野獣公爵の執愛

ゆき真白

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第三章

二十七

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 人々の足音。話し声。がやがやと騒がしい音が遠くから聞こえる。
 薄っすらと目を開け、夢うつつな状態でぼんやりとしていたシーラは、外の騒音に徐々に意識をはっきりとさせていく。

(昨日は何の音もしなかったのに……)

 何か問題でもあったのだろうか、と上体を起こすと、遠慮がちに扉がノックされる。

「――……」

(声が……)

 はい、と返事をしようとしたものの、寝起きで声がかすれ、か細い声しか出なかった。きょろりと辺りを見渡し、水差しを見つけると、グラスに水を注いでそれを飲み込んでいく。その最中、もう一度ノックが響き、シーラは慌ててグラスの中を飲み干した。

「っはい、どうぞ!」

 ナイトガウンを羽織りながら扉に向け声を張ると、「失礼します」という声とともに遠慮がちに扉が開かれた。お仕着せを着た中年の女性が、扉の隙間から申し訳なさそうに姿を現す。

「お申し付けを破り大変申し訳ございません、東部公爵夫人。少々問題がございまして……」

 顔色悪くそう告げた女性に、シーラは小首を傾げる。

「大丈夫よ。問題って?」
「それが……東部公爵閣下から、誰が来ても通すなというご下命を賜っていたのですが……現在、門前に南部公爵閣下がいらっしゃっていて……」
「南部公爵様が……!?」

 驚き声を上げれば、女性は勢いよく頭を下げた。

「何人もお通しできないとお伝えしたのですが、どうしても公爵夫人にお会いしたいと……!」
「えっ、わ、わたしに!?」

(ジルじゃなくて!?)

「これ以上私どもでは足止めも難しく、公爵夫人にご対応いただけないでしょうか……!」

 どこか切羽詰まったような女性の言葉に、呆然としていたシーラははっと我に返ると、扉を開け放つ。部屋の近くには、困った様子の使用人が他にも数人いた。慌てて頭を下げようとする彼女たちに待ったをかけると、シーラは中年の女性へと目を向ける。

「南部公爵様を中にお通しして。それから手が空いている人には着替えを手伝ってもらいたいわ。持ってきたドレスはどこにしまわれているのかしら?」

 シーラの言葉に中年の女性は安堵したような表情を浮かべると、近くにいた他の使用人を階下へと向かわせた。

「お召し物はこちらに。ご案内いたします」
「ええ。お願いするわ」

 公爵夫人らしく鷹揚に頷いてみせたものの、頭の中は嵐が吹き荒れているかのように混乱し、心中は少しも穏やかではなかった。





(よかった。ワンピースとか平服のデイドレスだけじゃなくて、きちんとしたアフタヌーンドレスもあって)

 ジルヴィウスと結婚してからこうした正装を着たのは初めてだな、と思いながら、シーラは自身の薄黄色のドレスを見下ろす。装飾はなくシンプルなドレスだが、刺繍の入ったスカートが二段になっており、上品さでありながら可愛らしくもあった。

(……今まで気にしてなかったけど、ジル、普段はどうやってわたしの服頼んでるんだろう)

 何も持たずに来い、という指示に従い嫁いできたため、ドレスや普段着ているワンピース、下着類に至るまで、シーラが身に着けるものはすべてジルヴィウスが準備してくれていた。
 これまで深く考えてこなかったが、彼が帰って来たら尋ねてみよう、と小さく笑む。

(ジルの好みで準備してくれてるのかな? わたしに似合うかどうかを考えてくれてるのかな? どっちにしろ……)

 初めて着るドレスはジルヴィウスに最初に見てほしかったな、と思いながら現実逃避をやめる。
 緊張を抑えようとまったく関係ないことを考えていたが、招かれざる客が待つ部屋の前までやって来ると、さすがに動悸がする。
 シーラは胸に手を当て、深く息を吸い込み、ゆっくりすべてを吐き出すと、ずっと付き添ってくれている中年の女性に目配せした。女性はシーラに深く頷き返すと、扉をノックする。

