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二章 理想の自分のために世界を変えたとして

俺が俺であるために殺した

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アルが仕掛けたアラートに、ツムグが駆け出したのはデッドラインが危機だからではない。そんな組織への忠誠心を彼は持ち合わせていなかった。ここでデッドラインが壊滅なんて事態になれば、お粗末な采配が100%悪いと彼は言い切るが、残念ながら彼の病的な完璧主義が無視させてくれなかったのだ。

ーー俺までしてやられたようではないか、と。

結局のところ、どこまでも高いプライドによって、彼は走らされているようなものだった。そしてーー

もしかしたら、どこか予感を持っていたのかもしれなかった。探していた存在にーー殺したい現実改変能力者に繋がっていると。

アルが残した痕跡を順当に辿りーーデッドラインの地下施設の一部空間が改変で変更されていたーー彼は見つけた。

イノチガケを、ではない。彼がそれより先に進み廊下の先のドアを開けていれば、ちょうど血だらけのアルと、イノチガケに会うことになっただろうが、違った。

そこにいたのは、アッシュグレイの髪。眼鏡の奥の金の瞳が一定のペースで上下に動いて閃くのは、その男が本をーー消滅したはずの本を読んでいたからだった。静謐な空気を纏って、世界から切り離されてでもいるように。

ーー次の瞬間、ツムグは飛びかかっていた。

早撃ちでEXT-Rを何発も打ち込み、その弾で現実改変に対抗する領域を張って、押し倒す。ツムグは荒く息を吐く、EXT-Rを相手の喉奥に差し込む。

確実に致死を狙った動き。金の瞳が獅子のように光る。瞳孔が開き、唸るように息をした。

冷静な行動はただの彼の技術がなせるだけのもので、頭には煮えたぎる激情ーー冷静さなどそこにはない。

「ーーお前だけは何があっても殺す、俺はお前という偽物を許さない」

ツムグと瓜二つの青年は銃口を咥えさせられても静かだった。あまりに凪いだ目をしている。世界など、お前など、この自分には無関係であるとでも言いたげな冷めた金の瞳。

世界を切り取り、自分の世界ーー領域に、入ることを許さない静寂を纏って、ツムグを見上げている。

ツムグにはこの男が許せない。ツムグと瓜二つーーというより、何かが違っただけのツムグそのもののような男が。

ツムグから見れば目の前の男は、現実改変で生まれたツムグだ。虚構を現実にする自らの力で生み出されてしまった、あってはならない、あるはずがない、自分。完璧ではない、弱い、己。間違いで生まれた偽物。

自分が切り捨て、殺した全ての弱さを、後生大事に抱える自分がいるなんて、そんな屈辱を堪えられない。

彼もまたツムグである、改変された存在である以上、それは確かな事実だ。しかし、彼はデッドラインでシナズを撃ち殺しているツムグとはまるで違うーーいわばツムグとしては否定されるべき、unUNアンツムグとでも言うべき存在。

「お前が存在することを、断じて許さない!!」

突風が何かを捲っていく。目を開けていられなくなる風に、空間が捲られていく。

何もない空中に、物理的に存在しないはずの境界が生まれて、まるで現実の風景が、本の中の写真だったかのように切り取られ、風に捲られていく。ーー現実がハリボテの虚構になったように。

地面と空の境目がなくなる。上下がわからなくなって、さながら本に吸い込まれるように歪んだ空間に落ちていく。


⭐︎


ツムグが次に目を開けた時、そこは明らかに異空間だった。

何故なら、見上げた空は普段見ている空ではない。文字が浮かんでいるーー空があるべき場所におびただしく巨大な青い字で「空」が整列していた。本の印字のような書体で。

その他、地面には茶色の字で「土」やら緑の字で「草」が積もって、靴の下は埋められている。踏みつけると小さな感触があり、文字は容易く砕けた。

ーー文字で構成された世界。表現するならそんなところだろうか。あるいは、景色全てが文字に変換された世界。

足を踏み出せば、「足音」という小さな文字が転がる。人はいないーーいや「人」という文字ならば遠くに見えるが。ツムグは先ほどまでの憤りのやり場をなくして、しばし呆然とする。

