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第二章
キティのお願い(一)
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「……外に働きに出たいんだが」
キティと共に暮らし始めて早十日。食事のとき以外は顔を合わせず、付かず離れずの微妙な距離感を保っていたある日の朝、キティが下を向いたままそう呟いた。
(ずっとそわそわしていると思ったら……)
それを言いたかったのか、とアザレアは口の中のものを飲み込む。
一度水で口の中をさっぱりとさせると、穏やかな微笑を彼へと向けた。
「もちろん構わないよ。したい仕事でもあるのかな」
「そういうのは……別にない」
「そういえば、フィンに騎士団に誘われて――」
「騎士はだめだ」
アザレアの言葉を遮るように、語気を強めてそう言い放ったキティは、はっとしたように口を噤んだ。
(過去に騎士と何かあったのか……もしくは彼自身が騎士だったりしたのかな)
そこまで考えて、アザレアは軽く頭を振る。
深く関わらないでおこうと思っているのに、ふとしたときにこうして彼の過去について考えてしまう。
いい加減気を付けないと、と思いながら、アザレアはにこやかに続けた。
「それなら、労働組合に行こうか」
「労働組合……?」
「仕事を紹介してくれる場所だよ。そこでなら何かしらきみに合う仕事が見つかると思う。食事が終わったらすぐに行く?」
「……場所を教えてもらえれば、一人で行く」
「構わないよ、と言ってあげたいところだけれど、わたしと一緒のほうがいいと思うよ。きみの迷惑になるようなことはしないから、一緒に行こう。食事が終わり次第で構わないかな?」
「……ああ」
特に不服そうにすることもなく、キティは小さく頷いた。アザレアもそれに頷き返すと、二人揃って食事を再開させる。
それ以降会話はなく、食器同士が当たる小さな音だけが鳴る。
アザレアも静かに食事を続けながら、ちらりとキティを窺った。
(……所作が綺麗だと思っていたけれど、彼はもしかしたら貴族の生まれなのかもしれないね。労働組合を知らなかったことを考えると、きっとルーザインより東側の国の出身だろうね)
彼の過去を詮索つもりはないが、これは騎士団に伝えておいたほうがいいだろう。
彼自身に戻りたがっている様子はないが、彼の生家から捜索依頼が出ている可能性がある。もし他国の貴族から誘拐されたと訴えられてしまえば、この国に迷惑をかけてしまうことになる。
(魔女に対して無知、労働組合を知らない、ということを考えると、ルーザインを挟んだ向かい側、ニクスディアあたりが怪しいかな。とりあえず、捜索依頼が出ていないかだけでもフィンに調べてもらおう)
そのくらいはいいだろうと自分に言い聞かせるように、アザレアは密かに決意した。
「こんにちは。テッドはいるかな」
キティを伴って街にある労働組合の本部まで行ったアザレアは、受付で被っていたフードを脱ぐ。
アザレアの鮮やかな赤い髪が露わになると、受付の職員だけでなく、組合に仕事を探しに来ていた者たちも驚いたように目を見開いた。
「魔女様……!?」
「救国の魔女様だ……!」
「すごい、初めて見た……!」
人々の囁く声を聞きながら、呆けたように自分を見上げる受付の男に、アザレアは淡く笑む。
「急に来てしまったし、テッドはいないかな」
「いっ、いいえ! いらっしゃいます! もしいなくてもすぐに呼びつけますので大丈夫です!」
「ふふ、それは大丈夫なのかな」
アザレアの笑みに、受付の男がわずかに頬を染める。その反応に、アザレアは少し困ったように眉尻を下げた。
(……こういう反応は久しぶりだね)
昔のようにまた痴情のもつれに巻き込まれたら大変だ、とアザレアはフードを被り直す。それで受付の男は我に返ったのか、慌てたように立ち上がった。
「で、では、奥へご案内しますね。それで……」
ちらり、とアザレアの後ろにいるキティに目を向けた男に、アザレアは「ああ」と事務的に笑いかけた。
「わたしの連れだから、当然同席するよ」
