オメガのホストはベータとして生きる

宮路 明

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51)覚悟

 うっすらと東の空が明るみ始める頃まで、梓は和司と共に熱を交わしていた。
幾度も重なり合い、甘美な陶酔の中で次第に自我が薄れ、ただ幸福と快楽に身を委ねたまま、彼の腕の中で意識を夢の彼方へと漂わせていた。

目を覚ますと、愛おしい人の姿がすぐ傍にあった。
本来ならば、これほど幸せな瞬間もないだろう。だが、梓の胸中には激しい後悔がじわじわと広がり、まるで地獄の扉を自ら開けてしまったかのような感覚に襲われた。

「おはよう」

 ふわりと和司が微笑み、柔らかな声で朝の挨拶をくれた。彼が起きていたのか、それともただ目を閉じていたのかはわからないが、どこか安堵に満ちた表情が梓の心をほっとさせた。

「……和司さん……どうしよう……俺……また清武を……」

 自分の罪深さに押し潰されそうになり、次第に不安が胸にこみ上げてきたその時、和司がそっと梓を引き寄せた。包み込むように囁かれる「大丈夫だ」という声に、心の奥がじんわりと温まる。

「愛してる」

 その言葉は、甘く痺れるように梓の胸に染み渡り、今まで積み重ねてきた決意や理性をすべて溶かし去っていく。彼のために、覚悟を固めたつもりだった。けれど、理性に逆らえず番の契りを結び、もう引き返すことができないことを受け入れるしかなかった。

 和司が「自分が何とかする」と言ってくれたが、すべてを彼に委ねるつもりはなかった。自分が選び、望んで彼を求めた以上、これからの道は自分の意思でも切り開くべきだと思っていた。

 和司との未来を見据え、彼の家族に頭を下げる覚悟も決まっている。けれど、胸に残るわずかな不安の影――それは、清武に対する後ろめたさだった。


「気まずいかもしれないが、朝食の時に親と岼屋、それに清武に話をつけたい」
「はい……」

 梓は、昨夜ホテルが用意してくれた服に袖を通した。和司から服を借りることも考えたが、やはりサイズが違いすぎたため、用意されたスーツが程よくフィットしていた。きりっとした装いで気持ちを引き締め、梓は決意を込めた表情で和司と共に部屋を後にした。

 部屋を出てすぐ、岼屋の少し冗談めいた声が梓の耳に届く。

「昨日は寝れなくて寝不足じゃないかしら?」

 その声に一瞬驚くも、すぐに温かい気持ちが胸にこみ上げた。だが、次の瞬間――

「梓!」

 声と共に、清武が勢いよく近寄り、重みをかけて梓に抱きついてきた。突然の拘束に似た行動に梓が戸惑う中、すかさず和司が冷静に間に入り、清武の腕を引きはがす。

「清武、落ち着け。ここで無茶をしても、何も変わらないだろう」

 いつからここにいたのだろう。もしかすると、ずっと待ち続けていたのかもしれない。
清武の顔は血の気が引いて、青白く不安定な雰囲気を漂わせていた。彼の眼差しには疲労と諦めが混じり合い、それでもどこか梓に執着する強い感情が滲んでいた。
その姿に、梓は胸が締めつけられるような感覚を覚える。自分の選択が清武を苦しめていることを感じつつも、同時に和司との絆を守り抜きたいという思いがあった。

 清武は悔しそうな表情で一瞬動きを止めるも、すぐに岼屋が間に入るようにして清武をなだめた。

「清武くん、少し頭を冷やしましょうね。話は朝食の場で、ちゃんと聞けるんだから」

 岼屋の落ち着いた声に促され、清武もようやく小さく頷き、腕を梓から離す。張り詰めた空気が少し和らぎ、梓は和司に支えられながら再び歩き出した。

 不安と決意が胸の中で交錯する中、彼は静かに和司の手を握り返し、未来に向かう覚悟を新たにした。






 朝の爽やかさが感じられるはずの時間だったが、部屋に漂う空気は冷え切っていた。
両家の重苦しい視線が交差し、張り詰めた緊張が息苦しいほどだ。
だが、その冷たい空気以上に梓を圧迫したのは、清武の執着がこの場にも露わに漂っていることだった。

 清武の視線は鋭く、梓と和司の間に入り込もうとするかのようにじっと注がれている。彼の執念は、他人には見えない鎖のように感じられ、梓の心を重く締めつけていた。
その場にいる全員が、まるで清武の心情を悟っているかのように沈黙していたが、誰も口を開く気配はなかった。