「東部公爵夫人のお越しでございます」

 女性はそう告げると、扉を開けようと手を伸ばす。しかし彼女が扉を開けるより早く、両開きの扉が大きく開かれた。
 扉を開けたのは南部公爵――アデライドで、彼女はシーラを見ると嬉しそうに相好を崩した。

「まあっシーラちゃん。待ってたのよ。シーラちゃんとお話ししたくて会いに来ちゃったわ。ねえ、西部で人気のお菓子をお土産に持って来たの。一緒に食べましょう?」

 親しげに体を寄せられ、シーラは体を硬直させる。扉が開いたら優雅に室内に入り、アデライドに挨拶するつもりだったのに、すっかり出鼻をくじかれてしまった。
 それに、香水だろうか。彼女から芳醇な甘やかな香りが漂い、少しだけくらりと眩暈がした。

「ね、一緒にお茶を飲みましょう? シーラちゃん。二人っきりで、ね?」

 耳元でそう囁かれ、気が付けば彼女の言葉に頷いていた。我に返ったのは、彼女は使用人に指示を出す声を聞いたときだ。

「それじゃあ、貴女たち準備をお願い。終わったら下がっていいわ」

 慣れたように使用人に指示を出すアデライド肩を押されながら、シーラは混乱したように視線を彷徨わせる。

(えっ、あれっ……わたしなんで頷いて……そ、そんなつもりじゃなかったのに……)

 アデライドが自分の手に負えない人物であることはわかっていた。だから、ジルヴィウスの不在を言い訳に早々に帰ってもらうつもりだったのだ。
 それなのに、気が付けば彼女と隣り合って座ることになっていた。

「あ、あの、わたしは向かい側に……」
「あら。そんな寂しいこと言わないで。ね?」

 腕に絡み付いたアデライドが豊満な胸を押し付けながら囁く。赤紫色の瞳を細めながら妖艶に笑む彼女の姿に、シーラはじわりと頬を染めた。
 同じ女でも見惚れてしまうくらい、彼女は美しかった。

(――って、だめだめ……! また流されちゃうところだった!)

 纏わりつくような甘い香りを振り切るように頭を横に振ると、シーラは彼女と距離を取るように頭を引く。

「あの、南部公爵様――」
「アデライド。アデライドと呼んで、シーラちゃん」

 赤い口紅が引かれた艶やかな口元に、彼女は緩い笑みを浮かべる。魅了するような微笑みにまた頷きそうになってしまったシーラは、爪を食い込ませるように自らの手を握り込むと「いいえ」と真っ直ぐ彼女を見返す。

「守るべき礼儀はありますから。どうかご容赦くださいませ」

 公爵夫人らしい品を湛えながら、それでも少し隙を見せてシーラは困ったように微笑む。
 彼女は生まれながらの高位貴族で、王国を支える公爵家の当主だ。そんな彼女に真正面から淑女然とした対応をしても、うまいことやり込められてしまう可能性が高い。
 自分より社交に慣れた人を相手にする場合、多少隙を見せて侮らせ、相手を油断させるくらいがちょうどいいのだと、過去の社交活動で学んでいた。

(まぁ、正直もう流されかけちゃってるけど……)

 今からでも遅くないだろう、と表情を変えないまま、シーラは細く息を吐き出す。
 アデライドは、そんなシーラをただただじっと見つめていた。
 威圧するでも、品定めするでもない、ただ純粋に観察するような眼差しだ。

(な、なに……?)

 何とも言えない居心地の悪さを感じながら、体ごと距離を取ろうと少し移動すると、彼女にがっしり腰を掴まれた。

(ひぃっ……!?)

 内心怯えつつ、不思議そうに微笑を返せば、アデライドは鼻先が触れるほど顔を近付けてくる。
 間近で見る赤紫色の瞳は、子どものように煌めいていた。
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