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「僕には理解しかねますね。人は醜い」
ドクターとエージェントの協力関係は、端的に言えば全くうまくいっていなかった。
「僕はお前を必要としていません。帰れ」
日に焼けていない青白い顔に、折れてしまいそうな病的な体躯のドクターはそう言い捨てた。ドクターとエージェントが並ぶととても同じ種族だとは思えない。エージェントは舌打ちし、腕を組む。
「私とて、君のような不愉快な男のもとになど、居たくないとも。そんな珍妙な趣味は持っていない。任務だから、来ている。その程度のことがわからぬガキなのかね」
「……僕はとうに成人している。人種の違いくらい把握してくださいますか?任務だろうが、なんだろうが、僕にお前は不必要だ」
見上げて余りあるエージェントに、薄い笑みを浮かべたまま、ドクターは言う。棘のある言葉と表情が釣り合っておらず、かえってすごみがあった。
「田中!何故、この面倒な人間を連れて来たんだ」
ドクターが研究室の壁一面のモニターに向かって訴える。私は彼の感情をなるべく刺激しないように言葉を選択した。
「エージェントがいなくなったばかりです。補充と捉えてください。貴方が人付き合いを好まないことは承知していますが、研究を進めていく上でエージェントは必須です」
「人付き合いを好まないのでなく、僕は嫌いなんだ、人間が。エージェントは寄越さないでくれと言ったはずです」
「マザーはエージェントを提供する事でおよそ68%の改善が見込まれると考えています。残念ですが、諦めてください、ドクター」
ドクターは苛立ちを隠さない声音と反して、やはり穏やかに笑みを浮かべている。その表情を見て、エージェントが顔を歪めた。
「何なんだ、君は。そのにやけ顔は馬鹿にでもしているつもりなのか?」
……あ、と。人間であったならば、零していたところだった。音声になる事はなく、ただドクターの表情を確かめるようにカメラをズームに切り替えていた。
ドクターの口もとの笑みは変わらない。
私は解決策が見いだされたわけでもないのに、口を挟んだ。
「あーあー、そうです!エージェント!研究室の案内をいたします!許可をいただいてよいですか、ドクター」
ドクターは嫌な顔をすることなく穏やかな顔で、しかし、吐き捨てた。
「僕には許可を出す権限もないでしょう」
「そうかもしれませんが、権限と、これは別です。貴方の研究室なのだから、許可を求めるのは道理でしょう」
「僕の研究室、ね。まあ、何でも構いませんが。……奥の部屋に入れる事だけはするな、田中」
わかりました、ドクターという、私の返事を聞き終えない内に、ドクターは奥の部屋に歩み去ってしまった。自動でドアが閉まり、ロックが何重かかかる電子音がした。
ふうと人間のように息をついてみる。
「つくづく不愉快な男だな」
エージェントが吐き捨てるように言った。
「ドクターは、変わっていますし、善人とはいえませんが、あれはあれで、味があるという表現が可能では?」
黙殺された。この男もこの男で、愛想が良いとは言えない。この二人をバディにするとは効率が良いとはいえないだろう。マザーならば、そう判断をする。私の想定するマザーの判断は可能性ではなく、事実だ。AIである私は、マザーと繋がっているから。
……だが、私は。
「エージェント、案内しましょう。まずは右手にある大きなモニターですが――」
ドクターとエージェントの人間関係は良好とはいえない。それでも、流石は最上評価を得ているエージェント、と言うべきか、仕事は的確にこなしている。ドクターが顔を合わせようとしないので、指示は私を介したものになっているが。
私がドクターに声をかけて、その内容を、エージェントに伝言する。妙な話である。同じ施設内にいるにも関わらず、どころか扉一枚(といっても多重ロックの分厚い金属の扉だが)を隔てた向こうにいるにも関わらず、効率の悪いコミュニケーションをするなんて。
喧嘩した小学生でも、こんなことをしている内に、面倒になって、その無意味さに気付いて、仲直りしそうなものだ。
本来の目的はドクターに護衛を付けて、奥地に実地調査に赴いてもらうことだと考えれば、上手くいっていないのは変わらない。ドクターは重要な任務を回そうとしない。つまりは、エージェントに頼ろうとはしない。
困ったものである。やれやれと肩があったら竦めたい。
「Mr.タナカ!」
怒鳴りつけるような声に、私はカメラを切り替える。エージェントの顔は血が上ったように赤みを帯びて、目がぎらぎらと飢えた獣の様だ。わざわざ心拍数や体温、その他もろもろを測定するまでもなく、怒っていることは瞭然である。
「どうかしましたか、エージェント。血管が切れてはいけないから血圧を下げる事を勧めます。具体的には深呼吸しましょう、はい、どうぞ」
「君は、知っていたのか、あの、悪魔の、所業を!」
怒りを一字一字に纏わせるように、ゆっくりとエージェントは言う。
「悪魔?」
