アザレアの最愛 ~長寿の魔女は運命の番と出会い「真の愛」を知る~

ゆき真白

文字の大きさ
24 / 28
第五章

こぼれる想い

しおりを挟む
 彼は怖い思いをしたのだから気遣わなければ。
「ごめんね」と謝って、「大丈夫」と言われなければ。
 そう思うのに、すぐに口を開くことができなかった。
 彼のことが心配で、彼を酷い目に遭わせたセレナが許せなくて、彼に拒絶されたことが悲しい。
 頭の中で様々な感情が渦巻いているのを感じながら、とにかく何かを言わなければと、無理やり口を開ける。けれど、出てくる言葉はなく、代わりに涙がぽろりとこぼれ落ちた。
 それに、キティだけでなくアザレアも驚いたように目を見開く。

「……おい」

 手を伸ばしたキティに、今度はアザレアがびくりと体を揺らし、一歩下がる。
 まさか、涙が出てくるなんて思わなかった。
 今世では初めての経験だ。
 視界はどんどん歪み、ぽたぽたを頬を濡らしていく。
 鼻の奥が詰まって息苦しくて、開けた口からは荒い呼吸が繰り返された。

(どうしよう……)

 今すぐ泣き止みたいのに、涙の止め方がわからない。

「っふ、ぅ」

 堪らず嗚咽を漏らすと、座り込んでいたキティがおもむろに立ち上がった。そのまま、彼は一歩一歩、ゆっくりとアザレアに近付いてくる。
 彼が近付いてくるたび、アザレアは一歩後退した。
 本当はすぐにでも外に飛び出してしまいたかったが、魔力を大量に失ってしまったせいか、泣いているせいか、その余力と瞬発力が今のアザレアにはなかった。

「……っ」

 三歩ほど下がったところで、アザレアの体はテーブルにぶつかった。もうそれ以上下がることもできず、アザレアはただキティを見つめ返すことしかできない。
 窺うように、慎重に近付いてきたキティは、片手をそっとアザレアの頬へと伸ばしてくる。
 アザレアがそれにぴくりと体を揺らせば、キティは一瞬動きを止めた。けれどすぐに手を伸ばし、涙が流れ続けるアザレアの目尻を指の背で優しく撫でる。
 次に親指の腹で、その次は手のひら全体で、キティは頬を拭う。

 彼はさらに一歩近付くと、アザレアを閉じ込めるように、もう一方の手をテーブルについた。
 ほの暗いなかで、彼の若緑色の瞳がやけに輝いているように見えた。
 こぼれ落ちるものをそのままに、吸い込まれるように彼をじっと見上げる。
 彼の瞳に、自分が映っている。それをはっきりと視認した次の瞬間には、彼の唇が濡れた目尻に触れていた。
 彼の薄い唇が、涙の跡を追うように下へを移動する。
 繰り返される淡い口付けと、肌を掠める温かな吐息に、アザレアはきつく目を閉じた。

「……どい」
「ん……?」
「……いつか、わたしの前からいなくなるのに……こんな風に温もりを覚えさせるなんてひどい……」

 彼の胸を軽く押し、顔を俯かせる。すん、と鼻を啜れば、キティはアザレアの腰を掴んで、テーブルへと座らせた。
 キティはそのままアザレアを抱き締め、髪を梳くように後頭部を撫でる。

「運命の番は生まれ変わるんだろ? 俺が死んだって、同じ魂を持つ人間が生まれるんじゃなかったか?」

 それは、彼と初めて会った日にアザレアが告げたことだった。
 いつか彼がいなくなったとしても、彼と同じ魂を持った“運命の番”が必ず現れる。それは不変の事実だ。

(でも……)

「その人間は、きみじゃない」

 アザレアは一つ息を吐くと、そっと瞼を上げる。彼は背が高いため、視線の先はちょうど肩あたりだった。アザレアはもう一度目を閉じると、彼の肩に額を乗せる。

「わたしはきっと、新しく出会った“運命の番”を愛するだろう。魔女が番を愛するのは、息を吸うのと同じくらい自然で、当たり前のことだから。けれど……」

 彼がいなくなったあとのことは、何度も想像した。いつか運命の番に出会ったあとのことも、考えたことがある。
 何度考えても、辿り着く想いはいつも同じだ。

「愛しはしても、恋い慕うことはない。……警戒心が強くて、それなのに他人を放っておけなくて……ただきみが過ごしやすくなればいいと思って口にした取ってつけたような約束を、律儀に守り続けてくれる。真面目で、働き者で、人を気遣わずにはいられない。そんなきみを……あなたを、わたしは好きになったから」

 閉じた目から、再びぽろりと涙がこぼれ落ちる。
 それが彼のシャツを濡らしていることには気付いたが、顔を上げることはできなかった。

「この気持ちの始まりは、“運命の番”への愛だ。けれど、あなたを恋しく想う気持ちは、番だからと抱いたものじゃない。一緒に過ごすなかで、ただ純粋に、あなた自身に惹かれて芽生えたものだから」

 伝える気のなかった想いは、思いの外すんなりと口から出てきた。けれど、それも当然なような気がする。
 一人で抱え込むには、気持ちが大きくなりすぎていたのだ。

「……次に出会う奴のことを好きになる可能性だってあるだろ?」

 責めるでも、蔑むでもなく、ただ静かに問うキティに、アザレアは、ふ、と口元を綻ばせる。それから緩やかに首を横に振ると、そっと顔を上げた。
 それに合わせ、彼も撫でる手を止める。抱き締められているのはそのままに、至近距離で彼と見つめ合う。
 どこまでも真摯な若緑色の瞳を見て、揺れていた視界がさらに歪んでいく。
 彼以外はあり得ないと、アザレア自身の心が叫んでいた。

