ばかり。

「……どうしたの?」

 カティンカの問いに、リューディアは意識を戻した。あわてて居住まいを正すが、突き刺す視線は鋭い。

「な、なんでも……ありません」
「なんでもないわけないでしょう。そんなに目を赤くして。一体何があったの?」

 答えに窮していると、隣にカティンカが腰かける。ふわりと花の香りがした。その懐かしい香りに泣きそうになりながら、リューディアはぽつぽつと喋る。

「……コンラートの婚約が決まったそうです。国王からの紹介のため、今回ばかりは断れないと。結婚すれば、聖女護衛の任からも外れるそうです。わ、わたくし……彼の幸せを祈らないといけないのに、できなくて……」

 彼は伯爵家の次男だ。見目も悪くないし、騎士として実直な性格も結婚相手として申し分ないだろう。そもそも、結婚適齢期の彼に今まで縁談がこなかったことの方がおかしいのだ。

(……ずっとこのまま状態が続くのだと思っていた自分が恥ずかしい……)

 婚約の報告をしたときのコンラートは、終始申し訳なさそうな様子だった。しかしながら、政略結婚とはいえ、彼なら未来の妻を大事にするだろう。そういう男だ。
 だけど、彼が自分以外の女性に優しく笑いかけることを想像するだけで、ひどく息苦しい。
 自分の感情なのに、うまくコントロールができない。
 歯がみしそうになっていると、両肩をガシッとつかまれて顔を覗き込まれる。

「もう、好きな人が別の人と結婚して平気でいられるわけないでしょう。あなたは聖女である前に、好きな人に好きと言えない、ただの女の子なのよ。自分の気持ちに蓋をする必要なんてないわ。自分の心に正直に生きればいいの。……誰が敵になったって、私だけはあなたの味方よ」

 不思議だ。敵として対面しているときは、世界を滅ぼすような極悪な魔女っぷりなのに、今は彼女の方が聖女のように思える。

「……ねえ、リューディア。聖女はどうやったら代替わりするの?」
「え?」
「魔女は血を繋いで生きていく種族。だけど、聖女は違うのでしょう?」

 闇に吸い込まれそうな黒い瞳に見つめられ、リューディアは視線を落とす。

「……聖女が交代するのは、聖女の寿命が尽きたときか、聖なる力が弱くなったときです。集められた聖女候補から次の聖女が選ばれます」
「そう……なら、まだ手はあるわ。あなたは私の魔法で生まれ変わるの。そうすれば、普通の女の子として、恋も自由も手に入るわ」
「自由が……手に入る……?」
「聖女では得られないものを手に入れるには、悩んでいる時間はないわよ。だから今、決めて。あなたは愛する男のためなら、すべてを投げ出せる?」

 いつのまにか、カティンカの纏う雰囲気が変わっている。
 お茶を濁すような返答はこの場には不向きだ。見る者を圧倒するオーラに、逃げることは許されない。

(わたくしは……すべてを捨ててまで、彼のことを愛している……?)

 はじめは、優しい人だと思った。世間から隔絶されたこの塔の中で、楽しみと呼べるものは彼の故郷の話だった。
 都で流行のお菓子を「秘密ですよ」と差し入れしてくれたり、読書がしたいとこぼしたら「お気に召すかわかりませんが……」とさまざまな種類の本を持ってきたりしてくれた。
 お礼にイニシャルを刺繍したハンカチをプレゼントしたときは、大げさなほど感謝された。魔女と秘密のお茶会をすることになっても、見て見ぬふりをしてくれた。
 思い返せば返すほど、彼の優しさで胸がいっぱいになる。

「わたくしは何もしないで諦めたくありません。彼がいなくなれば、わたくしは聖女のお勤めも満足にできないかもしれません。わたくしは……すでに聖女失格です」

 リューディアの心の中に芽生えた恋情は日々大きくなっている。このままでは、女神に仕える者としてふさわしくないだろう。
 落ち込んでいると、悪巧みをするように耳元で魔女が囁いた。