「あ……かしこまりました」
男がどこか残念そうにアザレアを窺ったことに気付かないふりをしながら、ただ黙って男の後をついて行った。
受付の男に案内された応接室は、質素なものの一つ一つの調度品の質が良く、とても上品に見えた。奥の棚は意匠が素晴らしく、メダリオン柄の絨毯も上等なものだ。けれど、それら以上にアザレアの心を惹きつけたのは、中央にあるテーブルだった。
黒い革張りのソファの間に置かれているテーブルの天板には一枚板が使われ、側面は幹の複雑な曲線を残している。
(樹皮を残したままというのもいいね)
案内されるがままキティと横並びで座ると、アザレアはしげしげとテーブルを観察する。
もう少し小さいものでも作ってみようか、と考えていると、外から慌ただしい足音が聞こえてくる。
大きな音を立てて扉を開けたテッドは、二人の姿を見て大きく目を見開いた。
「やあ、テッド、お邪魔しているよ」
フードを取り、にこやかに笑めば、テッドはぼさぼさの頭をかきながら、深く息を吐き出した。
「『やあ』じゃありませんよ。事前に連絡してくれれば俺が出迎えましたのに」
「急にごめんね、テッド」
「いえ、貴女に来ていただけるのは嬉しいんですが……」
大股で近付いて来たテッドは、向かいのソファにどかりと腰掛けると、アザレアの隣に座るキティに目を向けた。
「……あの日、貴女が競り落とした男ですよね。何故、彼をここへ?」
「彼に仕事を紹介してほしくてね」
「仕事ですか?」
テッドは上から下まで、観察するようにキティを見ると、彼を顎でしゃくった。
「あんた、前職は?」
テッドの質問に、キティは固く口を閉じて押し黙る。
「テッド。この組合内で彼にできる仕事はないかな」
二人の間に割って入るようにそう告げれば、テッドは一拍置いて、大きく息を吐き出した。
「なるほど。だから貴女が同行したわけですか」
テッドは何かを考えるように、不精髭の生えた顎をかくと、じろりとキティを見る。
「喋れないわけじゃないよな?」
「……ああ」
「読み書きは?」
「できる」
「腕っぷしに自信は?」
「……」
再び固く口を閉じたキティに、テッドは呆れたように溜息をついた。
キティと共に暮らし始めて早十日。食事のとき以外は顔を合わせず、付かず離れずの微妙な距離感を保っていたある日の朝、キティが下を向いたままそう呟いた。
(ずっとそわそわしていると思ったら……)
それを言いたかったのか、とアザレアは口の中のものを飲み込む。
一度水で口の中をさっぱりとさせると、穏やかな微笑を彼へと向けた。
「もちろん構わないよ。したい仕事でもあるのかな」
「そういうのは……別にない」
「そういえば、フィンに騎士団に誘われて――」
「騎士はだめだ」
アザレアの言葉を遮るように、語気を強めてそう言い放ったキティは、はっとしたように口を噤んだ。
(過去に騎士と何かあったのか……もしくは彼自身が騎士だったりしたのかな)
そこまで考えて、アザレアは軽く頭を振る。
深く関わらないでおこうと思っているのに、ふとしたときにこうして彼の過去について考えてしまう。
いい加減気を付けないと、と思いながら、アザレアはにこやかに続けた。
「それなら、労働組合に行こうか」
「労働組合……?」
「仕事を紹介してくれる場所だよ。そこでなら何かしらきみに合う仕事が見つかると思う。食事が終わったらすぐに行く?」
「……場所を教えてもらえれば、一人で行く」
「構わないよ、と言ってあげたいところだけれど、わたしと一緒のほうがいいと思うよ。きみの迷惑になるようなことはしないから、一緒に行こう。食事が終わり次第で構わないかな?」
「……ああ」
特に不服そうにすることもなく、キティは小さく頷いた。アザレアもそれに頷き返すと、二人揃って食事を再開させる。
それ以降会話はなく、食器同士が当たる小さな音だけが鳴る。
アザレアも静かに食事を続けながら、ちらりとキティを窺った。
(……所作が綺麗だと思っていたけれど、彼はもしかしたら貴族の生まれなのかもしれないね。労働組合を知らなかったことを考えると、きっとルーザインより東側の国の出身だろうね)
