AIEND

まめ

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「美しいよ、何よりも」

 淡い桃色の可憐な花束を抱えたドクターは、隔離された病室に向かう。厳重に殺菌され、室内を管理された部屋だ。白い白衣に桃色が鮮やかに映える。痩せぎすで病的な見かけの彼は、病室という空間にはこの上なく似合っていた。しかし、手にある花束だけが強烈な違和感となっている。

 隔離された部屋故にすれ違う者は皆無だったが、すれ違う者がいれば目で追いかけてしまったに違いない。

 ドクターは妻帯している。知っている私でも意外であるように思われるのは、彼が人間嫌いを吹聴して憚らないからだろう。それでも彼には妻がいる上に、なかなかの愛妻家の部類に入った。

 研究室からは遠く離れた病室から出る事の出来ない妻のために、彼は贈り物を携えて足繫く通っている。白衣のポケットに突っ込んであまり見える事の無い指には指輪がはまっている。外している様を見た事が無かった。

 他の女性どころか、他人そのものと関わる気がまるでない男であるので、こうして並べると、一途な愛妻家に見えなくもない。

 病室のドアは金属音を立てて開く。真っ白な病室は窓が無い。その代わりに酸素濃度などはしっかり管理されているのだが、気が滅入りそうだと、人間ならば感じるのであろう。

 中央にあるベッドに寝ていた女性が、驚いて半身を起こしていた。豊かな髪は胸元まで流れ、病室暮らしが長い中でも艶やかだ。大きな瞳が零れんばかりに見開かれた。血色がよく見えるのは、施された化粧のためだろう。

「まあ、お早いのね。14時だと言っていらっしゃらなかった?」

 愛嬌のある笑みを浮かべた彼女とは対照的に、ドクターは無表情だった。反転した彼では、それこそが愛である。彼女はそれを理解している。理解していたとしても、人間は相手が無表情であれば落ち着かなくなるものである。ドクターは笑みの欠片も無い顔の代わりに、口を開いた。

「会いたかったんだ。会えなくて、気が狂いそうだった。どうして研究室と病室がこうも離れているのかと、何度、研究本部に文句を付けようと思ったか知れない」

 彼女の手をとって、彼は甘ったるいほどの声音で囁いた。結婚して三年目になる彼女は、まるで付き合いたての恋人がするように頬を赤らめる。

 これが気まずいという心持だろう。AIである以上致し方ないのだが、これでは覗き見しているようである。かといって挨拶するにも、二人の世界に入ってしまっている邪魔になりそうだ。

「大袈裟よ、あなた。お仕事は?」
「終わらせたよ、君に会う邪魔になるから」
「もう」

 甘い言葉はまるでドクターが別人になってしまったようである。しかし、妻の前で彼はいつもこうだった。いつもの棘は何処へ消えたのだろう。

 平穏で温い、幸せ。

 一見してそうとしか見えない、二人の男女の寄り添う光景だ。


 ――……だが。


 病人でありながらしっかりと化粧を施した彼女は、身だしなみに気を付けているだけではない。化粧は彼女の素肌を隠している。

 緑がかった色の痣が、侵食している顔を、化粧は見事に覆い隠していた。

 彼女もまた、変異体に寄生されている。正確にいうならば、彼女の皮膚の下で、変異体が羽化しようとしている。彼女の場合、ドクターとは異なって、寄生は事故によって起きたものだった。

