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「我々の命の上に、自分たちが生きていることなど、考えてもいないというのに、な」
「――美しい。惚れ惚れするような造形だと思いませんか?僕は思う。水分量の多い表面の光沢がまた素晴らしい。触りたくなる。粘液はどのような環境であれ適応できる防御機能として優れている。乾くことはない。触れると温度は人体より数度低いから、ひんやりしている。……良いか、触るぞ?」
触手に愛おしいとでも言いたげな囁きを漏らす。しかし、その顔はどこまでも噛み合わない無表情だった。もちろん、甘い囁きの相手も、現実とは思われない程に、噛み合っていないのだが。
「ふふ、やはり良い。肌触りも癖になる滑らかさだと思う。収縮を繰り返していることも、生命を感じさせてたまらない。ぞくぞくする。柔らかい皮膚は襞になって伸ばせば――」
自分の世界に入り込むように、半ば独り言のようなマシンガントークを止めるべく、私は口を挟んだ。エージェントはあまりの光景に圧倒されて、声も出なかったからである。
「ドクター、少しよろしいですか」
「田中、邪魔をするのはやめていただけませんか?ここは僕の研究室なんだろう?」
「それはそうですが……一つ、質問を」
ドクターは気だるげに目を細めた。醜悪な触手が、うねうねとその身に纏わりついている。膝にゆるく巻き付いて、ゆっくりと上へと伝いあがっていた。
「変異体〈モンスター〉を研究室に飼育しているとの報告はなされていませんが、その変異体〈モンスター〉はどういうことです?」
高揚していた時には消えていた薄い笑みが、徐々に彼の顔に現れだす。いつもの笑みに戻った彼は、しかし、同時に高まった熱も何処かへやったようだった。
「……見ればわかる通り、報告はしていません。問題でも?研究に使用しているのならば、文句を言われる筋合いは無い」
それとも、マザーに報告するのかと、ドクターは私のホログラムに向かって言う。顔に浮かぶ微笑みは、挑発しているようにすら見える。
「……マザーには報告しません」
「それで良い」
ドクターは楽し気な笑みで頷いた。
楽しくなどないのだということを、私は知っている。
彼の感情は反転してしまっているのだから――あの日から。
彼が笑うのは楽しいからではない、不愉快だからだ。彼の表情が消えるのは不愉快だからではない、昂っているからだ。薄ら笑いで挑発しているように誤解を受けがちだが、彼の感情は表に現れる際に、反転してしまっているだけだ。
だけど、反転をドクター自身は口にすることはなく、普通の人間には伝わらない。エージェントも、どうやら普通の人間と同じ様に受取ったようだった。
無表情で汚らわしい怪物を愛でて、笑みを浮かべて怪物を飼っていたと認める。感情と矛盾した表情、世間と矛盾した価値観。ドクターは狂っている、と。
「貴様は、エージェントを、これまで、どうした」
エージェントの瞳はぎらぎらと光る。地を這うような声に怖気づいてしまうことなく、ドクターはさらりと言ってのける。
「――餌にしましたが、何か?この子達が、お腹が空くと言うものですから」
「外道が」
「僕は部屋に招き入れただけだ。食われたのは警戒を怠った彼等の落ち度でしょう。……たしか、エージェントは危険に慣れてはいけない、でしたか。エージェントであるお前なら、わかるはずだ」
互いに視線がぶつかる。片方は親の仇のように睨み、もう片方は心底愉快だというように細めた目だった。
「仲間に背後から殺される危険を予測しておけと?随分高い要求をするのだな、身にも合わない」
「仲間、だと思った覚えはありませんが?言った筈です。僕は人間が嫌いだ」
「はっ、こんなにも狂った男を信じた方が愚かだと。なるほどな、間違いあるまいよ」
エージェントは吐き捨てて、おもむろに背に担いだマシンガンを手に取った。がっしりとした彼の腕の中にある物騒な武器は、あまりに慣れた手つきのためか、重量を感じさせない。私は慌てて声を上げる。
「待ってください、エージェント!何をするつもりですか」
「AIならば、お得意の計算をしたまえ、Mr.タナカ」
私は予想だにしていないエージェントの行動に慌てて、防弾シールドをドクターの前に張り巡らせようとする。しかし、エージェントは、マシンガンを撃つことなく、ドクターに突き付けて静止した。
