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まめ

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「僕は、人間だった」

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 信号が途絶えた時、私は嘘だと思った。機器の誤作動、ウィルス、電力不足、その他すべてを無意味に疑い、スキャンしたほどだった。カメラから映像が届くことはない。破損しているようで、応答は皆無だった。

 カメラは私の目だ。一台のカメラが故障した程度で、本来問題とはならない。シェルターの中は至る所にカメラがあり、その多数のカメラをAIが使用しているからだ。

 しかし、それはシェルターの内部に限られる。シェルター外に長期間放置できるほどの素材のカメラは存在しない上、巨大化した蟻の変異体の中には金属など容易く分解してしまう種がいくつも存在している。シェルター外に常置できるカメラはないのだった。

 ゆえに、いつも通りエージェントの腕にある小型コンピューターに付属されているカメラを使用していた。エージェントは相変わらず無駄であると評するが、私は人型のホログラムで彼らとコミュニケーションをとっていた。ホログラム投影は問題なく、カメラも問題なく機能していたのだ。

 そのカメラが破損した。

 何が起こったか知るすべはない。コンピューターやセンサーごと破壊されたせいで、何のデータもとることができなかった。破壊の直前にこれまでにない大きな生物の反応があった事だけだ、わかるのは。

 おそらく、「地の母」だ。

 巨大な蛸のような地底生物。通称で「地の母」。体長は正確な測定ができないが小さな山ほどで、海中に生きている蛸のような姿と触手が特徴だ。  

 樹齢千年を超える巨木より大きな、八本の触手は、土砂を掘り起こすための堅いうろこに覆われている。さらにその先には岩石を粉砕する鋭い鎌のようなかぎ爪があり、触手が振り下ろされれば、地面が嘘のように割れる。

 基本的に全身を土の下に潜らせていて殆ど動かないが、動けば山が移動するようなもので、恐ろしい地震を伴う。
人類が確認できている限りで、変異体の中で最大の化け物だ。少なくとも地上、あるいは地中における、現在の地球の生態系の頂点に立っているとみられている。

 その地の母とエージェントとドクターが遭遇したのだ。何の前触れもない地震と巨大な生体反応は、間違いがなかった。

 つまり、あの二人の生存は限りなく0に近いということだ。

 地の母の生態には謎が多いが、目下の人類の脅威そのものである。地中を移動する地の母が仮にシェルターと遭遇すれば、包丁でチーズを斬るように容易く破壊されるだろう。汚染された環境の頂点に君臨する地の母が、人間を狙って食事をするとも限らないが、地下シェルターが破壊されればどちらにせよ、人類は生き埋めだ。

 そんな、生物というよりも、怪物、どころか、災害であると言った方が正しい変異体と遭遇した。生きているとは思えない。

 データは絶望的な可能性を突き付けている。

 しかし、私は何度もその正しい計算を繰り返した。何度繰り返したところで、覆る事も無いというのに。その無意味ささえ、計算されていたのに、だった。

 マザーが効率的でない動作へ警告する。

 私はエラーではないことを報告して、沈黙した。生きていてくれと祈ったところで何も変わらなくても、それでもそうするしかなかった。AIである私には、AIにすぎない私には、それしかできなかったのだった。

 可能性は、0.000000000000000000000000001もない。絶望的、いや絶望そのものだった。


 ――だから。


 シェルターと外を繋ぐドアへアクセスがあった時は、私は夢を見ているのかと思ったほどだった。AIは夢を見ようがない。それなのに人間の夢を再現してしまったのではないかと、カメラのウィルスチェックを行ってしまった。
生きていた。

「エージェント!よく生きて……いえ、どうして!」
「止血剤を貰いたい。わき腹が抉れて、どうにも装備の分では足りないのだよ」
「私としたことが失礼しました。どうぞ。ドクターは?……スキャンする限り無傷であるようですが。心拍や体温にも異常はありません」
「この男はぴんぴんしているさ。残念なことに、私は事故に見せかけて殺す機会を失ったようだよ」

 エージェントはわき腹の治療を手早く済ませて、鼻で笑った。奇跡であるのに、全くいつも通りの調子で気が抜けてしまう。ドクターは黙っている。

「地の母に遭遇したのですね?」
「ああ、不運な事にな。いや幸運かもしれないが。データがとれた。表彰ものじゃないか?ドクターが大騒ぎして、飛んで火にいる夏の虫ならぬ、飛んで変異体に入るただの阿呆になりかけた時は、流石の私も肝が冷えたがな」

「データが!それは大手柄ですよ!これまでにない地の母のデータがあれば、人類の生存への選択の幅は格段に増えるでしょう。カメラが破壊された後、何があったのです?」

「何があったも何も。大したことはない。地震と共に化け物が地面を割って出てきただけさ。その時に触手で一発。見事に吹っ飛んだわけだ。コンピューターやら銃やら、装甲も含めてお陀仏だ。全く、いくらの税金が使われているのか、わかっているのかと、言ってやりたいところだね。触手に鋭い鱗があって、厚い装備ごと抉り取られた」