 彼女は数年前、シェルターの一部破損によって侵入した変異体に襲われて、寄生されてしまったのだ。

 温かい微笑みの下で、醜悪な生命体は外に生まれ出る時を待っている。ドクターは細く骨ばった指で彼女の頬を撫でる。割れ物に触れるような手つきは慈愛に満ちていた。

 ……そう、彼が触手に、時のように。

「美しいよ、何よりも」

 彼女の瞳には、冷たく凍えるような無表情の彼の顔が映る。しかし、心を奪われていることを隠しもしない、溶けてしまいそうな声で彼は吐息交じりに繰り返す。

 君は何よりも美しい、と。ぞっとするような甘い声で。

「ありがとう。今日はあなたが来る前に、綺麗にしてもらったのよ」

 微笑む彼女はドクターが何に対して「美しい」と評しているのか知っているはずだった。しかし、それでも何かに縋るように儚げな笑みで、彼の手を握り返す。称賛の残酷な意味を知っていたとしても、縋ってしまうのは人情なのかもしれない。

 自分に優しい夫が、たとえ自分ではなく、自分の中にいるモノを愛していたとしても、それでも愛してしまうものなのだろうか。

 愛はある。しかし、互いの愛情は決定的に噛み合わない。そんな二人の手を取り合う姿はどこまでも静かだった。

「いつもよりもずっと、綺麗だ。君には到底かなわないけれど、受け取ってくれ」

 私が選んだ淡い桃色の花束は、幸せな女に手渡された。ドクターが持つには鮮やかに過ぎるが、彼女が抱えれば彼女自身の幸せが色になったかのように見えた。

「綺麗だわ」

 乾いた囁きが静かな病室に転がった。

 彼女は夫が来るから化粧を施してもらったのだろう。しかし、その化粧による美しさは彼には伝わらないのだ。なんといじらしくて、悲しい現実か。

 ドクターは女を見つめる。正しくは、女の身体の奥底が抱えている卵を見つめている。その卵がまるで孵化を前にして震えたかのように、注意深い眼差しだった。

 優しい夫は妻に愛を囁く。しかし、男は異形の誕生ばかりを待っている。普通の人間ならば怖気が走るような現実が、そこにはあった。






「ふむ、あの男、妻帯しているのか。あれで」

 あれでという三文字に全ての感情を込めたように、エージェントが言った。無駄話が嫌いだというエージェントだが、珍しく今日は私との会話をするようだ。単純にドクターが結婚しているという事実が珍しいのだろう。

「あれと添い遂げるなど並みの人間ではあるまい。どんな奇人か怪物か見てみたいものだ」
「……奥様は美しい女性ですよ」

 思わず、全て事情を知っているのではないかと勘繰りかけたが、エージェントが知る筈のない事である。それ以上興味は持続しないらしくエージェントは相槌を打っただけだった。話題を変えることにする。

「エージェントにはいないのですか?受付の彼女はお気に召さないのでしょう?」
「酷い言われようだな。なんだね、生娘でもあるまいし、恋の話などして楽しいか?」
「楽しいですよ、私達にはないものですからね」

 呆れたように私のホログラムを見たエージェントは、それでも話を続けてくれた。

「私のような身で妻帯するわけにもいかないだろう。好ましい女性がいようとね」
「では、いたのですね?」

「頗る無駄なデータ収集だな。残念だが、恋人というわけではないさ。同じエージェントである女性がいたんだ。女だてらに――といって女性を侮っているわけではないのだが、我々のようにエージェントに成れる女性は滅多にいない。私は彼女しか知らないな」

「エージェントとバディを組んでいた方ですか?データに残っていますよ」
「そうだな、そうなる」

 データに確かに残っている、が――……。

「君ならばわかるだろう、Mr.タナカ。彼女はエージェントとして優れていた。私は彼女を尊敬していたんだ。身体能力というどうしても埋められない穴を補って余りある、冷静さと観察眼を持っていた。だが、我々の運命というものに絶対などないのだよ」

 データには、その女性は消息不明であるとなっていた。

「シェルターの外で通信が途絶えた。奴等に襲われたに違いない。……と、まあそういうわけで、あまり気分の良い話にはならなかっただろう?」


「エージェント……そのように感情とは裏腹の態度をとるのは、心理的な負荷が大きいので、やめた方が賢明です。ドクターのようになってしまいます」

「それは嫌だな、気を付けようじゃないか」

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