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怪盗アンドロイドはデータ(記憶)を盗む
怪盗と技術者と小さな少女
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アイリスのもとに予告状が届いたのは、一週間前。
「月の明るい夜に、貴女の記憶をいただきます 怪盗&」という、印字された文字。白に刻まれたシンプルな文字列は、陳腐にさえ見えて、悪戯のようにしか思われなかった。
怪盗&。予告状を届けられた人間のもとに現れ、データを盗むと言われている。さる大企業の経営トップが彼にデータを盗まれて、酷い汚職の実態が世間に暴かれたといったニュースも、目下のメディアの話題の一つである。
アメリカ、NY。アイリスがホテル暮らしをしているその場所で名前を聞かない日はない。サンフランシスコ、ロサンゼルス、ボストン、シカゴ、アメリカ全土にわたって、彼が関わる事件の噂は尽きない。
本拠地はおそらくアメリカ。情報を盗み出す手口も、怪盗アンドが個人なのか集団なのかすらも、はっきりしない。故に、NYの市警察も、FBIも目の色を変えて追っている。
情報の流失による被害は少額とは言えないが、犯罪者として目立つほどではなく、派手な割には凶悪犯でもない。しかし、怪盗アンドを放置できる組織はない。
秘すべき情報を盗み出すことができる。それが他社へ、他国へ渡れば?或いは凶悪な犯罪組織に渡れば、いや、彼自身がいつそうなるかは誰にもわからないのだ。
権力を持つ全ての組織が、人間が、彼を追う。
彼、とメディアでは表現されているが、それすらも、正しいかはわかっていなかった。情報社会において、アメリカ全土どころか各国で話題となりながら、情報が少なすぎる、異常なほどに。
マスメディアだけが能天気に彼をヒーローのように扱うのだ。権力をかさに着る悪人と、性根の腐った富豪を懲らしめるヒーロー。平凡な民衆は、憂さ晴らしと刺激を求めている。メディア関係者は言うだろう。
怪盗アンドは紛れもない情報化社会のヒーローだ。
そして、どんな政治家や芸能人よりも受けの良いショーの演者なのだ、と。
……それが、この男、なのか。
アイリスは眩暈がする思いで、天井を見上げた。ベージュがかった壁紙、ダークブラウンのフローリングは艶がある。空気から新しいような、小綺麗なマンションの最上階。
NYは生まれ育った町であるが、窓のない飛行機に乗せられたような気分を味わった彼女には、いったいここがどの辺りなのかは判別がつかなかった。
「ただいま戻りました、フィクサーさん」
怪盗アンドはドアを開ける。ドアの先にはキャスターのついた椅子に座った男の背がある。振り向く労力すら面倒だと言わんばかりに椅子を45度回転させて、男は言う。
「おせえな、この俺の休憩時間に間に合っていない」
木製の枠のある壁掛け時計を指差して「十分遅刻だ、はやく珈琲を淹れろ」と男は横暴に言った。
足元が浮かんだままのように覚束ない。アイリスはふらつかないよう気を付けて、男を窺った。
目を引く金糸だった。美しく艶のある金髪は、首の後ろで申し訳程度に一つに束ねられている。色が白く、目鼻立ちもはっきりとしている。ただ、人を塵のように見ているかのような目と、嘲る様に歪んだ口角が、彼に美男子という形容を与えることを躊躇わせた。
「おい、ガキ、こっちに来な。がらくたが珈琲を淹れる。へえ……?」
フィクサーの値踏みするような視線に、アイリスは身を竦めた。
「フィクサーさん、女の子をいじめちゃダメですよ」
はんと声を出してせせら笑って、フィクサーは腕を組む。組んだ腕を黒い手袋をはめた指が、調子をつけて叩く。
「そんなくだらねえことをするか、商談だ。ガキ、お前は目論見があって、このがらくたに頼んだんだろ」
「……目論見なんて」
「この子は助けてほしいって言っただけですよ」
「黙っていろ」と、吐き捨てる。彼はアイリスを胡乱な眼差しで捕らえた。怪盗アンドは、珈琲を淹れるはずの、カップを持つ手を、所在なさげにさせている。オープンキッチンの方から、顔いっぱいに心配していますと書いてあるような彼の視線が、何度も投げかけられていた。
