怪盗&

まめ

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怪盗アンドロイドはデータ(記憶)を盗む

技術者は知る

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 アイリスはフィクサーのふてぶてしい顔をじっと見つめる。攫われるという言葉はとてもではないが、この男には似つかわしくない。
 アンドはあれから黙ってしまって、眉を下げている彼にそれ以上聞くことはアイリスには出来なかった。だから、彼の話が実際のところどういうことなのかはわからずじまいだった。

 アンドが打ち明けた秘密を、アイリスは大事にしてやりたい。たとえ彼自身が、数時間話しただけの人間に心を許して打ち明けてしまうような無防備さであったとしても。……いや、そうであるからこそ。
 だからアイリスはフィクサーに尋ねることをしない。

 今、アンドはこの場にいない。何故なら、彼はキッチンでフィクサーの食事を作り直しているからだ。見ているだけでお腹が切なくなるような料理であったのに、冷めていたことと、気に入らない品があったようである。
 だからといって、作り直させるだろうか、普通。
 アイリスは生温かい目で、目の前の金髪の男を見る。自分を貴族か何かと勘違いしているのではあるまいか。

 フィクサーは彼女の視線に、肩に顎を乗せるようにして挑発するように口元を歪めた。
廊下は人感センサーでぱっと明るくなる。目が眩むようでアイリスは目を細めた。床のフローリングは隅々まで綺麗に掃除がされている。
自分でアイリスを連れ出したにも関わらず、まるで面倒事を押し付けられたような態度で彼はため息をついた。
唐突に言う。

「お前――本当はな」

 アイリスは眉を寄せる。
「どういう意味です」



だろ、お前」



 彼女は目を見開いた。フィクサーは例の人を小馬鹿にするような顔で鼻を鳴らす。
 沈黙が廊下を満たしていく。
 向こうの部屋にいるアンドがたてる微かな物音がやけに大きく聞こえた。

「……ええ。しかし、私は博士の娘です。父は……彼が私をそう呼んだから」
 あっさりと頷いた彼女に、フィクサーは眉を上げる。その視線をアイリスは正面から受け止めた。
「どうしてわかりましたか、私がアンドロイドだということが。私はすることができる――貴方は私を人間のようにしか感じないはずです」

 父の研究、人間と見分けのつかないアンドロイド。それは、〝人間にそっくりなアンドロイドを作る〟ことではない。
 アンドロイドを知覚する人間が、〝アンドロイドを人間だと認識するように認識を歪める〟研究だった。
「違和感は持たなかったはずです。私はアンドほど精巧に出来ていませんが、「認識阻害」のおかげで、父亡き後も不都合なく娘として生きている」
 父が命を狙われたのは当然のことなのだ。

 人間の認識を阻害できるなど、悪用の仕方は星の数ほどにあるのだから。
兵器になりえる研究は、しかし父の唯一の願いのためになされた。
 自分の亡くした娘に会いたい、という一心で。それも悪なのかもしれない。それを断じることは彼女の役割ではない。

 アイリスは優しい父が、自分の認識を歪めてまで生きている娘と過ごしたかったということを、理解している。アイリスが人間でない面を見ない父、それを彼女は哀れに思った。傍にいたいと思った。自分という存在が、どのような形であれ父を救うのならばそれで良いと。

 彼女はネックレスの石を優しく掌で包んだ。
認識を阻害されている人間には、その表情は胸をつかまれるほど柔らかに見えた。

 フィクサーは心を動かされたふうもなく、淡々と口にする。
「お前はアンドの作った食事を口にしなかった、だが、捨てることもしなかった。お前はアンドが昼に俺の食事を作る時に、あいつの認識をずらした。手元にある料理が今作った料理であるという認識へ。だからあいつは二人分の料理を作っていない」
 彼はまるで手元にメモを持っているかのように、朗々と語る。アイリスは口を開かずに、先を待った。

「計算していたにも関わらず食材が余ったのも、料理が冷めていたのも、目玉焼きとベーコンを出したのもすべておかしい」と、フィクサーは両手を開いた。
肩を竦めて、「俺は寝起きに蛋白質は摂らねえし、あいつは決して冷めた料理を出さないんでな」と嘲る様に笑った。アイリスは思わず、顔を顰めた。

「稼働率の低いがらくたジャンクだが、俺がメンテナンスをしていてそんな単純なミスを繰り返すとも思えない。ならばあれは俺のための食事ではなかった、と考えるのが自然だろうよ。だとすれば、答えは一つだ」
 フィクサーは説明を放り出すように口を閉ざした。アイリスは「それだけではないでしょう」と口を挟む。眼付きの悪い顔が見下ろしてくるが、彼女は怯まなかった。

「それだけで、私が認識を歪めたとは思わない。アンドですか、彼には阻害が及ばなかった、と」
「あいつは今も気付いてねえだろ。お前から記憶データを盗ったとはしゃいでいやがった」
「……では、貴方が気付いたのは見慣れているからですか。アンド、彼も似た力を持っている」
 追手から逃れるとき、彼が手を握った構成員が妙な倒れ方をした。あれは記憶データを見たからとは思えない。むしろ、回路をショートさせたアンドロイドと同じように見えた。

「彼は記憶データを盗る。それは文字通りの意味なのではないですか?彼は記憶を消すことも、書き換えることもできてしまう」
 アイリスはアンドが明かした秘密には触れることなく、フィクサーを見据える。彼の目が細められた。
その瞳は不穏な影を隠さない。まるで、続く言葉によれば待っているのは破滅しかないと言わんばかりの眼光に、アイリスは口を閉ざす。

「……気が変わった」と彼は、歪んだ口元をさらに歪ませた。

「――そうだ。……そのお前の不満そうな顔は、こう言いてえんだろ。……認識の改変、認識の阻害、、と。だが、あいつはレイ博士の製作したアンドロイドではない」
 フィクサーは鼠をいたぶる猫のように、じっとこちらを見ている。視線を逸らせず、アイリスは唇を噛んで、はっと目を見開いた。

「まさか」
「――そのまさかだよ、あいつは「羊の足」が博士から奪い去った研究データを基に作られた」
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