憎しみの籠った暗い目を向けられて、ドクターは肩を竦めた。白衣から零れ落ちるように、伝いあがっていた触手が床へ落下する。べちゃりと粘度のある音を聞く限り、その程度の落下がダメージになることはないようだった。
「撃たないのですか」
挑発するような声音で彼は言う。薄い笑みを自覚的に深める。神経を逆撫でするようなわざとらしい敬語さえ、合わせて。
エージェントは努めて、冷静に、返す。
「貴様を傷つけた瞬間、私は殺処分されるだろう。そのようなやすい挑発に私が乗るとでも思ったのかね?それは、傑作だ」
だがな、と一呼吸おいて、彼は続ける。
「私は君を赦さない、決して。いずれ、殺す。覚えておくと良い」
その目に躊躇はなかった。
エージェントは外から見る限り落ち着いている。シェルターの出入りの受付をしている、若い娘の熱のこもった視線に対しても、慣れた態度で応答していた。
受付の娘は熱心に彼と世間話をしようと試みている。邪険にすることはなく、むしろ甘いくらいの笑みさえ与えて、エージェントは彼女の話に付き合っていた。
「すまない、お嬢さん。私はこの後、任務がある。君との一時がこれで終わってしまうなんて、残念なことだが」
「も、もう。お嬢さんだなんて、やめてください。またお声をおかけして、良いですか?」
「構わないとも」
「ほんとう?あ、ごめんなさい。急がなくては駄目ですね。
……英雄のご無事をお祈りしていますわ」
頬を染めてぼんやりした受付の娘を残して、エージェントは地上へのエレベーターに乗り込んだ。私はエレベーターのドアが閉まるまで受付の娘に甘い笑みを浮かべていた顔が、瞬時に険しくなるのを見た。
「エージェントはモテるのですね。女ったらしの定義に違わない振る舞いでした」
「は、厭味のつもりかね」
「称賛のつもりです。彼女はガールフレンドですか?」
「まさか」
エージェントは首を振る。はて、では彼女の片思いかと思い、私は尋ねる。
「彼女は好意を持っているように見受けられましたが」
「好意?」
はん、と鼻で笑って、エージェントは私のホログラムを億劫そうに見た。
「エージェントに好意を向けて何になると言うんだね?我々は、使い潰されるために、存在している。英雄など、馬鹿馬鹿しい。称賛が何になる。我々の命の上に、自分たちが生きていることなど、考えてもいないというのに、な」
「エージェント……」
「無為な事だな」
それだけ言って満足したというよりは、諦めたかのように、彼は口を閉ざした。
地上に出るまで、エージェントは口を開かなかった。いや、地上に出てもなお、彼は口を開かなかった。私の音声が聞こえていないわけではあるまいに、返事をすることはない。ずんずんと奥地へ歩を進めていく。
変異体〈モンスター〉についてはわからない事のほうがずっと多いのだ。故に、対策を講じ、慎重に慎重を期すべきである。それを数々の任務を成功させてきた、このエージェントがわからないはずがない。
武器を構え、目に映る変異体〈モンスター〉をただ刈り取るように殺していく。それは得策とは言えない。あたりに騒々しい銃声が響く。
「エージェント!」
返事はやはりない。私のホログラムを無視して、彼は蟻のような両掌に余りある大きさの昆虫を殺していく。変異体〈モンスター〉はエージェントのたてる物音に反応し、地面から湧いて出たように這い出す。
このままではよくない。
彼が正気を失っているようには見えない。心拍は落ち着いている。体温も正常だ。それなのにむやみやたらに傷付ける行為が止むことはない。
彼の履く一部が金属に覆われたごつい靴が、くすんだ色の苔に覆われた地面を踏みしめる。枯れた樹木には不気味なほど鮮やかな赤い蔓が血管のように巻き付いていた。
憎むものを根こそぎ焼き尽くそうとでもするように、エージェントはトリガーを引く。
「エージェント、それ以上は許可しません。無茶はいけません。命大事に!お願いします」
「……それは、指示か?」
彼の頭がゆらりと揺れた。俯いたことで影の差したその目に、光はない。不安はぬぐいきれないまま、漸く返事があったことに私は少しの安堵を覚える。
「指示です」
「マザーの?」
私は沈黙する。マザーはエージェント一人の生死に関する指示を出すことはない。マザーコンピューターが計算する上で、エージェント一人程度の命の重さはないに等しいのだった。
私は沈黙する。
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