不意に上にあった空の文字の羅列の一部が消失して文字が浮かぶ。ツムグは眼鏡の奥の瞳を細めて読むーー無意識に口に出して。

「問題。ツムグには大切な人がいました、それは一体誰でしょう?ーーだって?」

ふざけた文字だ。同時にツムグは理解した。この世界はーー自分ではないが同時に自分であるーーUNが生み出している。ツムグの機嫌は急降下する。眉間にみしりと皺が寄った。

上にあった「空」の文字がぱたりと「曇天」の文字に切り替わる。ツムグはイライラと足を揺すった。

ーー大切な人だって?大切な人などーー。

ツムグは思考を一時停止させる。思い浮かんだ言葉の続きを無理に止めた。何故なら、大切な人などいないでは正確ではなかったからだ。大切な人など、もういないーー大切な人は、いたのだから。

腹立たしい。何の意味があるともしれない戯れに付き合う義理もない。噛み締めた歯が鳴る。ーー何故、偽物の思うままにしなければならない。しかし、EXT-Rは手の中から消失していてーーというより、この場所ではUNツムグこそが絶対的な主人で、攻撃しようがないことを直感的に理解している。

だから、金の目を憤りにギラギラさせるしかない。彼は鬼のような形相で、大きくため息をついて、それから何でもない風の顔で囁く。ーー殺すために、従ったふりをする。

「親友だ」

途端、「曇天」の字に紛れた問いは文字を変えた。

ーー正解。彼はツムグの親友でした。

まるでそれに合わせるように、「曇天」が「雨空」に切り替わり、小さな文字が絶え間なくパラパラと落ちてくる。「雨」の字が落ちてきてーー雨が降り出した。

また見上げた先の文章が変わる。ツムグはため息をついた。意味がわからない。雨の文字を鬱陶しがるように手ではらった。

ーー問題。ツムグが彼にしたことは何でしょう?

ツムグはため息をついたーーなるほど、俺を責めたいらしいぞ、と。彼は鼻を鳴らして、嫌な笑いを見せた。UNツムグはやはり殺さなくてはならない。

「ーー殺した。首を絞めて殺した。確実に死んでいるとわかるまで」

「正解」と文字が出て、ツムグは鼻で笑うーーよくこんな馬鹿馬鹿しい茶番をやる気になる、と。それはある種いつもと変わらない、彼らしい態度の悪さだった。だが、文字はそれでは終わらず、さらに現れた。

ーーしかし、それだけではないはずだ。

その文字は何重にも繰り返された。

ーーしかし、それだけではないはずだ。ーーしかし、それだけではないはずだ。ーーしかし、それだけではないはずだ。ーーしかし、それだけではないはずだ。

まるで空を覆うように、活字が不可視の圧力を持って並ぶ。見渡す限り並び続ける。延々と地の果てまで。責め立てるように、覆い尽くして圧死させようとでもいうように、文字に意志などないが、寒気がする文字の羅列。

ツムグはのしかかるような文字列に怯みはしなかった。彼はイライラと足を揺する。

ーーこんなことで、何か感じ入って俺が悔い改めるとでも、思っているのか?だとしたら、酷い侮辱だった。ツムグは自分のしたことを善行だとは思わないが、一度自分が選んだ正しさを途中で翻すような生き方をした覚えはない。

あまりに見込みが甘すぎる。弱くて愚かな奴の考えそうなことではないか。ツムグは見開いた冷え切った金の目で、きっと睨んだ。

「存在をなかったことにしたーーこれで十分か」

ーー正解。
ーー問題。ツムグは何故親友を殺したのでしょうか?