「魔女は恋する女の子の味方よ。任せなさい」

 ◆◆◆

 カティンカは準備があるとかで早々に帰っていった。帰り際、二人でよく話し合いなさいと言い残して。
 その夜、リューディアは扉の向こうを守るコンラートを部屋の中に招待した。

「聖女様。お招きいただき、ありがとうございます」

 律儀に返す護衛騎士を向かいの席に座るよう手で促し、リューディアも腰かける。いつも時間ぴったりに現れる彼のために、お茶会の準備は完璧だ。
 さらさらの淡い金髪に切れ長の薄紫の瞳。最初は研ぎ澄まされた刃物のような雰囲気を纏っていた彼だったが、打ち解けていくにつれて態度は軟化し、今では柔らかく微笑むほどに変わっていた。

(話さなければならない。わたくしの思いと、今後の計画について――)

 彼はどう反応するだろうか。真面目な彼のことだ。目を覚ませと諭してくるかもしれない。それでもいい。一番こわいのは無反応だ。
 けれど、次の一言で、世間話をして時間を引き延ばす予定が狂った。

「聖女様。何かお悩みなことがあるなら、どうぞ遠慮なく仰ってください。私にできることでしたら、何でもいたします」
「……どうして? わたくし、まだ何も言っていないのに」
「何年、専属護衛をしていたと思っているのですか。その顔を見ればわかります。私では話せないことでしたら、メイドを連れて参りますが……」

 コンラートが譲歩するように言うので、リューディアは首をゆるく振った。

「いえ。コンラートに話があります。このまま聞いてください」
「……わかりました」

 リューディアは唇を引き結び、姿勢を正した。コンラートが緊張するように肩を強ばらせたのがわかった。でも、もう後には退けない。

「わたくし、あなたのことが好きです。できれば、あなたの妻にしてほしいと思っています」
「……は……?」
「コンラートが結婚すると知ったときの、わたくしの絶望がわかりますか。前までは、ずっとそばにいられたら幸せだと思っていました。けれど、結婚してしまえば、あなたは遠い場所へ行ってしまう。そうなったら、わたくしはもう聖女としての務めも果たせなくなるでしょう」

 彼の背中を見送ることを考えるだけで、胸の痛みは増していく。

「わたくしは……聖女失格です。ですから、人生をやり直すことにしました」
「ちょ、ちょっと待ってください。それは……どういうことですか? あなたはこの塔から出ることもできないはずです」

 焦ったような声に、リューディアはカティンカがいつも行き来する姿見を一瞥する。そこに魔女の姿はなく、部屋の風景が映っているだけだ。

「わたくしの友達が力を貸してくれるそうです」
「友達? まさか……魔女のことですか?」
「もちろん。彼女以外にわたくしが頼れる者はおりませんから」

 明かり取りの天窓から上弦の月が見えていた。けれど、その月に叢雲がかかる。かと思ったら、それは黒い帽子だった。

(まさか……)

 彼女は指先で何かの文字を空中でなぞったかと思うと、窓をすり抜けて、箒に乗ったまま降りてきた。突然の訪問に目を丸くするリューディアを自分の背に隠し、コンラートが魔女に向き直る。

「お約束はされていなかったようですが……どういったご用件でしょうか?」

 硬い口調に、カティンカは艶然と微笑む。その視線はリューディアに向けられていた。

「話はできたかしら?」
「……ええ。伝えたいことは伝えました」
「そう。じゃあ、あとはあなたの返答だけね。コンラート、答えを聞かせてちょうだい。あなたが守りたいのは聖女様? それとも顔も知らない婚約者?」

 コンラートはリューディアとカティンカを見比べ、困惑している。
 端整な顔立ちにはくっきりと眉間に皺が寄っていて、まだ決断できていないことが見て取れた。カティンカもそれに気づいたらしく、ローブの中から小さな小瓶を取り出した。

