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まめ

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「あれはまだ人間だった」


 彼らが任務の時は、私はエージェントの装備に取り付けられているカメラを使って補助をすることになる。ドクターには装備が無いのでカメラも無い。彼の場合、変異体から身を守るという発想がないのと、少ない筋肉量で装備が邪魔になるためである。外気の汚染から肌を守る最低限のスーツだけだ。

 エージェントがいることで大仰な装備が無くても、彼は生きて帰っている。やはり流石とでもいうか、ドクターという勝手に行動する、守るべき対象を伴いながらも、エージェントの手際は良い。追いながら、変異体を近づけないように狙撃するのを忘れない。地面や枯れた樹木、岩に張り付いた、不気味なほど鮮やかな色合いの植物の変異体への注意も怠らない。

 エージェントが銃声を鳴らすたびに、ドクターはあの笑みが張り付いた顔で、何かを訴えようとするように彼を見た。しかし、数秒で関心を失っては、前にどんどん進んでいく。それを繰り返していた。

「……これは」

 てきぱきとした動きをしていたエージェントが初めて立ち止った。彼の前には大きな尖った岩がそびえている。その岩の陰に隠れるように、何かが横たわっていた。

 カメラのスキャンによって瞬時に人間であると判明する。体温が異常であり、衰弱しきっているが呼吸があることがデータとして収集された。枯れた緑色に覆われている塊は目視では動いて見えない。まるで倒れ伏した人間が長い時間かけて苔むしていったかのようである。

「……嘘だ」
「エージェントのようだな。お前と同じ、装備を見る限り。……知り合いですか?」
「……こんなことが」

「はん、駄目ですね。聞こえちゃいない。……うん、生きているようだが、なるほど、変異体が身体の自由を奪う直前といったところか。植物型の変異体の亜種だ。このタイプは動物の神経に根を張り、心臓にまで寄生する。今は筋肉が麻痺しているが、宿主の息がなくなればじきに自由に動くようになるだろうな」

 唱えるように熱のこもった声で言う。その顔には表情はなく、凍える眼差しを動かないエージェントだったものに向ける。

「長時間の寄生で段々と栄養分を溜めたのだろう、もうすぐ完全体だ」

 データは検索し終っている。このエージェントは女性であるようだった。動かぬ苔むした岩になってしまったかのような彼女の前で、一人の男は動けずに立ち尽くしている。

 おもむろにドクターが銃を手に取った。本職でない彼でも扱いやすい小型の拳銃である。シェルター外に出る際は護身用に携帯許可が出ていた。

 今日シェルター外に出てから初めて抜いた拳銃を構える。茫然としていたエージェントがはっと体を揺らした。

 空気を切り裂く銃声。

 変異体に覆われた女性エージェントは、反動で横に倒れた。どさりと重い荷物をひっくり返したような音がする。

「おい!」
「……なんですか」
「貴様、どういう、つもりだ。言ってみろ、言葉によっては――……」
「何か問題でも?変異体を殺すのはお前の役割でしょう。で、あれば銃を打ち込むことに何の問題が?」
「貴様は変異体を殺すつもりなどないだろう。今のは」

「確かに、僕の意図は変異体の侵食を早めようとすることですが、それで?お前が銃を打ち込み殺す前に、僕が変異体として完全体にしてしまおうとしただけだ。研究が僕に割り当てられた役割ならば、何の問題も無い」

 言い切って、ドクターはじっと倒れた死骸を見つめている。銃による赤い染みは広がることなく止まっている。中に寄生した変異体が身体の主導権を完全に乗っ取り、血液の流れや心臓の鼓動まで奪い取ってしまったからだろう。

 エージェントはその様に我慢ならないとばかりに唸りをあげて、胸ぐらを掴む。強く揺さぶられたドクターの顔はいつもの薄い笑みのままである。

「あれはまだ人間だった!それをお前が殺したのだ。変異体のために」
「まだ人間だった?あと数時間もすれば、心臓まで寄生されているような状態のあれが?馬鹿馬鹿しい。あれだって処分しなければならないのは、お前でしょう」

