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第46話 婚約者

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 気になった僕は昼の合間を縫って姉の病室に行った。そこには見知らぬ男が立っていた。見事な丸顔で冴えない面差し、堕ち窪んだ小さな眼、素朴で朴訥、気弱で意志薄弱に見え、実直なだけが取り柄のような印象の男だった。姉に似つかわしい男とはまるで思えなかった。
 姉が僕に気付いた。だがすぐ僕と視線を逸らし窓の外の何もないどこか遠いところを見つめる。いつもの様な明るさはなくなんだか刺々しさすらあった。

「あ、ゆーくん。こちら樋口将司。姉ちゃんのフィアンセ」

 フィアンセという言葉に僕は一瞬で爆発しそうになったが、奇跡的に堪えることが出来た。樋口将司と呼ばれた丸顔の男は照れ臭そうに俯いて笑った。やはり彼も僕に目を合わそうとはしない。

「こちら優斗。あたしの愚弟」

 姉がそう僕を紹介すると。樋口さんは初めて僕に向き合って顔を合わせお辞儀する。

「初めまして。樋口将司と申します。お話はかねがね」

「初めまして」

 お話はかねがね? 一体どんな話をしていたんだ? 二人で僕を笑いものにでもしていたのか。いい歳をしてシスコンの壁を越えた想いを姉に抱くいかれた弟として。
 僕はまた一気に不機嫌になった。大体なんだこの冴えない男は。僕の方が遥かに顔もスタイルもいい。身長だって百八十一センチある僕に比べて彼は百七十そここそこじゃないか。それになんだあの佇まい。まるで従僕か召使じゃないか。僕の中で不満とさえ言えない不平がむくむくと湧き上がっていく。

「すぐにでも父さん母さんに伝えて、結婚式の日取りを決めなきゃね」

「そうですね」

 僕はまず樋口さんが敬語を使ったのに驚いた。次に、まだまだ入院中の身で結婚式の日取りを考える拙速さにも驚いた。

「待て待て待て待て、姉さん急ぎすぎじゃないのか」

「あんたにはかんけーないから」

 イラついた態度で姉が返してくる。

「退院までには今週いっぱいかかる。それからだって遅くはないだろう」

「いや、兵は拙速を聞く。とっとと手を付けた方がいいね」

「一体何をそんなに慌ててるんだ」

「別に慌ててはいないよ」

 樋口さんがはらはらした顔でおろおろしながら僕たち姉弟の言い合いを見ている。僕は苛立ちに満ちた声と表情で、姉も視線を逸らし不貞腐れた様な顔で刺々しい言葉を発する。更に姉は今日実家にこの男を連れて行くと言い出した。

「退院してからでも遅くない。今行ってどうする」

「外出許可取ったから。うちにも電話した。会わせたい人がいるからって」

「は?」
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