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1)オメガのホストはベータとして生きる
「結婚するんだ」
そう告げられた言葉が、村上梓の胸を締め付けた。
友人として喜ぶべきなのに、どうしても心の奥が疼く。
目の前にいる二人は、小学校の高学年からずっと一緒に過ごしてきた幼馴染だ。
長い年月を共に歩んできた三人が、これからは異なる道を進んでいく──そう実感させられる言葉だった。
梓は一度も染めたことのない黒髪を掻き上げ、体の線に沿った黒いスーツを整える。
ホストクラブで働く従業員としての佇まいが、気づかぬうちに身についていた。
客に向けるときと同じ笑顔を浮かべながら、二人の座るテーブルに腰を下ろす。
「そうか……」
声は、自分でも驚くほど落ち着いて聞こえた。
本当は、すぐに「おめでとう」と言うつもりだった。だが、その一言は喉の奥に引っかかり、形になる前に崩れてしまった。
俯いたまま、グラスに氷を落とす。
カラン、と乾いた音が、妙に空間に残る。
小気味よいはずの音が、今はやけに耳についた。
「えー?それだけぇ?」
呆気ない返答に、瀬戸内丸馬がくすりと笑って声を上げた。
その隣で、斎藤清武は困ったように梓を見ている。
「ああ……ごめん。やっと、かと思って……」
梓はふわりと笑い、二人の顔を見比べる。
彼らが結婚するのは、ある意味では自然な流れだった。
二人は「番」という関係で結ばれる運命にあった。
この世界には、二次性と呼ばれる特別な性質がある。人はアルファ、ベータ、オメガのいずれかに分かれ、特にアルファとオメガの間には、番と呼ばれる強い結びつきが生まれることがある。
清武は、リーダーシップがあり社会的地位も高いアルファ。一方の丸馬は、発情期と強いフェロモンを持つ、男性でも妊娠が可能であるオメガだ。
オメガは厄介な体質だ。
特有のフェロモンを放ち、望まぬ相手まで惹きつけてしまう。
だが、番を得たオメガは、その匂いをただ一人にしか向けられない。
だからこそ、二次性が現れたばかりのオメガは、抑制剤に頼るか、番を持たなければ、人前に立つことさえ難しい。
「今日はお祝いだし、少し高いお酒で乾杯しようか。優しいけど、力強い味でね。俺のおすすめ」
梓は二人に向けて精一杯の笑顔を作った。
三人で過ごしてきた時間が、これから少しずつ失われていく。
それと同時に、胸の奥で燻っていた淡い恋慕の希望も、静かに消えていく。
その寂しさを押し隠すように、梓は心の中で何度も「おめでとう」と繰り返した。
そして、特別なときのために取っておいた、メルロ種のワイン──マセットを開けることを決めた。
ふと、梓は中学時代のことを思い出す。
清武と丸馬、そして自分。
三人は小学校で出会い、それ以来、いつも一緒だった。
梓の母親譲りの整った容姿は、人目を引きやすかった。だが、母がオメガであるという理由で、梓は転校を繰り返していた。
前に隣町の学校に移ったときも、同じ理由で孤立していた。
そんなとき、何も知らずに声をかけてくれたのが清武と丸馬だった。
ひまわりのように明るい清武と、綿毛のように柔らかな笑顔を見せる丸馬。
二人の隣にいる時間だけが、梓にとって息ができる場所だった。
そしていつしか、梓は清武に特別な感情を抱くようになっていた。
だが、中学に進学し、二次性が現れたとき、すべてが変わる。
検査結果の通知書には、「オメガ」の文字。
アルファである清武に惹かれていた梓は、その瞬間、淡い期待を抱いた。
この想いが、いつか実るかもしれない──そんな希望を。
しかし、その希望は長くは続かなかった。
「清武が好きなんだ」
丸馬が自分の結果を喜びながらそう告げたとき、胸の奥が軋むように痛んだ。
彼も同じオメガだったのだ。
「友達なら、応援してくれるよね?」
そう問われ、梓はかろうじて頷いた。「もちろん」と口にしながら、意識が遠のきそうだった。
それ以来、梓はベータとして生きることを選んだ。本当の二次性を隠し、友人でいるために、自分の心に鍵をかけたのだ。
営業終了後、梓は幼馴染の二人を見送った。
秋の入り口を思わせる冷たい朝の空気が、酔った体に染み込む。
「あー……飲みすぎた……」
感情を悟られないよう、いつも以上に酒を重ねた。 二人といる間は平静を保っていたが、今は足元が覚束ない。
吐き気をこらえながら歩いていたが、家まであと少しというところで、道端に座り込んでしまう。
「……うぅ」
立ち上がろうとしても、体が言うことをきかない。帰らなければと思うのに、その気力すら湧かない。
「大丈夫か?」
低く、落ち着いた声が耳に届いた。
どこか優しさを含んだその声に、梓は抗えなかった。
あと数メートル先が自宅だと分かっていても、その距離がひどく遠い。
