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獣軍連邦潜入編
96.握りしめたダイス
しおりを挟む木を移って焼け死ぬ危険性はなくなった。だが相変わらず火の勢いは衰えず、ごうごうと炎を噴き上げている。私がここ数カ月暮らした孤児院も、火の海に沈んでわからなくなっていた。燃え盛る巨木に隣接するこの木には人の気配は薄く、火移りを警戒して避難していることがわかる。
今この場を支配しているのは、オリヴァー先輩だった。
棒は、フィルジはオリヴァー先輩を洗脳したにっくき魔族にも関わらず、そのオリヴァー先輩を扱いあぐねているようである。こちらにこそこそと近づいてきては、「あれマジで、俺の趣味じゃねーから!」などと詭弁を宣う。
「親しそうに私に話しかけてくるな!死ねッ!」
「なんだよさっきから。生理かぁ?今までいっぱい気持ちよくしてやっただろぉ、その態度はねぇんじゃねぇのー?」
「うるさい!」
確かにフィルジは、私に精液を供給するために毎日姿を現した。魅了と、意識阻害を受けて朦朧としている私を押し倒し、好きなように扱ったのだ。確かに私は精液が必須で、性交を必要としていたが、だからと言って、魔族に施しを受けるなど……!
「魔族は全員、殺す」
ぎろりと睨みつけると、フィルジは傷ついたような表情を浮かべた。そして男が口を開く前に、目の前にはぎらぎらと光り、狂気を身に宿したようなオリヴァー先輩が飛び込んでくる。
咄嗟に構えたが、わき腹に鋭い蹴りを食らう。腕でぎりぎり庇うことができたが、吹き飛ばされて、私は強かに巨木の幹に身体を打ち付けた。痛みに呼吸が一瞬止まるが、強化魔法を使っていてよかった。大した怪我ではない。が、強化魔法ではなく、重力魔法で重みのある攻撃は、入るとダメージが大きそうだ。
「お、おいお前何してんだ!」
動揺したのはフィルジの方だった。非難めいた声を受けて、オリヴァー先輩は肩を竦める。
「クンツを連れていくのでしょうご主人様。眠らせれば早い」
「そりゃそうだが、別に暴力振るわなくてもいいだろぉやめろ!」
「……なんだあんた。ほんとに魔族か?」
オリヴァー先輩の戸惑いが手に取るように分かった。先輩は洗脳されてはいるが、その思考も攻撃も、ご本人の気質がにじみ出ている。今は敵対しているにも関わらず、思わず私は同意してしまった。あの魔族1人だけ、温度感が違う。
これだけの騒ぎを起こした魔族にしては、そのアンバランスさが違和感を感じさせた。見た目も、底知れぬ魔力も、男を魔族と思わせるものしかないのに、まるでただの民間人が間違って戦場に来たかのような、そんなちぐはぐさがある。
「お前、強い群青騎士なんだろ?やるなら暴力なしで上手くやれ!」
「手足を折れれば楽なんですが」
「いいから!」
不思議なことに、私は私を攫おうとしている男に、庇われているらしい。オリヴァー先輩は至極面倒そうな顔をしている。そうこうしているうちに、大熊が、虎獣人を担いでこちらに苦しげに走り寄ってきた。わき腹には短剣が刺さったままだ。下手に抜いては失血を免れないと判断したのだろう。固定をするように周囲には布が巻かれている。
それを背後にするようにユストゥスが唸りながら下がってきた。ドゥシャンは私の姿をその巨体で隠すように前に立つ。
「……ご主人様、他の獣人は殺しても」
「やめろ。絶対やめろ。俺血は嫌いなんだよぉ」
黙っていれば魔族らしく見た目麗しい姿にも関わらず、ヘタレる様を覗かせながら、フィルジは首を横に振った。……これなら私にも勝機があるかもしれない。棒は底知れぬ魔力を持っているが、どうやらその思考は随分と日和っている。私が前に出ようとすると、青ざめた顔の大熊に手を握られた。大きな手は熱を持っていて熱い。
「クーちゃん、だめだ」
「……貴殿こそ怪我をしているのだ。早く行け」
「手、使えねえだろ」
「戦える。私は騎士だ。貴殿こそ早く下がれ」
