私は

鉄幹

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私は

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私は物語が書けないことに難儀していた。よく一般には、小説を書きたければたくさん本を読めとか、古典を読めとか言うが、私はそうではなかった。私は文は書けるが、物語は書けなかった。キャラクターに名前を与え、キャラクターに性格を与え、チェスの駒、ないしは将棋盤の将棋の如く、盤上でキャラクターを動かし、互いに会話させ、物語の世界を広げていくことがまったくできなかった。明らかな文才という才を持ちながら、物語が書けないというのは、致命的な損失だった。そのせいで、たもえば夏目漱石や三島由紀夫、いやダン・ブラウンの著作をみるたび、それこそ東山圭吾の著作を読むたび、私ならもっと上手く書けるのに。と思ってしまうのだが、文としての言い回しは表現は確かに私は数段上手をゆくだろうが、キャラクターどうしが会話をしながら物語を進めていくそのやり口がどうも私にはできない。物語で起承転結をまず書こうとしたとき、当然だが、起は想起の起だから、私にもできる。起承の承はまあまぁ、その世界にくだらんクソみてえな、なんか病気の後遺症みたいな設定をひとたしするだけで承は紡げる。転もまぁ、クソみてえな設定を世界にぶちまけることで、それこそ宇宙から地球上にマヨネーズの塊の隕石をぶつけるように、いくらでもできる。問題は結だ。結局最後はキャラクターを皆殺しにするか、世界を爆発させるか選択がなくなってしまう。自分が想起した世界が爆発して消えてなくなってしまうのは、何も残らないから最初から何も考えてないのと同じだ。私はそれをループしている。
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