ツムグはいよいよ視線で人を殺せそうな顔になって、文字を見上げた。雨の字がいくつも落ちてくることなど、もはやどうでもよくなっている。

ーーああ、ああ、苛つく。癪に障る。そんなくだらない糾弾が自分に通じると思われているようで、腹の底がひっくり返るくらいに煮立つ。馬鹿にしているのか、と。

「風」の文字が通り抜けて、背筋が寒くなった。たとえば、振り向いて「彼」がいるなんてーーそう後悔がもたらす恐れと共に振り向くなんてーーなんてチープ、そんなところをお望みだろう。UNツムグの思惑を想像して、だとしたらと、ツムグは手を叩いて声をあげて笑った。

金の瞳が鈍く光る。腹を抱えてひとしきり笑って、ツムグは笑いすぎて出た涙を指先ではらった。

ーー滑稽極まりない。あれは、正しい選択だった。俺はこの認識を墓まで変えるつもりはないし、干からびた骨になったとて変えられることはない。

誰に理解されなくとも構わない、世界中の誰からも間違っていると糾弾されようが、倫理的におかしかろうが、ツムグにはどうだって良い。あれは正しかった。ーーツムグにとっては、何よりも。

「ーー俺が俺であるために殺した」

ツムグは上を見上げて、言い放った。強く意志を込めるように、語気を強めて。己の正しさを誇示するように、胸を張って。彼らしからぬ爽やかさすら纏う微笑みすらたたえて。その金の瞳に陰はないーー後悔する余地はないのだから、当然だった。

言葉に虚飾はない。顔に嘘はない。ツムグが知識として持つ、常識だとか良識だとかにあわせて考えれば、親友を殺し消したというのはおかしい。理由が自分であるためになんて、理路整然からは遠いことを理解する。

異様だ、悪だ、疑いようなく、しかし、真実だ。素直な心で、ツムグは言っている。

アッシュグレイの髪が荒ぶる風で乱れる。轟々と風が鳴る。非難轟轟というように、風がツムグを倒さんばかりに、唸って吹き荒れる。

文字が現れる。矢継ぎ早に浮かんでは消える。次々と。

ーー彼は嫌いだったか?
ーー彼を憎んでいたか?
ーー彼と一緒にいて苦痛だったのか?
ーー彼に許せないところがあったのか?
ーー彼と楽しい思い出はなかったのか?
ーー彼と仲が悪くなったのか?
ーー彼に裏切られたのか?
ーー彼に嫉妬したのか?
ーー彼のためにやむを得なかったのか?

ーー彼が何かしたのか?

ーー彼が、何か、したのか?

強調するようにその文字列は残り続けた。まるで、そう、責めているようだった。意志を持って、文字がツムグを糾弾したがっているようだった。

ツムグはまた腹を抱えて笑いたいのを堪えた。これでは笑いすぎて死にそうだーーそういう狙いなら大成功だなと、彼は内心でそう呟く。

彼にとってあまりにも愚問で、聞く意味のないものだった。それさえわからぬ誰かさんを、あるいは世界中を、嘲笑って、彼は口元を歪めてシニカルに言う。

「全てーー否だ、そんなわけあるか、馬鹿じゃないのか?」

きっぱりと言い切った。ツムグは笑みを浮かべたまま、芝居がかったそぶりで肩を竦める。

「彼のことは好きだったし、憎むはずもないし、苦痛なことなどなかったし、許せる欠点しかなかったし、楽しい思い出ばかりだったし、最期まで仲が悪くなることはなかったし、裏切られた覚えはないし、嫉妬なんぞ存在するはずないし、彼のためにやむを得ないわけじゃなかったね。

ーー彼は何もしてない、悪いことは何も」

それは謂わば、道理がないことを宣言しているようなものだった。そして、こうなってくると唯一の筋ともいえる、ツムグが快楽殺人鬼であるなんて説も、残念ながら外れなのだった。

だって、ツムグははじめから嘘を言っていないーー己が己であるために、それだけのために、彼は親友を殺したのだから。

「俺の親友は、俺を完璧にするために死に消えたーーこれ以上、価値あることはない。親友の本懐ってやつだな、結構だろう」

軽々しく、半分笑いながら彼は言う。

ツムグは病的な完璧主義者で、高すぎるプライドを持ち、生きづらい生き方しかできない、性格の悪い、弁護しようもなく、同情のしようもなく、徹底的にとにかくどこまでも果てしなくーー性格の悪い男である。
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