「クーちゃんを置いて行けねえ」
握られた手は確かに手首をスライムで固められていたが、指先は動く。会話をしているうちに大熊の肩に乗せられた虎が呻いた。
「はぁ……いいよ。逃がしてやるから、クンツとフレイを置いて行ってよユストゥス」
「随分、ベギアフレイドに執着してるじゃねえかオリヴァー」
オリヴァー先輩が、やる気がなさそうに近づいてくる。下手に近づけば吹き飛ばされるのが目に見えている獣人たちは、私を最後尾に押しやるようにしながら後ずさった。
一番手前にいるユストゥスは、手に何かの魔具を持っている。それで、どれだけ戦えるだろう。これでも群青騎士は我が国随一の騎士だ。戦闘に特化している。狼がいくら腕っぷしに自信があっても、オリヴァー先輩に敵うはずがない。
オリヴァー先輩もそれを理解しているのか、まるで獲物を嬲るように追い詰める肉食獣のように、一定距離を保ちながらこちらに迫ってきていた。逃げにくくするためか、笠の端にある階段は、拾った石を投げ付けるだけで一部分破壊されてしまった。重さを増した小石に、巨木と同化している木材が負けたのだ。何か所かコントロールしながら拾った石を投げている。
大熊や狼が1人で逃げるには、その身体能力で逃げられるだろうが、負傷者を連れては逃げにくい、そんな損傷だ。
オリヴァー先輩は、またぽろりと涙を零しながら笑った。
「だって、フレイは俺のものだ。俺がフレイのものになるのは駄目だから、だから、フレイを俺のものにする」
「……素面の時に、聞きたい言葉だな、オリー」
掠れてくぐもった声で虎獣人、べ、べ……べぎあふれいどが告げた。ドゥシャンの肩に担がれたまま、頭を重そうに持ち上げ、血の気の失った顔を見せている。オリヴァー先輩は、ふと目を伏せた。
「ずっと、ずっと俺はフレイが欲しかった。どうしてあんたは獣人の、しかも軍幹部なんだろうってずっと思ってた。でもさ、それなら俺のものにすればいいよね。なあベギアフレイド、肩書きや他のもの全部捨てて、俺だけを選んで」
「……それは、断った、だろう。私のオリー……君だって、国を、捨てられない……」
「そうだよ!国には仲間も家族もいる!あんた1人を、選べなんてしない……!!」
みしみしとオリヴァー先輩の足元の笠がきしみ始めた。笠の中央あたりにいるオリヴァー先輩を起点に、大きく笠が折り曲がり始める。先輩が自らの重さを増したのだ。
その荷重を支えきれず、笠の付け根が悲鳴を上げている。ふわっとオリヴァー先輩の後ろに立っていたフィルジは蝙蝠羽で音もなく浮かび上がった。首をぶんぶん横に振っていて、先輩の所業は自分の意思ではないと言いたげである。
「あんたと違うところで出会いたかった!軍人と密偵だなんて、こんな、ァ、あ……あっ」
「オリー……?オリー!」
苦しそうに頭を押さえているが、溢れ出る魔力は、ますますオリヴァー先輩の荷重を増やしていく。ほっそりとした身体が、重力に合わせて沈み始めた。先輩の元に行こうとしているのか、暴れる虎を、ドゥシャンが抑え込んでいる。その下で私は、ドゥシャンの腰元から顔を出して怒鳴った。
「こ、こら肉棒!オリヴァー先輩に何したのだ?!」
痛みに呻きながらも、ドゥシャンは私をもう片方の手で背後に隠そうとしている。ユストゥスは飛び掛かるタイミングを見計らうように、腰を落とした。
フィルジは所在なさそうな表情で肩を竦める。
「俺、魅了は得意じゃねえんだよぉ。こりゃ暴走してるわぁ」
「他人事のように言うな、ばかっ!」
「いや別に俺は困らねぇし、そいつ連れていくつもりねぇし。ほらクンツ!早く来ねえとみぃんな落ちるぞ。助けたかったら来い」
「ッ……!!」
やはりあの肉棒は、間違うことなく私の宿敵の魔族だった。オリヴァー先輩を操りながら、他人事のように構えている。血は嫌いなのだろうが、ここにいる全員が笠の足場を失って落ちても平気そうな顔をしていた。なんと締まりのない、腹の立つ顔をしているのだ!