「今夜、リューディアは一度死ぬの。この仮死状態になる秘薬でね。その後は目くらましの魔法で泥人形にすり替えて、異国に転移させる。聖女として縛られない場所で、自由に恋をしたり劇場に行ったりして、違う人間として暮らすのよ」
「…………」

 コンラートは言葉の真偽を探るように、リューディアに視線を寄越す。計画の全貌は今初めて聞いたが、とりあえず頷いておく。
 カティンカは腰に手を当て、挑むような視線を送る。

「あなたの聖女様はとっくに決断したわよ。あなたはどうするの?」
「私は……」
「コンラートは自分の幸せだけを考えてください。わたくしはあなたの気持ちを尊重します。……たとえ、他の人を選んでも、わたくしは強く生きてみせます」

 強がりも多分に含んだ言葉だったが、コンラートの心を決めるには有効だったらしく、胸に手を当てリューディアの前に跪いた。

「私は護衛騎士でありながら、聖女様に懸想しておりました。許されないとわかっていましたが、聖女様が同じ気持ちなら、もう迷う必要もありません。どうか、私もお連れください」
「……人生をやり直すのは苦難の道になるとしても、ですか?」
「聖女様が一緒なら、どんな試練であろうと乗りこえてみせます。婚約者には申し訳ないと思いますが、あなた以外に仕えるつもりはありません。聖女様を妻に迎えることができるのなら、魔女様の力をお借りすることに反抗する意思もありません」

 ひたむきに見つめられ、リューディアは頬を熱くした。

(こ、これって両思いだったと、そういうことよね……? し、信じられない)

 こんな幸せな思いをするのは、物語の主人公だけだと思っていた。自分には無関係のことだと、どこかで諦めていた。
 だけど、目の前には恋い焦がれていた相手がいる。自分だけを見つめて。
 どくどくと胸の鼓動の音が耳に反響する。震える手をもう片方の手で握りしめていると、カティンカが咳払いをした。

「話はまとまったみたいね。じゃあ、これから計画の詳細を説明するわ」

 ◆◆◆

 カティンカの作戦はうまくいった。
 原因不明の遺体が二人分運び出される中、魔女の黒魔法でその袋の中身は入れ替わり、リューディアとコンラートは遠くの国の港町に強制転移させられていた。
 手近な宿で着替えを済ませ、部屋に落ち合った二人は距離感がつかめずに、お互い探るような視線を向けていた。

「聖女様……」
「ふふ。わたくしはもう聖女ではありません。どうぞ名前で呼んでくださいな」

 わざと軽い調子で訂正すると、コンラートが弾かれたように顔を上げる。

「……リューディア様。私はあなたの幸せを生涯かけて守ります」
「では、わたくしは……あなたの心の平穏を守らせてください。これからは二人だけの力で生きていかねばなりません。どんな状況になっても、わたくしはあなたのおそばにおります」

 女神に祈りを捧げるように両手を重ね合わせると、その上から大きな手が優しく包み込んだ。目を開くと、薄紫の瞳が熱を帯びてリューディアを見下ろしていた。
 両肩にそっと手を置かれて、顔が近づく。反射的にリューディアは目をつぶった。だけど唇同士が触れあうことなく、頭のてっぺんに軽い口づけが落とされた。

 ◆◆◆

 カティンカは黒い森に構える古い庵から出て、湖のそばの倒木に腰かける。使い魔の烏が肩に止まった。呪文をつぶやくと、烏の瞳が虹色に輝き、遠くの異国の風景を映し出す。
 先代の聖女はリディと名を変えて、愛しい騎士とともに新しい人生を歩み出している。それを知るのは自分だけだ。

「あなたに幸せが訪れんことを」

 表向きは敵対していた唯一無二の友を想い、祝福の言霊を口に乗せる。それは風に乗って運ばれ、空の彼方に流れていった。
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