フィクサーは横目で彼を見て、ため息をついた。
「抱えてきただけで随分入れ込んでんな。入れ込むだけのことでもしたのか?」
「彼は私を抱えて逃がしてくれただけです。手は握りましたが。それも真っ赤になっていました」
アイリスがきつく遮るようにして言えば、怪盗アンドは大きな手からカップを取り落としそうになる。吹き出したフィクサーが、手を叩いた。
「手を握るだけで真っ赤!傑作だな!おかげでしばらく酒の肴に笑えそうじゃねえか、最高だ」
「酷いですよ、そんなに笑わなくても良いでしょう、フィクサーさん!」
「で、そこのガキ……女の手は柔らかかったか?」
「フィクサー、さん!」
茹蛸みてえと言いながら、にやにやした顔を崩さない男に、アイリスは思わず聞かずにはいられなかった。
「怪盗アンドは、彼は、――アンドロイドなのですよね?アンドロイドがここまで赤面するものなのでしょうか。人間と変わりません」
「そこのがらくたは特別製なんだぜ?なんといってもこの俺が、毎日毎日丁寧にメンテナンスしてやってんだからな」
この俺が、と彼は再度念を押した。
珈琲を飲むという些細な動作に、傲岸不遜と形容したくなる振る舞い。歪んだ笑みを保ったまま、彼はカップを置いた。置き方だけは嫌に丁寧で音一つ立てない洗練された手つきだった。
用はないとばかりに立ちあがった彼に、怪盗アンドは大きな身体で飛び上がるようにして、声をかけた。
「フィクサーさん、フィクサーさん、遊んでください」
「あ?俺は忙しいんだよ、お前と違ってな」
「そうですか……」
項垂れた背中は、アイリスが両手を広げて抱き着いても足りないほどに広い。だが、その広い背中はだんだん縮んでいくようである。
フィクサーは彼の様子を見ても、欠伸を一つ漏らすだけで、ドアを開けて部屋から出て行ってしまった。
残されたのは身を抱くようにしてソファに座っている怪盗アンドと、彼を黙って見つめるアイリスだけだ。
彼女は考える。そして、おもむろにしゃがみ込んでいる男の横に立った。ソファに座っている彼と、立っているアイリスであまり視線が変わらない。見上げた先にあったはずの顔が同じ高さにあることに彼女は目を瞬いた。
「私と遊びましょう。貴方が嫌じゃなかったら」
怪盗アンドは筋の見える腕で己を囲うことを止め、花が咲くように笑った。
「月の明るい夜に、貴女の記憶をいただきます 怪盗&」という、印字された文字。白に刻まれたシンプルな文字列は、陳腐にさえ見えて、悪戯のようにしか思われなかった。
怪盗&。予告状を届けられた人間のもとに現れ、データを盗むと言われている。さる大企業の経営トップが彼にデータを盗まれて、酷い汚職の実態が世間に暴かれたといったニュースも、目下のメディアの話題の一つである。
アメリカ、NY。アイリスがホテル暮らしをしているその場所で名前を聞かない日はない。サンフランシスコ、ロサンゼルス、ボストン、シカゴ、アメリカ全土にわたって、彼が関わる事件の噂は尽きない。
本拠地はおそらくアメリカ。情報を盗み出す手口も、怪盗アンドが個人なのか集団なのかすらも、はっきりしない。故に、NYの市警察も、FBIも目の色を変えて追っている。
情報の流失による被害は少額とは言えないが、犯罪者として目立つほどではなく、派手な割には凶悪犯でもない。しかし、怪盗アンドを放置できる組織はない。
秘すべき情報を盗み出すことができる。それが他社へ、他国へ渡れば?或いは凶悪な犯罪組織に渡れば、いや、彼自身がいつそうなるかは誰にもわからないのだ。
権力を持つ全ての組織が、人間が、彼を追う。
彼、とメディアでは表現されているが、それすらも、正しいかはわかっていなかった。情報社会において、アメリカ全土どころか各国で話題となりながら、情報が少なすぎる、異常なほどに。
マスメディアだけが能天気に彼をヒーローのように扱うのだ。権力をかさに着る悪人と、性根の腐った富豪を懲らしめるヒーロー。平凡な民衆は、憂さ晴らしと刺激を求めている。メディア関係者は言うだろう。
怪盗アンドは紛れもない情報化社会のヒーローだ。
そして、どんな政治家や芸能人よりも受けの良いショーの演者なのだ、と。
……それが、この男、なのか。