重たい沈黙を破ったのは、和司だった。視線を梓の方へ向けると、静かながらも確固たる意志を感じさせる口調で話し始めた。

「この場でお話しするのは不本意かもしれませんが、今ここでお伝えしなければならないと思っています」

 その声には迷いがなく、周囲の冷たい空気をも切り裂くような響きがあった。両家の者たちは一瞬息を飲み、清武も険しい表情のまま、和司の言葉に耳を傾ける。

「梓は俺と共に生きる決意を固めてくれました。彼を尊重し、そして俺も覚悟を持って彼を支えるつもりです」

 その言葉に、梓はふと肩を震わせた。自分の心情を代弁するような和司の言葉に、不安や葛藤が少しずつ解けていくように感じた。だが、隣にいる清武の表情は、微動だにしなかった。
ただ、抑えようとする感情が瞳に色濃く浮かび、痛々しいほどの沈黙が清武の中で渦巻いているのが見て取れた。

 和司の言葉に込められた決意と、清武の静かな苦悩。緊迫した空気が張り詰める中、次に何が起こるのか予測できないまま、梓は両者の間に立つ自分の存在を強く感じていた。

「あなた、何をしたかわかっているの?」

 和司の母―――希清きすみが口を開いた瞬間、部屋の空気が凍りついた。彼女の言葉には怒りと憎しみが絡みついており、その視線は梓に向けられた鋭い刃のようだった。

 希清は立ち上がり、テーブルを叩くようにして言い放った。

「そんなことをしておきながら、自分が悪いです反省してますみたいな顔を見せて……!許される事じゃないわ!」

 梓はその言葉を耳にし、ただじっと希清の激しい眼差しを受けるしかなかった。希清はその後も、まるで感情を抑えることなく続けた。

「和司が番になったこと、あなたがそれを望んだこと、もう終わってしまった事だけれど……。でも、どうして清武を捨てることができるの?あなたのせいで、清武はどれだけ傷ついていると思っているの?」

 彼女の声は次第に震え、目には涙が滲んでいた。

「あの子がどれだけあなたを必要としていたか、わかっていたことでしょ!」

 そんなことは分かっていた。
清武が目の前で命を絶とうとしたことを梓は忘れてなどいない。

 彼女の言葉に梓の心は痛んだが、希清はそれをものともせず、まるで彼を責めるために生まれてきたかのように激しく続けた。

「あなたは、ただ自分の快楽を求めて、無責任に番になっただけ。私はあなたを認めない!番になったからといって、あなたたちを一緒にさせるつもりはないわ。あなたはこれから、苦しんで生きていくしかない」

 希清が激しく非難の言葉を浴びせる中、和司が言葉を返そうとした次の瞬間、清武は突然その場で声を上げた。

「やめろ!それ以上、梓を責めるな!」

 まるで抑えきれない怒りと絶望に取り憑かれたように、清武の目が一瞬で歪んだ。

 清武の声は低く、震えていたが、その奥には異常なまでの執着が混じっている。彼の手がぎゅっと握られ、指の先まで緊張感が走る。

 清武は、まるで自分が梓を守らなくてはならないという使命感に駆られているかのように、突然進み出た。

誰もが息を呑んだ。

「俺はお前を捨てない。誰と番になっても俺は手放さない」

 彼の言葉は狂気を帯びていた。目は血走り、瞳の奥には深い闇が広がっていた。

その言葉と共に、清武は梓に向かって一気に突進した。まるで獣が獲物を狙うかのように、梓の腕を無理やり掴み、引き寄せようとする。その力は尋常ではなく、梓はその圧迫感に顔を歪めた。

