殺し屋 オブ バタフライエフェクト

会川 明

文字の大きさ
8 / 8

強くて優しい

しおりを挟む
 囚えられていた五人 の女性達を工場から出し、バンに乗せた。

 彼女達にはどうしたら癒やすことが出来るのか、いや、癒やすことなどそもそも可能なのかもわからない傷が出来てしまった。

 ほとんどの女性達が家に帰りたいと言った。だから、一人ずつ送り届けることにした。

 工場にあったお金を渡し、出来れば街を出たほうが良いと伝えた。何か協力出来ることがあったらとフリーのメールアドレスと緊急電話先を教えた。

 一人の女性は帰る場所がないと言った。

 クルスはしばらく自分の家に泊めることにした。

 おかしくなりすぎて、もはや歯止めがわからなかった。

 だが、同時に一日何善したところで贖いようのない罪を負っているのだという、重苦しい気持ちがクルスの心には起こっていた。

 彼女にさよならを言おうと思った。

 マスクとサングラスを取り、彼女を見つめた。

 言葉はなかなか出なかった。

 彼女が微笑んだ。

「初対面じゃ、なかったですね」

 もう何度目かもわからない衝撃をクルスは受けた。

 なんで覚えているのか?

 本当に、一瞬だけ顔を合わせたことがあるだけだった。

 一年ほど前のことだ。

 クルスがオフの日に街中を歩いていると、スーパーの前に人だかりが出来ていた。

 五十メートル位先のことだから、よくはわからなかったけれど、倒れた老婆を助けている人がいた。おそらく老婆は貧血でも起こしたのだろう。

 家の方向だからそっちに歩いていった。

 近づくにつれて、嫌な予感がした。

 人だかりになっているということは、多くの人が協力して助けることが出来る状態だった、ということだ。

 それなのに、周りにいる人々は誰も助けようとはしていなかった。

 それどころか、ニヤニヤと笑って眺めている者すらいた。

 その瞬間、クルスの幼い日の思い出が甦った。

 クルスは虐待を受け、学校にも行っていなかった。

 栄養状態も悪く、ふらふらと逃げるようにたどり着いたのは何故か駅だった。

 駅の構内に入り込み、端っこのほうにうずくまった。

 たくさんの大人達がいた。

 クルスのことを認識してもいた。

 しかし、彼らは目の端にクルスを認めても、一切の価値 も認めずに歩き去っていった。

 自分は社会にとって、そういう存在なのだとまざまざと刻みつけられた瞬間だった。

 悲しくはなかった。なんとなく知ってはいたから。

 しかし、胸の奥の深いところから急速に冷え込んでいくのを感じた。

 そんな数瞬のフラッシュバックに悪酔いしていると、老婆と助けようとしている人の真横を通り過ぎるところだった。

 ふと、助けようとしている人と瞳が合った。

 彼女は瞳を見開き、全力で助けてほしいと訴えていた。

 それは言葉より強くクルスに伝わってきた。

 だが、クルスの足が止まることはなかった。

 家に着いて、メシを食べて、寝た。

 次の日も、そのまた次の日も殺し屋としての日常が過ぎていった。

 名前も知らない人を物のように壊す日々が続いた。

 だが、彼女の見開かれた瞳を思い出さない日は無かった。

 初めは意味がわからなかった。なぜふと気づくと思い出しているのか。

 だが、じわじわと硬い土塊に水が染み込むように、浸透していった。

 そして、次第にクルスの頭に声が響くようになり、自身を苛むようになった。

『お前は名実共にゴミクズとなったのだ。

 あの場でもし彼女に協力出来ていたとしたら、そうではなかったかもしれない。 

 だが、出来なかった。

 お前は彼女の正しさに気圧されたのだ。

 手を伸ばすことが出来なかった。

 彼女はあの場で唯一正しい人だった。

 無関心や嘲笑の波にさらされようとも、ただ己の心に従い、正しさを為せる人だった。

 お前はせめて彼女の協力者になることも出来なかったのだ。

 それは自分の心に何も正しさを、罪悪感を持たぬ者。

 まさにゴミクズと呼ぶにふさわしいものではないか?