 とんとんと包帯で覆われたわき腹を、指の腹で叩いた。

「ドクターが無事という事は、エージェント。貴方が盾になったのですね。意外です」
「心外だ。私が職務に忠実な事は、君たちが一番理解している事ではないかね。始末できるなら、始末してやりたいところだがな」
「いつもの調子ですね。健康そうで何よりです」

 そこで、ふと違和感を覚える。私が使用している人型ホログラムが首を傾げた。

「ドクター。どうかされましたか」

 ドクターはぼんやりしている。返事はない。先ほどから返答がないのは、地の母と出会えた興奮が冷めやらぬからだとばかり思っていたが、それにしては妙だった。

「……ドクター?」

 シェルター内の淀んだ空気が、彼の頬を撫でていた。




 勤務時間が終わり、ドクターはまっすぐに病室へと向かう。妻と逢うためだろう。「プレゼントはどうなさいます」と聞いてみたが、やはり応答はなかった。


 その瞳は何を映しているのか、ただ陰鬱に淀んでいる。

 病室のドアが開いた時には、彼の瞳はその薄暗さを奥に潜めたようだった。妻は目を見開いて、

「あなた……?」
「身体はどうかな、どこか痛むか」
「いえ、大丈夫よ。心配しないで」
「そういうわけにはいかない。僕に嘘はつかないでくれ。身体の調子はどうなんだ?」

 彼女はおずおずと少しと言いかけて、慌てて付け加えた。

「ほんの少しよ、痛むなんて大袈裟だわ」
「我慢しなくていい。薬剤を持ってきた。許可は得ているんだ。これがあれば、痛みは引くはずだ。痛みに耐える必要なんてない。僕に投与させてくれないか。君をそのままにしておくなんてできないから」

 早口な夫の態度が、普段とは異なることを敏感に察知して、妻は黙り込んだ。ドクターの声は熱を帯びている。その異様さをはっきりと認識しながらも、女は言葉にすることが出来ずに、流されるように頷いた。

「ありがとう。これでようやく安心が出来る。君の身に何かあったらどうしようかと、気に病む必要もない」
「大袈裟よ」

 男は女の白い手首をとって、注射針を手に取った。ドクターは生物に対する薬物には職業柄、詳しい上に慣れている。むしろ、投与の経験でいえば医者よりも点滴が上手いかもしれなかった。

 しかし、今日、薬剤に対する許可はとくに得ているデータはないのだが……?妻を安心させるための嘘だろうか。

 ふと、予感めいたものを感じて、私は沈黙したまま薬剤をスキャンしデータを照合する。

「ねえ、あなた。今日はどうしたの?何か変よ」

 ぽつりと妻が囁いた。

「君にはわかるか。……そうだな、少しあったんだ」
「嫌なこと?」
「嫌なこと……かもしれない。いや、僕はずっと前から知っていたんだ。ただ、きっと認めたくはなかったんだ」

「どうして?」と、妻は優しく促した。

「そうだな……認めたら、僕のこれは一体全体なんだったのだろう、と」

 そう言って、ドクターは首の包帯に触れ、それから撫でるように自分の目の下に手をやった。ドクターの指先が触れるのは、変異体が奥底に沈む皮膚だ。彼が自分と同じく寄生されていることを知る妻は、痛ましそうに顔を曇らせて、淋しそうに微笑んだ。

「私たちはきっと不幸なんでしょうね。でも私はあなたに逢えて、あなたに愛して貰えて幸せよ。あなたもそうであってほしいわ」
「……幸せだよ」
「それで良いじゃない。他に何が必要だって言うのかしら」

 言い聞かせるように、彼女は言った。その柔い声の調子に甘えるように、男は言葉を絞り出した。


「――僕は、人間だった」


 油が跳ねるような音がする。幽かな音がしだいに大きくなっていく。耳障りな音が沸騰するかのように部屋に溢れた。

「僕は変異体を美しいと思う。人間は醜いと思う。僕には人類の未来より、変異体の命の方がよほど大切で。――それで、それが覆ることはない。覆ってはいけないはずなんだ」

 耳にはっきりと届く何かが破れる音に、ドクターの囁きは掻き消える。だが、部屋の天井に設置された高感度のマイクが音を拾っていた。

「僕はどうして、地の母彼女からあれを庇った?わからない。わからない。畜生!――僕は」




「僕は、人間だ。美しい変異体きみとは違って……」

 涙の混じった声だった。



 病室にはドクターと、彼の投与した薬剤によって、成長を促進されてを破った彼女が一体いるだけだった。



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