彼の過去を詮索つもりはないが、これは騎士団に伝えておいたほうがいいだろう。
彼自身に戻りたがっている様子はないが、彼の生家から捜索依頼が出ている可能性がある。もし他国の貴族から誘拐されたと訴えられてしまえば、この国に迷惑をかけてしまうことになる。
(魔女に対して無知、労働組合を知らない、ということを考えると、ルーザインを挟んだ向かい側、ニクスディアあたりが怪しいかな。とりあえず、捜索依頼が出ていないかだけでもフィンに調べてもらおう)
そのくらいはいいだろうと自分に言い聞かせるように、アザレアは密かに決意した。
「こんにちは。テッドはいるかな」
キティを伴って街にある労働組合の本部まで行ったアザレアは、受付で被っていたフードを脱ぐ。
アザレアの鮮やかな赤い髪が露わになると、受付の職員だけでなく、組合に仕事を探しに来ていた者たちも驚いたように目を見開いた。
「魔女様……!?」
「救国の魔女様だ……!」
「すごい、初めて見た……!」
人々の囁く声を聞きながら、呆けたように自分を見上げる受付の男に、アザレアは淡く笑む。
「急に来てしまったし、テッドはいないかな」
「いっ、いいえ! いらっしゃいます! もしいなくてもすぐに呼びつけますので大丈夫です!」
「ふふ、それは大丈夫なのかな」
アザレアの笑みに、受付の男がわずかに頬を染める。その反応に、アザレアは少し困ったように眉尻を下げた。
(……こういう反応は久しぶりだね)
昔のようにまた痴情のもつれに巻き込まれたら大変だ、とアザレアはフードを被り直す。それで受付の男は我に返ったのか、慌てたように立ち上がった。
「で、では、奥へご案内しますね。それで……」
ちらり、とアザレアの後ろにいるキティに目を向けた男に、アザレアは「ああ」と事務的に笑いかけた。
「わたしの連れだから、当然同席するよ」
「あ……かしこまりました」
男がどこか残念そうにアザレアを窺ったことに気付かないふりをしながら、ただ黙って男の後をついて行った。
受付の男に案内された応接室は、質素なものの一つ一つの調度品の質が良く、とても上品に見えた。奥の棚は意匠が素晴らしく、メダリオン柄の絨毯も上等なものだ。けれど、それら以上にアザレアの心を惹きつけたのは、中央にあるテーブルだった。
黒い革張りのソファの間に置かれているテーブルの天板には一枚板が使われ、側面は幹の複雑な曲線を残している。
(樹皮を残したままというのもいいね)
案内されるがままキティと横並びで座ると、アザレアはしげしげとテーブルを観察する。
もう少し小さいものでも作ってみようか、と考えていると、外から慌ただしい足音が聞こえてくる。
大きな音を立てて扉を開けたテッドは、二人の姿を見て大きく目を見開いた。
「やあ、テッド、お邪魔しているよ」
フードを取り、にこやかに笑めば、テッドはぼさぼさの頭をかきながら、深く息を吐き出した。
「『やあ』じゃありませんよ。事前に連絡してくれれば俺が出迎えましたのに」
「急にごめんね、テッド」
「いえ、貴女に来ていただけるのは嬉しいんですが……」
大股で近付いて来たテッドは、向かいのソファにどかりと腰掛けると、アザレアの隣に座るキティに目を向けた。
「……あの日、貴女が競り落とした男ですよね。何故、彼をここへ?」
「彼に仕事を紹介してほしくてね」
「仕事ですか?」
テッドは上から下まで、観察するようにキティを見ると、彼を顎でしゃくった。
「あんた、前職は?」
テッドの質問に、キティは固く口を閉じて押し黙る。
「テッド。この組合内で彼にできる仕事はないかな」
二人の間に割って入るようにそう告げれば、テッドは一拍置いて、大きく息を吐き出した。
「なるほど。だから貴女が同行したわけですか」
テッドは何かを考えるように、不精髭の生えた顎をかくと、じろりとキティを見る。
「喋れないわけじゃないよな?」
「……ああ」
「読み書きは?」
「できる」
「腕っぷしに自信は?」
「……」
再び固く口を閉じたキティに、テッドは呆れたように溜息をついた。
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