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第39話 骨折

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 この頃より姉の病状はゆっくりと悪化していった。今年に入ってからは十代に常用していたロフストランドクラッチが欠かせなくなっていた。
 もともと事務系の業務をしていた姉は、座り仕事をする上で特に支障はなかったが、特に    移動には苦労した。通退勤、この季節濡れたバスの床とロフストランドクラッチのラバーの先端の相性は姉にとってあまりにも危険すぎた。僕が社会福祉協議会に掛け合った結果、行き帰りの見守りボランティアがついてくれるようになったので僕はひとまず胸をなで下ろした。

 その二日後だった。

 夜の十一時二十一分。僕は時間も忘れて論文を書くのに夢中になっていた。

 傍らのスマートフォンが鳴動する。姉からだった。

 僕は小さな舌打ちをした。寂しがった姉が呼び出してきたんだな。僕は無視しようかと思ったが少し溜息をついてスマホを取る。今夜はもう論文は無理だな。

「はい」

 少し不機嫌な声で出る。

「…………いっ」

「えっ、なに?」

「いっ…………い」

「だから何?」

「いたぃぃ……」

 ここにきてようやく僕は異常事態が起きていることに気付いた。

「どこ! どこが痛いんだ姉さんっ!」

「足ぃ…… ぃたいよぉ……」

「どうしていたいの? なんで痛くなったの?」

「転……んだ、多分、骨……折っ、あたたたたた」

「判った! 今救急車呼ぶから! 僕もそっち行くから待ってて! 頑張って! 頑張ってね姉さん! すぐ僕行くからね!」

「うん…… 姉ちゃん頑張るよ。痛いいい、痛いよおおおぅ…… はっはっ早く来て優斗お」

 僕は消防署へ姉のマンションに向かうよう救急搬送要請をした。だが姉はおそらく歩行できない。つまり部屋の鍵を開けられない。だからこういう時のためにスペアキーを持っている僕も急いで姉の部屋に行く必要があった。
 僕が急いで車でたどり着いた時には救急は既に到着していて僕待ちの状態だった。姉の部屋の鍵を開けて救急隊員と僕とで室内に入る。

「姉さん。姉さんっ」

キッチンの方から声がする。

「こ、こっち、だよ……」

 僕たちはキッチンに倒れている姉を発見した。

「一体どうしたんだ?」

「どうしたもこうしたもないって。床が濡れてたみたいで杖がつるっと滑って…… 冷蔵庫に脚を思いっ切りぶつけて…… 折れちゃったみたい。あーっ痛いよおう……」

 僕は救急隊員の方を向いた。

「だそうです、電話でもかなり痛がっていたので骨折の可能性はあると思います。それと、持病がありますので搬送先は附属病院へお願いします」

「判りました」

 救急隊員は短く応えると姉を担架に乗せ、マンションから下ろしストレッチャーに乗せて救急車内へ運び込む。その間電話で病院とやり取りをしていたのだろう、十分くらいの間があって救急車はサイレンを鳴らして姉を病院へ搬送する。僕はその後を車で追った。
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