偽装婚約しませんか!?

仲室日月奈

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夢の時間の終わり

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 終わりは唐突に訪れた。
 交換留学という名目で転入してきたセリーヌ皇女の前で、ローレンスが婚約者にベタ惚れという演技を続けたおかげで、彼女は早々に見切りをつけた。「あたくしを愛せない男などお呼びではないのですわ!」という捨て台詞を残し、交換留学の期限が来る前に帝国に戻っていった。
 彼女が帰国して一月もしないうちに、帝国から正式な発表があった。
 セリーヌ第一皇女が魔術大国の新王に嫁ぐ、と。
 先王が急逝して即位して間もない若き王は、妖精の祝福を受けたような類い稀なる美男という噂だ。あれほど自分の容姿に見劣りしない伴侶を求めていた彼女のことだ。麗しの新王は、きっとセリーヌ皇女のお眼鏡にかなったのだろう。

(夢の時間もこれでおしまい。……ローレンスさまは晴れて自由の身。彼の横にいるべきなのはわたくしではない。田舎令嬢とはいえ、引き際は弁えなくては。ちゃんと笑顔のままお別れするんだ。うん、できる!)

 本音を言えば、もう少し一緒にいたかった。
 けれども、これは期間限定の関係だ。いつかは終わりが来る。それが予定より少し早まっただけだ。みっともなくすがる姿は見せたくない。
 気丈に。なんでもないように振る舞え。仮とはいえ、第二王子の婚約者なのだから。

「これでお役目は果たせましたね。わたくしはいつでも構いませんから、殿下の都合のよいときに婚約を白紙になさってください」

 王族専用のサロンで開かれたお茶会で、ヴィオラは世間話のように話を振る。
 きっと大丈夫。淑女の笑みは崩れていないはずだ。何度もこの日のためにシミュレーションしていたのだから。
 ローレンスは虚を突かれたように目を見開いたかと思えば、徐々に怪訝な顔になっていく。ティーカップを置き、静かな声で問いかけられる。

「君はそれで本当にいいのか?」
「? はい。そういう契約ですので」
「そう、か……」
「今まで過分な待遇を受けたこと、大変ありがたく存じます。殿下と過ごす毎日はわたくしの幸せでした。よき伴侶を迎えられ、今後の殿下の日々が穏やかなものとなりますようにお祈りしております」

 退室の挨拶を済ませて腰を浮かせたところで、ローレンスが声を張り上げた。

「すまないが、予定が変わった。婚約破棄はしない。よって、今日からは本物の婚約者としてお願いしたい」
「んんん……?」

 意味がわからず、とりあえず着席する。
 頬に手を当てながら、先ほどの言葉を反芻する。
 ヴィオラの予想では「ああ。今まで世話になったな。君も元気で」と言われるはずだった。なのに、なぜ。どこを間違えてしまったのか。
 彼にヴィオラを引き留める理由なんてない。ひょっとして、サロンに来る前にローレンスは頭でもぶつけてしまったのだろうか。
 頭の心配をしていると、ローレンスは居心地が悪そうに視線をさまよわせた。

「要するに、だな。君を手放したくなくなった」
「…………どうしましょう。わたくし、とうとう幻聴が聞こえてきました。悪い風邪をひいたのかもしれません。殿下に移す前に急いでお暇しますね」

 体調不良に気づけずお茶会に出席した挙げ句、ローレンスに風邪まで移してしまっては申し訳が立たない。彼も本調子ではなさそうだし、一刻も早く自室にこもって体を休まねば。
 ヴィオラはテーブルに手をついて立ち上がる。淑女の礼を取り、さっと身を翻してドアを目指す。
 だがドアの取っ手をつかむ直前、ガタンと椅子が倒れる音がした。驚いて振り返ると、すぐに焦りに満ちた声が飛んできた。

「ヴィオラ、待ってくれ! 俺の渾身の告白を、空耳と一緒にしないでくれ。……頼む」

 後半の、切実な響きに目を見張る。
 金色の眉は下がり、アイスブルーの瞳は潤んで今にも泣き出す寸前だった。
 そんなバカな。貧乏子爵令嬢が成人間近の王子を泣かせるなど、前代未聞の悪行ではないか。ヴィオラの混乱は頂点に達した。

「え? まさか、幻聴じゃ……ない、……だと?」
「ヴィオラ。口調が乱れている」
「……はっ、失礼しました。予想外の事態に気が動転しました。何のお話でしたでしょう?」

 今ここでぐるぐると考えこんでも、すぐに答えは出ない。ならば悩み事は一旦リセットするに限る。大自然に育まれた貧乏領地出身であっても、自分は貴族令嬢だ。
 冷静沈着に。何があってもうろたえない、取り乱さない。
 ヴィオラは薄く息を吐き出し、淑女らしく微笑んで外面を取り繕う。
 何もなかったのだと自分に言い聞かせ、置き人形になったつもりで心を無にした。ちゃんとした令嬢に擬態できたと安堵していると、ローレンスは物言いたげな目を向けた。
 唇を引き結び、視線を合わす。しばらくそのまま見つめ合う。やがてローレンスは片手で顔を覆い、うなだれてしまった。

「突然のことに脳が理解するのを拒むのもわからなくはないが、記憶を抹消することだけはやめてくれ。普通に凹む。貴族社会で表面上は取り繕えていても、俺だって人並みに傷つくんだぞ」
「……あう。申し訳ありません……」
「わかればいい。では、本題に戻そう。いいな?」
「はい……どうぞ」

 怒られる気配を感じながら先を促すと、咳払いが聞こえてきた。
 ローレンスはテーブルを回り込んでヴィオラの前までやってきて、片膝をつく。それから、胸に手を当て片手を差し出した。
 まるで騎士が姫に忠誠を誓うように。

「――ヴィオラ・セルフォード令嬢。他の男ではなく、俺を選んでくれ。俺にとっても君と過ごす時間はかけがえのない楽しい日々だった。君の代わりなんて誰にも務まらない。俺の心を解きほぐせるのはヴィオラだけだ。俺は、君を妻に望む」
「ななななっ……!?」
「どうか俺の手を取ってほしい」

 ヴィオラは無意識に震える指先を伸ばしかける。
 けれど、途中で我に返った。あわてて手を引っ込めて、自分の胸に押しつけた。

(……あ、危なかった)

 叶うことならば、この手を取りたい。それは本心だ。
 しかし、それはできない。貧乏子爵令嬢が王家に嫁ぐなど、身分差という壁がぶ厚いにもほどがある。平々凡々な見た目、中身も特筆すべきところがない女を娶って、周囲から侮られるのはローレンスである。敬われるべき王族の威信にも傷がつく。
 あとで解消する関係だったから、ヴィオラは婚約者になれたのだ。けれども結婚するとなれば話は別だ。第二王子の妃という地位はヴィオラには荷が重すぎる。
 どれだけ彼を好きでも、お互いが不幸になる結婚は避けるべきだ。
 ヴィオラは自分を慈しむような視線から逃げるように目を伏せ、力なく首を横にふるふると振った。懇願するように自分の両手を握りしめ、震える唇を開く。

「で、殿下……。ですが、あの、わたくしは結婚相手として何もかも不足しております。わたくしは仮初めの婚約者という立場で充分です。どうかお考え直しを……っ」
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