 お前は自制のない魑魅魍魎共と同じだ。

 お前もまた殺されて然るべきものの一つだ。

 いつか見た大人達とそう変わらない。

 無関心と同様、お前は悪そのものだ。

 この社会にとって有害だ。

 マイナスだ。

 なぜなら、それは彼女のように社会に芽生えたせっかくの正義を萎縮させてしまうのだから。

 彼女は正しいことをし続けられるだろうか?

 彼女は社会に裏切られたと感じたことだろう。

 彼女の見開かれた瞳は何を見ただろう?

 それはきっと、弱くて醜悪な、見るに耐えないものだ』

 社会はどんどんどんどん悪くなっていく。悪のバタフライエフェクトによって。

 大げさだろうか?

 そうは思わない。

 小さな悪でも多くの人が為せば社会は大きく悪い方向に行ってしまうだろう。

 無関心のような一見透明なものにこそ猛毒が含まれている。

 それは蓄積し、いつか深い傷を社会に負わせる。

 その傷が致命傷になったことは、今の世の中を見れば明らかだ。

 クルスは、はたと気づいた。

 だから、少しでも善いことをしようと、一日一善なんてことを沸いた頭で思いついたのだろうか。

 少しでも社会のためにという贖罪の気持ちで。

 許されるわけもないのに。

 彼女の正しさを宿した瞳が、何よりも鮮烈にクルスの冷え切って固まった心に亀裂を与えていたのだった。

 それはクルスにとって善のバタフライエフェクトだった。

「私、人の顔は一度見たら忘れないんです」

 人が結局好きなんですかね、彼女が少しはにかむように言う。

 その微笑みには自嘲が含まれていた。

 こんな社会で他人に手を差し伸べることは、利害を無視した危険な行為だと理解っているのだ。

 きっと、それは心無い人々にとっては馬鹿に見えることだろう。

 クルスは自然と微笑みを返していた。

 なんて、強くて優しい人だろう。

 きっと伸ばした手は、弱くて醜悪な者達に何度も傷つけられている。

 それでも彼女は手を伸ばすことを止めなかった。

 それは今日のことからも明らかだった。

「私の名前は風間花です。名前、教えてくれますか?」

 なんて、美しく心に響いてくる名前だろう。

 クルスは突き放さなければいけないという、頭に響いてくる声とは裏腹に、瞬時に応えていた。

「クルス、来栖楓です」

 もうぐちゃぐちゃだ。

 狂っている。

 おかしくなっている。

 だけど、まっすぐに見つめてくる彼女の名前を知り、そして知られることがこんなに嬉しいことだなんて思いもよ
らなかった。

「来栖楓さん」

 花は目をつむり、まるで大切なものを胸に収めるようにつぶやいた。

 そして、目を開けて微笑んだ。

「憶えました。もう忘れません」

 来栖は我知らず、涙を流していた。

 ゴミクズじゃないって、対等な人間なんだって、産まれて初めて言ってもらえた気がした。

 花は驚きつつも、何も言わずに来栖の手に触れて、初めはためらいがちに、だがその小さな手で優しく包んだ。

 傷だらけの手で、冷えて固まった心を温めた。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

妻への最後の手紙

中七七三
ライト文芸
生きることに疲れた夫が妻へ送った最後の手紙の話。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

✿ 私は彼のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい 

設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀ 結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。 結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。 それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて しなかった。 呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。 それなのに、私と別れたくないなんて信じられない 世迷言を言ってくる夫。 だめだめ、信用できないからね~。 さようなら。 *******.✿..✿.******* ◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才   会社員 ◇ 日比野ひまり 32才 ◇ 石田唯    29才          滉星の同僚 ◇新堂冬也    25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社) 2025.4.11 完結 25649字 

処理中です...