 煩いと切り捨てて、エージェントは痛いほどに力を込めて睨む。その憤りは正当だった。彼と同じ境遇であるエージェント、それだけではなかったのだから。ドクターには知りようのないことではあったが。

 ……彼は彼女を殺せたのだろうか。例え、変異体に寄生されていたとしても、彼にとって人間なのだとしたら。

「この人殺しが。彼女は生きていた。化け物に侵食されることを必死に耐えて抑え込んで、生きようとしていたのだ、それを!お前が!」

 絞め殺してしまえるほどに襟元を押さえつけられながらも、ドクターの顔色は変わらなかった。彼は燃え滾る憤りを黙殺して、「来た、生まれる」と囁いた。

 エージェントの視線がつられる。死骸だったものがゆっくりと動き出す。まるでホラー映画のゾンビのように、覚束ない足取りで立ち上がった。その瞳のあった部分を突き破るように、蔓が飛び出ている。

 植物人間のような緑の苔に全身を覆われた死体が、自立して動いていた。ふらふらとした動きを愛おし気に見つめるドクターに、怖気が走ったかのように、エージェントは襟元から手を離した。

「どうした?殺すのでしょう?人間のために殺さなければならないんでしょう。この子を」
「……黙れ」
「こんなに美しいのに、人間なんかの殻に閉じ込めておくのは勿体なかった。醜い死にかけが呼吸するよりも、誕生を早めた方がよっぽど良い事ですよ」
「黙れと言ったんだ!」

 銃声が鳴り響く。

 森の不気味にうねった形の木々がざわりと風に揺れた。生温い風は何かが腐ったような不快な臭いがする。エージェントは咳き込んだ。

 再び地に伏した苔むした死骸をも、不快な風が撫でて行った。

 殺された変異体を見つめて、ドクターは顔を上げた。

「ほら、殺すんじゃないですか」

 エージェントは黙って、重たい銃を下した。そのまま手を滑り落ちた銃は、泥でぬかるんだ地面に突き刺さるように転がる。

「人間、でしたか?」
「私は……」

 エージェントは目を閉じる。目元にきつく力を入れる。まるで、目に見えるものから逃れようとするかのように。追い打ちをかけるように、低い囁きが彼の耳に滑り込んだ。

「人類を守る?立派なことですね。人類のために殺したんですからね、お前は。存在価値などないではないですか。人間はいずれ死ぬ。人類はいずれ滅びる。お前が縋るすべてのものは、脆いガラス細工だ」

 ドクターはこれ以上はないほどの幸せそうな笑みを浮かべた。その笑みが反転しているのならば、彼は?

「もし奇跡が起きて、たとえ人類が救われても、僕たちは救われない」
「やめろ」
「お前が人を守ろうと、僕が人を拒絶しようと、僕たちは救われない」
「やめてくれ!わかっているんだ!……そんなことは、とうに、わかって」

「何故なら、僕たちの命に価値はないからだ。人を守っても、殺しても、等しく価値が無い。無意味な事じゃないか?」
「わかっている。私に価値が無いことくらい、痛いほど、わかっているさ。だが。だがな、人を守れば生きる価値に値する。そう思う事が、それに縋る事が、いけないのか?」

 ドクターは返事をすることなく、傍らの男に興味を無くしたかのように、変異体の死骸だけを見つめている。私は控えめに声をかけた。

「ドクター」
「田中、何か文句でもありましたか?慰めろとでも?僕はあれがどうしようが関係が無い。勝手にすれば良い」

 エージェントが膝をついた。ぬかるんだ地面の泥が跳ねる。泥に突き刺さったままだった銃が静かにずれるようにして倒れた。



こうして、彼はまた一人、人類のために殺人をおこなったのだ。

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