アイリスは眩暈がする思いで、天井を見上げた。ベージュがかった壁紙、ダークブラウンのフローリングは艶がある。空気から新しいような、小綺麗なマンションの最上階。
NYは生まれ育った町であるが、窓のない飛行機に乗せられたような気分を味わった彼女には、いったいここがどの辺りなのかは判別がつかなかった。
「ただいま戻りました、フィクサーさん」
怪盗アンドはドアを開ける。ドアの先にはキャスターのついた椅子に座った男の背がある。振り向く労力すら面倒だと言わんばかりに椅子を45度回転させて、男は言う。
「おせえな、この俺の休憩時間に間に合っていない」
木製の枠のある壁掛け時計を指差して「十分遅刻だ、はやく珈琲を淹れろ」と男は横暴に言った。
足元が浮かんだままのように覚束ない。アイリスはふらつかないよう気を付けて、男を窺った。
目を引く金糸だった。美しく艶のある金髪は、首の後ろで申し訳程度に一つに束ねられている。色が白く、目鼻立ちもはっきりとしている。ただ、人を塵のように見ているかのような目と、嘲る様に歪んだ口角が、彼に美男子という形容を与えることを躊躇わせた。
「おい、ガキ、こっちに来な。がらくたが珈琲を淹れる。へえ……?」
フィクサーの値踏みするような視線に、アイリスは身を竦めた。
「フィクサーさん、女の子をいじめちゃダメですよ」
はんと声を出してせせら笑って、フィクサーは腕を組む。組んだ腕を黒い手袋をはめた指が、調子をつけて叩く。
「そんなくだらねえことをするか、商談だ。ガキ、お前は目論見があって、このがらくたに頼んだんだろ」
「……目論見なんて」
「この子は助けてほしいって言っただけですよ」
「黙っていろ」と、吐き捨てる。彼はアイリスを胡乱な眼差しで捕らえた。怪盗アンドは、珈琲を淹れるはずの、カップを持つ手を、所在なさげにさせている。オープンキッチンの方から、顔いっぱいに心配していますと書いてあるような彼の視線が、何度も投げかけられていた。
フィクサーは横目で彼を見て、ため息をついた。
「抱えてきただけで随分入れ込んでんな。入れ込むだけのことでもしたのか?」
「彼は私を抱えて逃がしてくれただけです。手は握りましたが。それも真っ赤になっていました」
アイリスがきつく遮るようにして言えば、怪盗アンドは大きな手からカップを取り落としそうになる。吹き出したフィクサーが、手を叩いた。
「手を握るだけで真っ赤!傑作だな!おかげでしばらく酒の肴に笑えそうじゃねえか、最高だ」
「酷いですよ、そんなに笑わなくても良いでしょう、フィクサーさん!」
「で、そこのガキ……女の手は柔らかかったか?」
「フィクサー、さん!」
茹蛸みてえと言いながら、にやにやした顔を崩さない男に、アイリスは思わず聞かずにはいられなかった。
「怪盗アンドは、彼は、――アンドロイドなのですよね?アンドロイドがここまで赤面するものなのでしょうか。人間と変わりません」
「そこのがらくたは特別製なんだぜ?なんといってもこの俺が、毎日毎日丁寧にメンテナンスしてやってんだからな」
この俺が、と彼は再度念を押した。
珈琲を飲むという些細な動作に、傲岸不遜と形容したくなる振る舞い。歪んだ笑みを保ったまま、彼はカップを置いた。置き方だけは嫌に丁寧で音一つ立てない洗練された手つきだった。
用はないとばかりに立ちあがった彼に、怪盗アンドは大きな身体で飛び上がるようにして、声をかけた。
「フィクサーさん、フィクサーさん、遊んでください」
「あ?俺は忙しいんだよ、お前と違ってな」
「そうですか……」
項垂れた背中は、アイリスが両手を広げて抱き着いても足りないほどに広い。だが、その広い背中はだんだん縮んでいくようである。
フィクサーは彼の様子を見ても、欠伸を一つ漏らすだけで、ドアを開けて部屋から出て行ってしまった。
残されたのは身を抱くようにしてソファに座っている怪盗アンドと、彼を黙って見つめるアイリスだけだ。
彼女は考える。そして、おもむろにしゃがみ込んでいる男の横に立った。ソファに座っている彼と、立っているアイリスであまり視線が変わらない。見上げた先にあったはずの顔が同じ高さにあることに彼女は目を瞬いた。
「私と遊びましょう。貴方が嫌じゃなかったら」
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