AIEND

まめ

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「君と私は同じであると認めようじゃないか」

 エージェントの身体には休息が必要だった。自動で直された寝台に横たわった彼は眠っている。しかし、安らか、とは言い難い。苦し気に呻いては、汗をかいている。熱があるとは計測されないので、魘されているようだった。

 まるで高熱に苦しんでいるかのように、彼はうわ言を口にする。

「ゆるしてくれ、すまない、いきて」

 人を救うから、人類を守るから、許してくれ、と彼は繰り返している。彼がどんな夢を見ているかまでは私には知りようがない。知りたくもなかった。

 AIだけが見守る部屋で、彼は独り赦しを乞うていた。苦し気な彼の状態が少しでも楽になるように、部屋の温度湿度を調整する。

 彼はドクターが指摘したように、本当は人間が憎いのだろうか。例え憎くても、彼にできるのはエージェントとして命を使い潰されることだけなのだ。その運命を嘆かないはずはない。しかし、嘆いたところで彼にそれ以外の道はないのだった。

 任務を冷静にこなす姿に隠れていた彼の中身はこうも柔かったのか。私は知ろうともしなかった姿を、カメラを通して見続ける。エージェントとして生きて来た以上、もはや後悔の念など冷えて凍り付いていると思考したのは愚かだった。人間は脆くて弱い。エージェントとて同じなのだった。

 命を屠る度に、死へ見送る度に、傷付いた心が、むき出しで曝されていた。こうも優しい柔い心を維持したまま、彼がエージェントとして生きている事実が驚愕だった。

 どれだけ、苦しかっただろうか。皮肉と冷めたポーズに覆い隠し、それでも人間味を彼は失う事が無かったのか。あるいは、それが彼の強さであるのかも知れなかった。



 目が覚めたエージェントは薬が抜けきったらしく平然として、いつも通りにニヒルに笑った。

「君は君の仕事を忘れているわけではあるまいね?エージェント一人にかまけているなど怠惰に過ぎるだろう」
「マザーに振り分けれた業務は、並行して処理していますよ。こういう時ばかりは素直になっていただきたいです」
「礼は言おうじゃないか」

 その言葉は礼になっているのだろうか?

 とにかく、健康体になったようで何よりである。たかだか35時間36分9秒の休息で健康体に復帰できるのは、人間としてはやはり異常なのだが。

 エージェントが目覚めたので、マザーに報告する。ドクターに救助要請をしたこと、医療器具の使用、環境制御機能センサーのある部屋の使用、ドクターがこの部屋に滞在していた記録は全て抹消し改竄した。エージェント一人のためにコストを割いたことは、マザーが不適切であると判断するであろう。

 マザーへ偽造の済んだ報告書を提出したところで、エージェントが不意に言った。

「存在価値など無意味だと思うかね、君は」
「私の存在価値は人類の生存のために計算することです。明瞭です。エージェントの存在価値が人類を守ることであるならば、類似していますよ。存在価値は無意味だとは思いません。定義ですから」

 そうかと相槌を打った彼の声は冷たかった。

「私が君のようならば、良かったのだがな」

 君のように、心が無い無機物であれば。そう言外に含ませたような言葉に私は返答しなかった。




 健常になったエージェントは、ドクターのもとに行くと言ってきかなかった。頑固なところのある男である。止めるつもりもなかったが、止めても無理に行ったに違いない。

 さて、彼はどうするつもりなのだろうか。推測し計算する限り、敵意はない様であるから、いつかのようにマシンガンを突き付けたりはしまい。頑なに顔を合わせなかったことからの心がわりは、ドクターの秘密を知ったからに違いないが。

 ドクターを受け入れるだろうか。受け入れるだろう。確信があった。ドクターについて私に質問した時の表情。それが答えだった。

 部屋に押し入ったエージェントを、ドクターは笑みを深めて迎えた。反転している故に不機嫌なのである。貼り付けた様な笑みに、エージェントは反転している事実を知らないまでも思う所があったようだが、とくに口にはしなかった。

 悠然と何の用だと言わんばかりに迎えた彼に言う。

「君が私と同じであると認めようじゃないか」

 は、と息を漏らす相手を気に留めることなく続ける。

「私は人間が憎いのかもしれない。運命を呪った事が無いとは言わない。しかし、縋るしかないのだよ、この運命の謂わば、元凶に。人類を救うことに縋る事で、漸く生きる価値があると慰められる。理想に縋る事でしか、私は自分を許せない」

 人類を救うために擦り切れる自分を呪い、しかし、人類を救う自分でなければもはや存在価値はない。元凶に縋る事でしか、生きられない。それをはっきりと口にして、彼は屹然と前を見据えた。

 ドクターはただ彼の姿を瞳に映している。

「君も同じなのだろう?同じ様に運命に甘んじるのは、縋るものがあるからだろう。君は何に縋っている――?」
「やり返したつもりですか」

 不愉快さを隠さない口ぶりで返答して、ドクターはため息をつく。そして、肩を竦めた。

「生憎と、僕は人間が嫌いです。そこにお前のような感情はありません」
「だが、君も人間だ」
「僕は」

 言いかけて罰が悪そうにドクターは黙した。それから、抑揚のない声音で言い直す。

「……そうですか」

 エージェントのまっすぐな視線に、彼はついに目を逸らす。




 それから、エージェントとドクターの仲はある程度改善したように思われる。皮肉の強いエージェントと棘の多いドクターなので、仲良くとはいかないものの、随分な進歩である。

 これでこそ、バディとして動いてもらえるというものである。あまりお喋りでないので静かではあったが、そこは私の出番である。外での研究調査も以前とは異なり、行えるようになった。

 エージェントを意にも介さず前に進んでいくドクターを、エージェントが意地でも追いすがるような、妙な意地の張り合いのようになっていたが。ドクターは変異体に対して恐怖も嫌悪も持たないので、躊躇いが無いのだ。食われようとも平然としていそうである。むしろ、本望とでもいうか。

 エージェントも職務としてドクターを見失うことはプライドに関わるらしく、どんな道でも足早に切り拓いていく。和やかとは言い難いが、さっさと進んでいく彼らは不思議と噛み合っているように見えた。

 和やかさは私が添えればよいのだ。そのための会話機能である(エージェントには不評だが)。

 今日も任務を終え、ドクターは一人研究室のモニターの前でデータの入力をしている。今回現地調査で発見した変異体の詳しい記録だった。ここまで細部にわたる記録が採れるのは彼だけだろう。

「ドクター、お仕事ははかどりますか?飲み物など必要であれば」
「要らない。……そうだな」

 にべもなく断って、ふと思い出したように彼は顔色の悪い面をカメラへ持ち上げた。

「妻へ花を選んではくれないか」
「任せて下さい。しかし、プレゼントならば、ドクターが選んだ方がお喜びになるのでは?」
「僕に花など選べないことは、田中は知っているだろう」

 確かに価値観が反転している彼は、美しい花など選べない。彼の目が美しいと映すのは醜く醜悪な怪物に他ならないのだ。感情も視界も、変異体の寄生によって、彼の感覚は歪んで反転してしまった。

 しかし、美しいものを選ぶということよりも、彼が選ぶことの方が遙かに価値があるように思われる。

「用意しておいてくれ」

 彼は言い捨てて、モニターに向かう。

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