私はぐっと強く拳を握った。そのせいで、手の中にあったダイスが食い込む。それに気づいて私ははっとベギアフレイドを見上げた。虎は魔力暴走を起こしているオリヴァー先輩を痛ましげに見つめ、身を乗り出している。動くたびにドゥシャンの肩や背中が、血に染まっていく。暴れる虎を押さえこもうとしている大熊が吠えた。
「動くなベギアフレイド、死にたいのか!」
「えっと、えと、べ……ベギベギ!」
「……ベギアフレイドだ」
「名などどうでもいい!これ、オリヴァー先輩が、完全に操られる前に、私に託してくれたのだ!お前に渡すためだろう?!」
小さなダイスをベギアフレイドに向けて差し出す。これはなにかのメッセージのはずだ。さあ受け取ってくれ。小さな四角面体を見たベギアフレイドは目を見開いた。これは、明らかにこれが何かだと理解している。さあ!
だがベギアフレイドは受け取りもせず首を横に振った。
「っおい幼児、お前も群青騎士なのだろう?それに魔力を込めろ!残りの責任は、私が取る!」
「えっ」
「早くしろ!長くは持たない!」
ミシミシ、と足元が軋み、笠が折れ曲がり始めた。ユストゥスが魔具を握ったまま飛び出す。だが、オリヴァー先輩は魔力の篭った拳を振るい、自分には近づけさせなかった。狼もその拳に触れることはしない。ただがむしゃらに腕を振るっているわけではないことを理解しているのだ。
代わりに手にした小石をオリヴァー先輩に投げつければ、それはすぐさま爆薬にでも触れたように大きな音を上げて消し飛んだ。距離を詰めながらユストゥスは唸り声をあげる。
「早く!!」
再度促され、私は手にした小さなダイスに魔力を込めた。魔石を握った時のような、魔力が吸い込まれるような感覚を感じる。どこまで入れたらいいかわからないが、ともかく、私はそのダイスに魔力を込め続けた。途端に、そのダイスは赤く熱くなってくる。
「あつっ」
ジュッと手のひらを熱が焼いた。それでも魔力を込めることはやめなかった。赤く煌々と輝きだしたそれは、パシュッと軽い音を立てて、私の手から頭上に飛んだ。
それは、もうもうと赤い煙を噴き上げながら、ジルチグアの大きな葉を裂き抜け、空高く飛んでいく。それからワンテンポ遅れて、パンッと短い音とともに、弾けた。
あ。
赤い煙弾は、救難信号だ。他国でも似通ったものを使っている。そのため、救難信号には使った個人の魔力を乗せる。それが弾けて広がることで、仲間であれば、誰の信号かわかるようにしてあるのだ。
普段騎士団で使っているものとは、形状が違っていたせいで、ダイスが救難煙弾だということに気づかなかった。見た目も全く普通のダイスだった。だが虎はそれに気づいたということは、おそらく前に彼の目の前で使うことがあったのだろう。
でも、いくら信号弾を上げても、ここは王国内ではない。助けになど、来るはずが……。
「ギャアッ!!」
まるで何かの劇でも見るかのように、浮かび上がったまま、はらはらとこちらを眺めていた魔族が吹き飛んだ。上から落ちてきた何かに吹き飛ばされて、地面へと落下していく。数秒後に、大きく鈍い地鳴りが響いた。
落ちた魔族より、その場に留まった人物を見上げ、私は目を離せなかった。群青に金と銀の装飾を施された鎧。左腕には動作を邪魔しない小さめのライトシールド。右手にはオリハルコンで作られた剣。
熱風にゆるくたなびく白金髪は、光艶めいて見えた。碧眼は落ちた魔族を追ったまま、左腕をオリヴァー先輩に向かって突き出す。
「『少し休むといい、オリヴァー』」
「ッ」