梓はその声に身を委ね、意識を静かに手放した。
そう告げられた言葉が、村上梓の胸を締め付けた。
友人として喜ぶべきなのに、どうしても心の奥が疼く。
目の前にいる二人は、小学校の高学年からずっと一緒に過ごしてきた幼馴染だ。
長い年月を共に歩んできた三人が、これからは異なる道を進んでいく──そう実感させられる言葉だった。
梓は一度も染めたことのない黒髪を掻き上げ、体の線に沿った黒いスーツを整える。
ホストクラブで働く従業員としての佇まいが、気づかぬうちに身についていた。
客に向けるときと同じ笑顔を浮かべながら、二人の座るテーブルに腰を下ろす。
「そうか……」
声は、自分でも驚くほど落ち着いて聞こえた。
本当は、すぐに「おめでとう」と言うつもりだった。だが、その一言は喉の奥に引っかかり、形になる前に崩れてしまった。
俯いたまま、グラスに氷を落とす。
カラン、と乾いた音が、妙に空間に残る。
小気味よいはずの音が、今はやけに耳についた。
「えー?それだけぇ?」
呆気ない返答に、瀬戸内丸馬がくすりと笑って声を上げた。
その隣で、斎藤清武は困ったように梓を見ている。
「ああ……ごめん。やっと、かと思って……」
梓はふわりと笑い、二人の顔を見比べる。
彼らが結婚するのは、ある意味では自然な流れだった。
二人は「番」という関係で結ばれる運命にあった。
この世界には、二次性と呼ばれる特別な性質がある。人はアルファ、ベータ、オメガのいずれかに分かれ、特にアルファとオメガの間には、番と呼ばれる強い結びつきが生まれることがある。
清武は、リーダーシップがあり社会的地位も高いアルファ。一方の丸馬は、発情期と強いフェロモンを持つ、男性でも妊娠が可能であるオメガだ。
オメガは厄介な体質だ。
特有のフェロモンを放ち、望まぬ相手まで惹きつけてしまう。
だが、番を得たオメガは、その匂いをただ一人にしか向けられない。
だからこそ、二次性が現れたばかりのオメガは、抑制剤に頼るか、番を持たなければ、人前に立つことさえ難しい。
「今日はお祝いだし、少し高いお酒で乾杯しようか。優しいけど、力強い味でね。俺のおすすめ」
梓は二人に向けて精一杯の笑顔を作った。
三人で過ごしてきた時間が、これから少しずつ失われていく。
それと同時に、胸の奥で燻っていた淡い恋慕の希望も、静かに消えていく。
その寂しさを押し隠すように、梓は心の中で何度も「おめでとう」と繰り返した。
そして、特別なときのために取っておいた、メルロ種のワイン──マセットを開けることを決めた。
ふと、梓は中学時代のことを思い出す。
清武と丸馬、そして自分。
三人は小学校で出会い、それ以来、いつも一緒だった。
梓の母親譲りの整った容姿は、人目を引きやすかった。だが、母がオメガであるという理由で、梓は転校を繰り返していた。
前に隣町の学校に移ったときも、同じ理由で孤立していた。
そんなとき、何も知らずに声をかけてくれたのが清武と丸馬だった。
ひまわりのように明るい清武と、綿毛のように柔らかな笑顔を見せる丸馬。
二人の隣にいる時間だけが、梓にとって息ができる場所だった。
そしていつしか、梓は清武に特別な感情を抱くようになっていた。
だが、中学に進学し、二次性が現れたとき、すべてが変わる。
検査結果の通知書には、「オメガ」の文字。
アルファである清武に惹かれていた梓は、その瞬間、淡い期待を抱いた。
この想いが、いつか実るかもしれない──そんな希望を。
しかし、その希望は長くは続かなかった。
「清武が好きなんだ」
丸馬が自分の結果を喜びながらそう告げたとき、胸の奥が軋むように痛んだ。
彼も同じオメガだったのだ。
「友達なら、応援してくれるよね?」
そう問われ、梓はかろうじて頷いた。「もちろん」と口にしながら、意識が遠のきそうだった。
それ以来、梓はベータとして生きることを選んだ。本当の二次性を隠し、友人でいるために、自分の心に鍵をかけたのだ。
営業終了後、梓は幼馴染の二人を見送った。
秋の入り口を思わせる冷たい朝の空気が、酔った体に染み込む。
「あー……飲みすぎた……」
感情を悟られないよう、いつも以上に酒を重ねた。 二人といる間は平静を保っていたが、今は足元が覚束ない。
吐き気をこらえながら歩いていたが、家まであと少しというところで、道端に座り込んでしまう。
「……うぅ」
立ち上がろうとしても、体が言うことをきかない。帰らなければと思うのに、その気力すら湧かない。
「大丈夫か?」
低く、落ち着いた声が耳に届いた。
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梓はその声に身を委ね、意識を静かに手放した。
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