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第5話 おかしくなっていく姉

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「へえ、それで今日はお弁当じゃないんだ」

 彩寧《あやね》はクリームパスタを食べながらうなずいた。

「うん。なんか一人分じゃ作る気になんなくってさ。あーあ、薬も持たずに出て行っちゃうし、どこに行ったんだかなぁ……」

 僕は困惑した表情のまま味噌ラーメンをつついている。全く食欲のない僕は目の前の味噌ラーメンを持て余していた。

「ああ、それは心配ね」

 彩寧はあまり気のない口ぶりだった。そして彼女の興味は他にあったようだ。

「ね、そのお話の内容ってもしかして……」

「もしかして?」

 僕は身を乗り出す。

「男の人のお話だったんじゃないかしら!」

「なんだ……」

 僕は一気に興味を失った。それはない。絶対ない。だって姉さんは――
 僕の考えを見透かしたのか、ニヤニヤしながら彩寧は実に楽しそうな顔で僕に説教を始めた。

「お姉さんだっていつまでも弟べったりのままじゃないのよ。いつか飛び立っていくの。旅立っていくの。わかる?」

「そんな。姉さんに限って――」

 僕は引きつった表情でつぶやく。
 彼女はしたり顔で僕に言う。

「ま、ゆーちゃんとしてはそう思いたいんでしょうけどねえ」

「なにおう」

 少しむかっときた僕は、どや顔の彩寧としばしにらみ合うが、背を丸めて学食の椅子の背もたれに寄りかかる。彩寧のいうことはしごくもっともだ。姉だっていつかは僕のもとから離れなくてはいけない。むしろそうでないとおかしいのはよくわかってる。だけど、僕の中は急に寂しさでいっぱいになった。姉が僕から離れてほかの男性と一緒になるだなんて考えたら、なんだかひどく惨めで寂しい気持ちになってきた。理不尽な敗北感や嫉妬心すら芽生える。

「ほんとだめだな僕は。ごめん」

「いいのよ、ゆーちゃんがだめなのはよくわかってるし。今は複雑な時期なのよね。青少年っ!」

 彼女は珍しく僕をからかうように身を乗り出して僕の肩をばんばん叩いて笑った。

「委員長まで僕のこと馬鹿にしてっ……」

「委員長は止めて」

 彼女の眉間にしわが寄ってちょっと怖い顔になる。命令口調になった時の姉にどことなく似ていて好きな顔だ。
 僕は紙のカップに満たされた緑茶を一気に飲み干した。時間が経っていたそれはすっかり冷めてなぜかほんのり苦い味がした。

 その日、姉は僕より早く帰宅していた。びっくりしている僕を尻目に、その表情は菩薩のように柔和な笑顔だった。

「あおかえりゆーくんっ、今日アジフライ作ったんだー。好きでしょ。食べる?」

「お、おう……」

 テーブルにはすでに晩ご飯の用意がされていた。そこには立派なアジフライが並んでいた。僕の好きな物知ってたんだ。僕はアジフライと練り物とカレイの唐揚げの甘酢あんがけが好物のTOP3だった。僕が定位置に座ると姉も定位置、僕の目の前に座る。
 しかし、食事中僕はかなり不機嫌だった。いきなりの家出に対する一言とかはないんか。心配したんだぞ。何そんな満ち足りた笑顔をしてるんだ。こんな手料理になんか騙されないぞ。すごい美味いんだけど、アジフライ。

「あのさ……」

「ん?」

 ちょっと深刻モードの僕にとぼけた顔で返してくる姉。頬っぺたにアジフライのパン粉がついているのが可愛い。いや、そうじゃなくて。

「心配したんだから、な……」

「えっ」

 アジフライを咥えたまま不意打ちを食らって大きな眼を更に大きく見開いた姉の顔も可愛い。いやいやいや、何を考えているんだ。今日の僕はどうかしてる。

「ん、ありがと」

 顔を少し赤らめ、眼を伏せがちにして照れた顔になる姉。どうしよう、本当に可愛いんだが。

「でもね」

 顔を紅潮させた姉がこっちを向く。

「もう大丈夫だから。怒ってごめんね」

 満面の笑みを見せる姉。その顔はなぜか可愛くなかった。なんと言えばいいだろう、冷ややかで不吉な一陣の風が僕の胸の内を吹き抜けていったような感じがした。それはそこはかとない不安。何だろう、僕には悪い予感しかしなかった。

「大丈夫? 大丈夫ってなに?」

「だからもう心配いらないよっ、って意味」

 なぜか僕の不安感を更にあおる不思議な笑顔で姉は答えた。

「そ、それってどういう事?」

「昨日話した事」

 昨日話した事? あの姉を怒らせる原因になったあれか? どうする、僕内容を全然憶えてないぞ。

「あー、えーと、どんな話だったけ……」

「ふふっ、教えないっ」

「うっ」

「食事中に参考書とか読んでるからそんなことになるんだよ。お食事中はちゃんと団らんしようね」

 すごいぞ、姉さんが正論を言ってる……

「ま、また気が向いたら話すから、その時は聞いてね。にひひひひ」

「あ、ああ……」

 僕は変な笑みを浮かべる姉に圧倒されてこの夜はこれ以上のことが聞けなかった。が、この日を境に姉は明らかになっていったのだ。
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