がくんとオリヴァー先輩の身体から力が抜け落ち、その場に倒れ込んだ。歪んでいた笠はすでに斜めになっていて、そのまま落ちかける先輩の身体を、ユストゥスが抱き留めている。良かった。オリヴァー先輩が止まってくれた、いや、止めてくれたのだ。
胸がいっぱいになる、という感覚を私は初めて味わった。私はぎゅっと胸元を掴みながら、力いっぱい敬愛する英雄の名を叫んだ。
「エリーアス様ッ!」
すると、私に呼ばれた英雄は、すぐさま満面の笑みを浮かべてくれた。
「やあクンツ。元気そうで何より!少し痩せたかい?熱烈な抱擁でも貰いたいところだけど……もう少し後かな。ベギアフレイド准将、今回はお招きありがとう。これより魔族侵攻に抵抗するため、共同戦線を張らせてもらう、ということで構わないか?いやあすぐに会えてよかった。勝手に動き回るわけにはいかないからね」
エリーアス様はいつもと同じく緩やかに笑みを浮かべながら、こちらに向けて3つほど、小さな小瓶を放り投げた。受け取ったのは大熊だったが、その手のものを見やると「ハイポーション……」と呟き、そのまま担ぎ上げていたベギアフレイドに渡す。それを一気に飲み干した虎は、ドゥシャンの肩を叩くと、するりと器用に降りてきた。
「もう一つはドゥシャン、お前が飲んでおけ」
「いや、だが……」
「役に立ってもらうぞ、大斧のドゥシャン」
一つは自分で持ったまま、もう一つをドゥシャンに手渡している。そうだ、この大熊もわき腹を刺されていたのだ。私が恐々と服を掴んで見上げると、相好を崩した熊の大きな手で、ぐしゃぐしゃと撫でられた。その手の温かさに、どこか既視感を感じた私は、撫でられた頭を、軽く手で押さえた。
「クーちゃん。悪いが、短剣抜いてくれるか」
「わかった」
今度は回復するのに刺さったままでは困るので、私は神妙な面持ちで食い込んだ筋肉を裂くように短剣を引き抜いた。激痛はあるだろうに、ドゥシャンは一言も漏らさず、ただ一度、大きく息を吐いただけだった。それからハイポーションを飲んで傷を塞ぐ。服には穴が開き、血でどす黒く汚れていたが、ぺたぺたと触れても傷跡はなくなっていた。
無性にそれが嬉しく感じられる。なぜだかわからないが、ともかくほっとした。
エリーアス様はベギアフレイドと何か話しながら、しきりに下の様子を気にしている。ユストゥスは抱いたオリヴァー先輩を、ベギアフレイドから受け取った、ぼろぼろのマントで包んでいた。……洗脳を外すにしても、あのままの服装では可哀想だしな。
「ドゥシャン、他に人手はあるか」
呼ばれて、回復した大熊は、自身の体重で笠を折らないように気を付けながら、エリーアス様たちに近づく。
「ああ。何人か傭兵は押さえてある。そっちはどうだ」
「それなら……」
軋む笠の上でするような会話ではないが、何やら作戦のようなものを手早くまとめている様子があった。私も混ざろう。そう思った時だった。
「エリーアス様」
するりと私の隣を抜けて、見知らぬ……見知らぬ若者が、エリーアス様に近づく。その者は不思議なことに、私と同じくむっちりとした筋肉質の身体に、似合わないブラウスを身に着け、キュロットスカートを履き、くりくりとした癖毛に、丸い熊耳を頭に乗せていた。
誰だお前は。
発しようとした言葉は、背後から伸びてきた手に遮られて言葉にならない。青い肌に尖った爪。私の身体を抱き締めるように拘束しているというのに、その気配すら全く感じられない。まるで深い闇がそこにあるようで、私は総毛だった。身じろぎすらできない。
「クーちゃん、迎えに来たね」
さあ、行こう?と甘く誘う声は、いつもよりも低く、それでいて、私の心に毒のように染み入ってきた。
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