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第二章

18. 事情聴取のお時間です

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 帰宅後、イザベルは玄関ホールで出迎えに来たリシャールを連れ去り、自室に閉じこもった。
 念のために鍵をかける。専属執事を革張りの椅子に無理やり座らせ、イザベルは仁王立ちした。

「リシャール。わたくしに黙っていること、あるわよね?」
「……何のことでしょう?」
「とぼけても無駄よ。ジークフリート様に手紙を渡したそうね。おかげで大変だったのよ!」
「申し訳ございません。なにぶん、時間がなかったものですから……いざというときに用意しておいた手紙を使うことになりました」

 非礼を詫びるわりに、リシャールは涼しい顔を崩さない。
 まったくもって、誠意が足りない。

「いい加減、白状なさい。ここまでする理由は一体なんなの?」
「……私の口からは申し上げられません」
「じゃあ、お父様やお母様なら教えてくれるのかしら?」
「いえ。これは私の勝手な思惑ですので。エルライン伯爵様や奥方様とは一切関係ありません」

 きっぱりと断言する顔からは、嘘や偽りは感じられない。
 イザベルは長いため息をつく。

「ということは、あなたは個人的な目的のために、伯爵家と公爵家の婚約を取り潰そうとしているわけね」
「……婚約者の候補は多くいらっしゃいます。お嬢様を心から愛してくれそうな殿方もリストアップしてあります。信じてもらえないかもしれませんが、イザベル様を不幸にさせたいわけではないのです」

 この執事見習いは何かを隠している。仕えるべき主人に宣戦布告までしておいて、信じろという方が無理だ。

「あなたは執事失格ね」
「……返す言葉もございません」
「主人よりも、自分を優先するなんてこと、優秀な執事ならありえない」

 そう、本来ならありえないのだ。
 リシャールの行動は、乙女ゲームのシナリオから逸脱している。ここがゲームの世界なら、彼は攻略キャラとして与えられた役割のみを演じればいい。
 定められたシナリオを覆すための行動は、シナリオに悪影響があっても不思議ではない。

(ルートは全部やったけど、『薔薇の君と紡ぐ華恋』には隠しキャラや裏ルートはなかった)

 だからこそ、わからない。
 しかし、一つだけ確かな事実がある。目の前の彼は「黒薔薇の執事」であり、重要な攻略キャラだ。
 黒薔薇ルートに入っていたら、フローリアが恋する相手は彼だったはず。

「リシャール。先ほど、わたくしを不幸にさせたいわけではない、と言ったわね。言い換えると、わたくしとジークフリート様が結婚すると、誰かが不幸になるということだわ」
「…………」

 無言を肯定ととらえ、イザベルは確信を得る。

「あなた……その人が不幸にならないために動いているんじゃない?」
「さあ。お嬢様のご想像にお任せします」
「もしかして、あなたが好きな女性ってフローリア様?」

 再び沈黙が流れる。しかも、さっきよりも長い。
 これはもしかしなくとも、アタリではないだろうか。
 イザベルは嬉々として声を弾ませる。

「やっぱりそうだったのね!」
「っ違います! それは大きな誤解です」

 察するに、必死に否定するのは図星だからだろう。

「照れなくていいのに。でも、そうかぁ……フローリア様なら好きになるのも当然よね。わかる、わかるわ!」
「勝手に一人で盛り上がらないでください。仮にも、嫌がらせをしていた相手ですよ? お嬢様、いよいよ頭がお花畑になってしまったんですね?」

 蔑むような目を向けられ、イザベルはぜんまいが切れたように、ぎこちなく首を動かす。リシャールは真顔だった。いつもの笑顔もない。

「……え……」
「え、ではありません。誤解だと言っているでしょう。すぐに返答できなかったのは図星でもなんでもなく、お嬢様の甚だしい勘違いに言葉が出てこなかっただけです」

 刺々しい言葉がグサグサと刺さり、イザベルはうなだれた。ダメ元でファイナルアンサーを求める。

「本当に…………違うの?」
「違います」
「じゃあ、誰が好きなの?」
「……答える義務はありません」

 居心地が悪いように窓の外に視線をそらされ、ふと、ピンと閃くものがあった。

「……リシャールが言葉を濁すほどの相手……もしかして!」

 だが最後まで言う前に、言葉が被さる。

「その先は結構です。どうせ的外れですから」
「むっ、そんなの聞いてみないとわからないでしょう!」
「聞かなくてもわかります」
「なによ。仕えている主人に惚れちゃったって話はよくあるでしょう?」

 頬を膨らませて抗議すると、妙な間が空いた。
 やがて、リシャールは頭痛がするとでも言うように、額に手を当てる。

「イザベルお嬢様……。それは小説の中での話です。架空の話と現実を混同なさるのはおやめください」
「そんな……わたくしのことは好きではないの……?」

 悲劇のヒロインさながらに泣き崩れる真似をするが、リシャールの目は冷たいままだ。薄情な執事である。

「率直に申し上げて、お嬢様は私のタイプではありません」
「……うう。……ひどいわ、リシャール」

 ちらりと見上げると、あからさまにため息をつかれた。
 リシャールはゆっくり立ち上がると、片膝をつき、イザベルと目線を合わせる。

「ですが、イザベル様のお世話は好きですよ。一緒にいれば飽きませんし、使用人に対しても家族のように接してくれますし、こんな主人は珍しいでしょうね。あなたのおかげで、仕事のやる気が出た使用人も多いはずです」

 ふかふかの高級絨毯の上に座り込む主人に、優しい微笑みとともに手が差し出される。イザベルがその手をつかむと、ぐいっと引き起こされた。
 けれど、勢いよく引き上げられたせいで、リシャールの胸と正面衝突してしまう。鼻をぶつけて地味に痛い。
 ここは文句を言っておくべきかと顔を上げると、いつになく真剣な瞳に射抜かれる。
 金縛りにあったように動けないイザベルの両肩にそっと手を当て、リシャールは距離を取った。
 一人分のスペースは、主人と従者の距離だ。彼が執事見習いになる前は、もっと近くに感じていたはずの体温。
 だが今は、身分の壁により、昔のように触れ合うことすら許されない。

「この婚約だけは、何があっても白紙にしなければならないのです。理由は明かせませんが、いずれ誰かが不幸になるのは事実。ですから、婚約破棄について、真剣に検討していただきたく存じます」
「……あなたの気持ちはよくわかったわ。でも、婚約破棄はできないの」
「それでも、私は諦めません」

 拳を握るリシャールの手を一瞥し、イザベルは主人として命令を下す。

「話はおしまいよ。もう下がっていいわ」
「……かしこまりました」

 部屋のドアへ向かう気配に続いて、鍵を開ける音。

「失礼いたします」

 完璧な角度でお辞儀をし、退室していく後ろ姿を無言で見送る。
 ドアが完全にしまってから、イザベルはテーブルの上に置いていた花束を手に取った。
 無垢な白薔薇とは正反対の、情熱的な色。
 まだ開ききっていない花びらを撫でながら、車内で見たジークフリートの笑顔を思い出す。

(……まだ、その時期じゃない。今してしまえば、婚約破棄のイベントが狂ってしまうもの)

 胸が疼くのは気のせいだ。
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