「ないよ。あなたのことを思い出したり、あなたとの共通点や違いを見つけたりしてしまうだろうけど、恋はしない。他の番に恋をすることは絶対にないよ。……あなたを愛さないのと、同じように」

 言いながら顔が歪み、結局また俯いてしまう。
 彼のことを好きになってしまった。
 これはもう、どうしようもないことだった。
 水かさが増すように日々少しずつ増えていって、限界を超えてしまった。明確な何かがあったわけではなく、過ぎ去る日々の中で、本当にただ彼への好意が積み重なっていったのだ。
 いろいろと言い訳を並べてきたが、もう認めるしかない。
 彼を愛さないと宣言したのは、アザレアなりの最後の悪足掻きだった。

「……どうして愛さないんだ?」

 低く落ち着いた声から発されたのは、ひどく残酷な問いかけだった。
 理由なんて、彼が一番よくわかっているだろうに。

(その答えを、わたしに言わせようとするなんて……)

 今まで知り合ってきた人間の中で、彼が一番ひどい人間のように思えた。
 反発しようと口を開けたものの、溺れたように息が苦しくて、嗚咽しか吐き出すことができない。
 両手で顔を覆い、ひくりとしゃくり上げれば、弱い力で肩を押された。やんわりと手首を掴まれ、アザレアはいやいやと首を横に振る。
 きっと、今自分はとてもひどい顔をしている。それを彼に見られたくなかったし、これ以上余計なことを言いたくもない。
 頑なにその姿勢のままでいると、少しして手首を解放された。それに安堵すると同時に、諦められてしまったことに寂しさを感じてしまう。
 何て身勝手なのだろう、と思っていると、不意に彼の指先が耳の縁を掠める。垂れる髪を耳にかけたのだ、と気付いた瞬間、指ではない何かが耳に触れた。

「……アザレア」
「――っ」

 耳にかかる温かな吐息に、直接吹き込むような声。耳に触れたものが彼の唇だと理解するのに、それほど時間はかからなかった。
 しかも、それだけではない。
 彼は、アザレアの名を呼んだのだ。
 誰かに名前を呼ばれるなんて、何百年ぶりのことだろう。
 考えるよりも先に、体が動いていた。顔を覆っていた手を外し、彼へと目を向ければ、キティはわずかに目尻を下げ、そっとアザレアの唇に口付けた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

兄様達の愛が止まりません!

恋愛
五歳の時、私と兄は父の兄である叔父に助けられた。 そう、私達の両親がニ歳の時事故で亡くなった途端、親類に屋敷を乗っ取られて、離れに閉じ込められた。 屋敷に勤めてくれていた者達はほぼ全員解雇され、一部残された者が密かに私達を庇ってくれていたのだ。 やがて、領内や屋敷周辺に魔物や魔獣被害が出だし、私と兄、そして唯一の保護をしてくれた侍女のみとなり、死の危険性があると心配した者が叔父に助けを求めてくれた。 無事に保護された私達は、叔父が全力で守るからと連れ出し、養子にしてくれたのだ。 叔父の家には二人の兄がいた。 そこで、私は思い出したんだ。双子の兄が時折話していた不思議な話と、何故か自分に映像に流れて来た不思議な世界を、そして、私は…

暴君幼なじみは逃がしてくれない~囚われ愛は深く濃く

なかな悠桃
恋愛
暴君な溺愛幼なじみに振り回される女の子のお話。 ※誤字脱字はご了承くださいm(__)m

ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました

大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――

男嫌いな王女と、帰ってきた筆頭魔術師様の『執着的指導』 ~魔道具は大人の玩具じゃありません~

花虎
恋愛
魔術大国カリューノスの現国王の末っ子である第一王女エレノアは、その見た目から妖精姫と呼ばれ、可愛がられていた。  だが、10歳の頃男の家庭教師に誘拐されかけたことをきっかけに大人の男嫌いとなってしまう。そんなエレノアの遊び相手として送り込まれた美少女がいた。……けれどその正体は、兄王子の親友だった。  エレノアは彼を気に入り、嫌がるのもかまわずいたずらまがいにちょっかいをかけていた。けれど、いつの間にか彼はエレノアの前から去り、エレノアも誘拐の恐ろしい記憶を封印すると共に少年を忘れていく。  そんなエレノアの前に、可愛がっていた男の子が八年越しに大人になって再び現れた。 「やっと、あなたに復讐できる」 歪んだ復讐心と執着で魔道具を使ってエレノアに快楽責めを仕掛けてくる美形の宮廷魔術師リアン。  彼の真意は一体どこにあるのか……わからないままエレノアは彼に惹かれていく。 過去の出来事で男嫌いとなり引きこもりになってしまった王女(18)×王女に執着するヤンデレ天才宮廷魔術師(21)のラブコメです。 ※ムーンライトノベルにも掲載しております。

【連載版】 極秘任務で使いたいから自白剤を作ってくれと言った近衛騎士団長が自分語りをしてくる件について

紬あおい
恋愛
侯爵家の落ちこぼれ二女リンネは、唯一の取り柄である薬の調合を活かし、皇宮の薬師部屋で下っ端として働いていた。 そんなある日、近衛騎士団長リースハルトから直々の依頼で、自白剤を作ることになった。 しかし、極秘任務の筈なのに、リースハルトは切々と自分語りを始め、おかしなことに…? タイトルが気に入っていたので、2025年8月15日に公開した短編を、中編〜長編用に全編改稿します。 こちら単独でお読みいただけます。

世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない

二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。 ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。 当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。 だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。 ――君の××××、触らせてもらえないだろうか?

処理中です...