「清武、やめろ!」

 和司が叫びながら、清武を振り払おうとするが、清武はまるでそれを待っていたかのように反応を示さなかった。彼の目は和司を無視して、ただ梓だけを見据えている。

「俺がどうなってもいい。お前だけは、絶対に俺のものだ」

 清武は息を荒げ、吐き出すように言った。その言葉には、もはや愛ではなく、異常な執着と嫉妬、そして狂気が滲み出ていた。

 希清の目には涙が浮かんでいた。息子の異常さに対する恐怖と、同時に無力感が入り混じっている。

 和司の父―――武和たけかずが冷静に、その場を収めようと一歩前に出る。

「清武、今すぐ離れろ」

 彼の声は冷徹であり、まるで清武の異常さを知り尽くしているかのようだった。しかし、清武はそれを無視し、梓を離すことなく、彼をぎゅっと抱きしめようとした。

「俺が、お前を必要としているんだ……!」

 清武の声は引き裂かれたように響き、その手が梓を引き寄せ、さらに強く抱きしめようとする。その強さは、まるで梓を自分のものにしようとするかのようだった。

「清武、やめて!」

 梓はその異常な力に押されながらも、必死で声をあげた。しかし清武は耳を貸すことなく、顔を近づけ、梓の耳元で囁いた。

「お前を奪われたくない……絶対に」

その言葉には恐ろしいまでの決意と執着が込められており、梓の体が震える。

 和司はその場を離れ、清武を力強く押しのけた。ようやく清武が梓を離すと、彼は苦しそうに息をつき、血走った目で和司を睨んだ。

「……梓……好きだ……好きなんだ」

 清武の声は、まるで何かが壊れたような音を立てていた。彼の顔は引きつり、歪んだ笑みを浮かべていた。

「俺はお前を絶対に手放さない……誰にも、お前を渡すつもりはない。」

 梓はその言葉を聞き、思わず震えた。清武の執着は、もはや愛という言葉では表せないほど異常で、狂気に満ちていた。

その姿に、梓は言葉を失うしかなかった。

 清武が梓に向かって異常なほどの執着を見せた瞬間、父の和武は顔をしかめ、すぐにその場に踏み込んだ。

「いい加減にしろ!」

 父親である武和の声は冷徹で、鋭い怒気を帯びていた。その冷たい眼差しが、清武に向けられると、清武は一瞬震えた。

その瞬間、武和は一歩前に出て、清武の頬を強く叩いた。パシン、と鈍い音が響き渡る。

「ッ――!」

 清武は突然の衝撃に目を見開き、体が硬直した。頬に熱が広がり、痛みが走る。その顔を押さえたまま、清武は動けずに立ちすくんだ。顔を覆った手のひらには、少しの血が滲んでいたが、それを拭うことすらしなかった。

「あなた!」

 希清が、震える声で武和を呼び叫んだ。

 彼女の声は震え、驚きと恐れが交じり合った感情を隠しきれない様子で、部屋の空気を重くした。
武和が清武を叩いたその瞬間、母親の目には、今まで見たことのない光景が広がっていた。
普段から冷静沈着で理性的な父親の武和が、まるで激情に駆られるかのように、息子に手を上げるなんて想像もしていなかったのだ。

 武和は、冷静な目で清武を見据え、言葉を続けた。

「お前は何をしている?それが、どれだけおかしなことか分かっているのか?」

 その声には、もはや母親の怒声に近い、強烈な責任感と憤りが含まれていた。

 清武はゆっくりと顔を上げ、その目は狂ったように震えていた。自分が叩かれたことに対する怒りと、ただただ梓を手に入れたいという強い思いが、交錯している。しかし、父親の目は冷徹であり、清武はその冷たい視線を避けることなく見つめていた。

「お前は……」

 武和が一歩前に進み、強く清武の肩をつかんだ。

「やめろ、清武。お前は彼を愛しているわけじゃない。執着しているだけだ。」

 その言葉に、清武の顔が一瞬ひきつり、再び涙が頬を伝った。

「お前には理解できないかもしれないが、梓くんの幸せを考えてやりなさい」

 武和は、清武の背中をぽんと叩いた。その軽い手のひらの重みに、清武は一瞬だけ身を震わせる。まるで鋭い刃物を突きつけられたかのような感覚に襲われ、彼の体は震え、胸中に言いようのない怒りと絶望が交錯した。

「……っ……」

 言葉が喉に詰まって、清武は何も言えなかった。彼の目には、どうしようもない焦燥感と怒りが見え隠れしている。その表情には、今にも爆発しそうな、怒りと哀しみが渦巻いていた。

 だが、武和は冷静だった。これ以上清武に言葉を掛けても、彼の心情を理解することはできない。だからこそ、彼はただ静かに、清武にその重さを与えたのだ。

「理解しろとは言わん。しかし、今は梓くんの幸せを尊重することが、どれだけ大事かを考えろ」

 武和の言葉は、まるで鋭い刃のように、清武の胸に深く突き刺さる。彼の目に滲んだ涙が、わずかながらもその怒りを押しとどめる。

「……そんなの、無理だ……」 

 清武はうめくように声を漏らした。

「俺、どうしても諦められない……!」

 清武の目には憎しみと愛情、無力感が入り混じっていた。だが、そんな感情に流されることなく、武和は言葉を続けた。

「ならば、梓くんがどれほど苦しむか、お前は想像しているのか?」

 その一言に、清武は反応できなかった。彼の全てが、幸せが、和司の手にあり、梓が和司の手を取らないと、どうなってしまうのか、どれほど苦しむのかを、理解できなかったからだ。

 武和は静かに、だが力強く続けた。

「お前がそれを理解しない限り、全てが無駄なんだ。清武」

 その言葉は、清武の心を砕くようなものであった。

清武はただその場で膝を折り、言葉を呑み込むように黙り込んだ。
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