陰陽剣劇譚―カミナリ―

黄坂文人

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二十二話 剣客、職を得る

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「はっはっはっ、何でも言ってみるもんだな」
「……ややこしいことになりやがった……」
 九十九は、頭を抱えた。眉間に深く皺を寄せて項垂うなだれている。対して累は、軽い足取りで堂々と隣を歩いていた。
「なんて顔をしているんだ。九十九にとっても一番良いことだろう?」
「まぁ……いつまでも隠せるもんじゃないし、良いけどさ。累……大丈夫なのか?」
「何も問題はない。掃除之者頭として、この学問所を支えてみせよう」
「お前は剣士だろうが……それに、やることは掃除だけじゃないと思うぞ……」
 累は、握り拳を作って、腕をぐっと掲げた。目は爛爛らんらんと輝いてやる気十分である。およそ、九十九の言葉など耳に入っていない様子だ。そんな累を見つめる九十九の顔には、不安の色がありありと浮かんでいる。
「雪ちゃん……何考えてんだよっ……」

    ◇

「仕事が欲しい……?」
「是非」
 累の言葉に、九十九は驚愕した。何を言い出すかと思えば、職の斡旋を頼むとは。やはり、累は自分が置かれている状況を理解出来ていないとしか思えない。現代での素性が全く分からない者を雇う人間が、一体どこにいるだろうか。そもそも、小中学校すら出ておらず、もちろん職歴もない。履歴書は完全に白紙だ。かろうじて、特技に剣術と書ける程度でしかない。
「あ、あのー……何を言っていらっしゃるのかな?累さん」
「九十九は、普段ここにいるのだろう?なら私もここにいたい。しかし、ただ居るだけというわけにもいかんだろうからな」
「いやいやいや……まぁ、とりあえず帰ろう。先生に迷惑掛けちゃいけないんだぞー」
「九十九は、黙っていてくれ。これは、私が決めたことだ」
「無理に決まってるだろーがっ!働くのはそう簡単じゃねぇんだよっ」
「聞いてみなければ分からないだろう!私は岡村殿と話しているんだっ、口を挟むな!」
「なっ、このやろっ……!」
 お互いに顔を突き合わせて睨み合った時だった。
「……用務員」
「……え?」
 岡村が腕を組んで、俯き加減でぽつりと言った。
「夏休み前に、小山さんが身体を壊して辞めてな」
「……あぁ、そういえば見なかったな。小山さん」
 九十九は、入学当初からいた小山という用務員を思い出した。あまり話したことはないが、六十代くらいの初老の男性と記憶している。九十九が入学する遥か以前からこの学校に勤めていて、生き字引のような存在だったらしい。
「確か、用務員を募集していた筈だ」
「仕事があるのかっ!」
 累は、ガッツポーズをするように両腕を胸の前に掲げた。
「何でもするか?」
「もちろんだ」
「よろしい。明日から来なさい」
「恩に着るっ」
「えっ!嘘だろっ!?」
 九十九は、累を押しのけて岡村に詰め寄った。
「何言ってんの!雪ちゃんっ」
「近い。雪ちゃんはやめろ」
 岡村の言葉は無視した。もう少しで額がぶつかりそうなほどに近づいている。
「そんな簡単に決めちまっていいのかよっ、累のこと何も知らねえだろ?」
「累君。歳は?」
「二十だ」
「お前、二十歳だったのかよっ」
「身体は丈夫かね」
「健康そのものだ」
「問題ないな」
 累は右手を高々と掲げ、九十九に不敵な笑みを向けた。勝ち誇った顔が憎たらしい。
「ありえねぇだろっ」
「学歴・年齢・経験不問。未経験者歓迎だ。おまけにアットホームだぞ。わが校は」
 岡村は、眼鏡のブリッジを人差し指で上げながら口を歪めた。笑顔を作ろうとしたようだが、あまりに慣れていなくてぎこちなく、不気味だ。
「んなアホな……」
「阿原の親戚なら良いだろう。上の者に任せて、偏屈な老人が採用されてしまったら、やりづらいからな。若い子なら何でもやってくれそうだし。後は、私が話を通しておく」
 岡村の都合の良い人材が欲しかっただけでは、と言いかかったが、すんでのところで堪えた。
「で、でも……」
「まだ、何か問題があるか?阿原」

    ◇

 累の要求は、すんなりと受け入れられてしまった。この現代で、こんな簡単に職を得られる江戸時代の人間は、累以外にいないだろう。九十九はこの学校、ないし担任教師はどこかおかしいのではないかと不信を抱きながら、廊下を歩いていた。
「さぁっ、明日から忙しくなるぞ」
 累は、吞気に喜色満面の笑みを浮かべた。
 窓側を歩く累の顔に、厳しい残暑の陽光が差している。それに比例するように、彼女の気分は高揚しているようだった。反対に、九十九が歩く教室側は影となっていて、はっきりと二人の明暗を分けていた。
 こうなれば、九十九とて前向きに捉えるしかない。確かに、累が学校にいれるのであれば好都合だ。家に閉じ込めるのは本位ではないし、現代のことを、より深く知る好機かもしれない。それに、いつ旗本奴と呼ばれる者達が襲ってくるとも限らない。累が近くにいてくれるのであれば心強い。
「累。はしゃいでんなよ?遊びじゃないんだからな」
「ふん、言われずとも分かっておるわ。まだまだはな垂れ小僧の九十九は、勉学に励んでいればいいんだ」
「何だとっ!ちょっと年上だからって偉そうにすんなっ」
「ふっふっふ、姉様と呼んでも良いのだぞ?」
「誰が呼ぶかっ」
 累は、九十九に顔を近づけて、にっと笑った。それは、子供に対してか、或いは弟に対してか。どちらにせよ、からかっているのは、間違いない。
「ぐぐっ……はぁ。まぁ、いいや。明日からだろ?とりあえず今日は家に戻れよ」
「私をすぐに帰そうとするなっ!」
 累が威嚇する犬のように唸った。がるるっ、とでも聞こえてきそうだ。
「……何だよ。やることねぇだろ?」
「少し庭を見て回りたい」
 言いながら累が、窓に近づいた。
「庭?って校庭か」
「さぁ、出口まで案内してくれ」
 案内を頼みながらさっさと歩いて行ってしまう。
「覚えてねぇの?教室まで一人で来たじゃん」
「あれは、黒猫が導いてくれたんだ」
「ああ、なんかそんなこと言ってたな……ったくよぉー、猫に道案内してもらう剣豪なんて聞いたことないっての」
「黙って案内しろ、洟垂れっ」
「……ポンコツ剣士」
「ポンコツとは何だ!?どういう意味だ!馬鹿にしたんだろう?そうだろう?」
 九十九に詰め寄る累。それをひょいっと身体を捻ってかわし、後ろへ回り込むと逃げるように走る。累も追って走った。
 昼下がりの校舎。授業中で静まり返る廊下に、二人に足音が反響した。
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