「あの不愉快なドクターだ!エージェントを使い捨てる?結構だ。エージェントに危険な任務を与える?結構だ。エージェントの使用としてそれほど正しいものはない。だがな、Mr.タナカ。それはエージェントを変異体〈モンスター〉の餌にして良いということにはならないだろう!違うか!」
低い声は張り上げられて、空気を揺らした。目がぎらぎらと光っている。獣が息をするように、複数の銃火器を容易く扱う広い肩が上下する。
私はいつもどこか斜に構えたような態度を崩さないエージェントが激したことに驚いていた。任務においては常に機械のような精密さで行動し、毎日の宣誓においては瞬きすらせずに当たり前のように口にする。口を開けば、皮肉は抜けない。それらすべてが、どこか冷えたような、諦めにも似た感情を彼の中に見せていたのに。
生存への諦念。
だから、激し、まるで肉食獣が獲物を前にしたかのような姿に、驚く。生きていると主張するかのような荒々しさのギャップに戸惑う。
機械の癖に、感情ばかりに思考を回していたようだ。
「変異体〈モンスター〉の餌?どういうことですか、エージェント」
私の応答に、何度か息を整えるように肩を上下させて、ため息をつくように囁く。
「……データの管理は君の仕事ではないかね?AIというのは随分仕事ができるようじゃないか。見たまえ、これまでこの研究室に補充されたエージェントのデータを」
おかしいとは思わないのかと、嘲るように彼は鼻を鳴らす。私は大人しくエージェントのデータを呼び出し、検討した。研究室に配属されたエージェントは短期間のうちに失踪している。異様なほど短期間。ドクターの報告ではシェルターの外でのことなので生死は不明だ。確かに違和感はある。しかし、変異体〈モンスター〉の研究のため、現地に赴くのだ、つまり、それだけ危険な任務という事になる。
「能天気にもほどがあるな、Mr.タナカ。あの不愉快な男は人間嫌いなのだろう?それがどうして上手く協力できると思う?私のように、或いは私の場合よりも酷い状況になっていても不思議はない」
「つまりは、ドクターが、エージェントたちを無為に殺しているという事ですか?協力するつもりがないために」
「は、当然ではないかね?あの男がエージェントを変異体〈モンスター〉の餌にしていると考えた方がよほど自然ではないか。〈人間〉が嫌いなのだろう?ドクターは」
「……確かに、ドクターは変異体〈モンスター〉にかなりの、興味関心、或いは執着?を持っているのは事実ですが」
それ、見た事か、そう言わんばかりの顔で、エージェントは手を広げ、大袈裟に肩を竦めた。そして、壁に映る私のホログラム(人間と変わらぬ大きさだ)と、カメラを順にぎろりと睨み付けた。
「部屋のロックを解除しろ。あの男が隠しているならば、そこしかあるまい」
私は暫し沈黙する。そして、音声を出力することなく、ロックを解除した。ドクターの報告は真実である。AIとしてそれに疑いを挟むことが出来ない。しかし、エージェントの言う事も、無視はできない。
少なくとも、私には、できない。
――ドクターを、昔から、知っている私には。
大きな金属製のドアが、機械の震えるような音とともに開いた。薄暗がりの部屋にはパソコンのモニターの明かりしか見えない。そのモニターの光にぼんやりと照らし出されるように、ドクターの病人のような青い顔が浮かんでいる。
「……開けるな、と、言った筈ですが」
エージェントが息をのむ音が、静寂に妙に響いた。
ドクターの薄い笑みはこれまでとまるで変わらない。日光に当たる事の無いような不健康な顔色も、痩せこけたような体躯も、変わらない。
モニター以外に明かりのなかった薄暗がりは、ドアが開いた事で暴かれる。はっきりと明るみに晒されたのは、ドクターの姿だけではなかった。
ドクターの足元、あるいはその背後の薄暗がりの中に、何かがいる。
大きな樹木の根のような、赤茶けた色合いの物体が、胎動している。太さは細すぎるドクターの肩幅を上回る。根のような触手が、ドクターの背後に鎌首をもたげた蛇のようにうねっている。
異形の生物。
触手が伝う床には、ぬるぬるした粘液の跡が残る。鼓動のように蠢く触手は、生きていることを醜悪に主張していた。
エージェントの顔が歪むのがはっきりと見えた。
「……気味が悪い」
零れた言葉に反応するように蠢いた触手は、ドクターに纏わりついて、その頬に粘液をべったりとつけた。粘液がゆっくりと伝い、白衣の襟元を濡らす。ドクターは気に留める様子も無く、エージェントを見据えた。
すっとドクターの表情が抜け落ちる。笑顔の仮面を脱ぎ捨てたかのようだった。
「僕には理解しかねますね。人は醜い。変異体〈モンスター〉はこんなにも、美しいのに。僕には人間の方が、よほど醜悪で、我慢がなりません」
これまで消える事の無かった笑みが消え、無表情で彼は言う。声音に熱が籠っていて、早口だった。興奮しているのだ。表情とはあべこべだったが、彼は確かに高揚している。
彼は醜悪な変異体〈モンスター〉に触れ、粘液が絡みつく手で撫でた。まるで愛玩動物に触れるような、或いは幼子に触れるような、慈しむように優しい手つきだった。
エージェントはただ、黙している。
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