66 / 85
第66話 初間接キス
しおりを挟む
姉はシェイクを飲みながらまた屈託のない笑顔で言う。僕はこの笑顔に特に弱い。が、姉の際限ない要望に僕は少し、いやかなり呆れた。
「どこ」
僕はうんざりしながら返答する
「柿の木と、ザリガニ釣り」
「はああああ」
僕は呆れ果てた。僕の生涯でも特大級の溜息が出る。
「姉さん少しは自覚して。今、あなたは、病人で、身体の自由が利かなくて、移動には誰かの補助をお願いしなくてはいけない立場、なんですっ」
「だめかな」
不安そうな表情になる姉。
「だめだね」
「そんなこと言わないで……」
「何を言われようとだめなものはだ――」
だが、僕は思った。そこまでの距離を出かけられるのは今をおいてほかはないだろう。これから短期間で姉が持ち直す確率はごく低い。例え持ち直せたとしても、当面は体力の低下は防ぎようがない。そしてこれはかなりの高確率な話になるが、このまま姉の病状が改善しないのなら、今が遠出をする生涯最後の機会になる。そして最終的に…… 僕は頭を振って不吉な予想を振り払った。
「わかった。だけど約束はできない。いいね」
思わず出た僕の厳しい声に姉も少し大人しくなったようだ。
「ん。判った……」
僕はトイレにいく。トイレの個室でずっと考えていた。姉の病状はゆっくりとだが悪化の一途を辿っている。ここでもう一度冷静になって考えてみよう。このままの状況では医学的に考察してどう頑張っても五年は持つまい。ならばそれまでの間、つまり……姉が息絶えるまでの間、少しでもいい思い出を作ってあげるのも僕の仕事なのかもしれない。
死ぬ、姉が……死ぬ。医学上避けられない出来事だが僕の心はまだそれを受け入れることはできない。憂うつ感に苛まれながらトイレを出、自分の席に座ってコーヒーを一口飲もうとする。僕の向かい側にいる姉は何かを期待する眼でキラキラ輝いている。
手に取った重さに違和感があった。カップから透けて見える内容物がアイスコーヒーとは思えないほど白い。ほぼ真っ白だ。一方で姉の手にしているカップの中身は黒っぽく、いかにもアイスコーヒーといった様子だ。
僕はうんざりしたため息を吐いて僕と姉のカップを取り換えた。
「やっぱ判った?」
「あたりまえだ。子供みたいなことをして」
ニヤニヤ笑いが止まらない姉。僕はむっとした顔でコーヒーのストローに口をつけて一気に飲む。その瞬間に僕は気付いた。このストローに既に姉が口を付けていたのだとしたら。僕は激しくむせてしまった。姉はにこにこしながらそんな僕を眺めている。
「気付くの遅かったね」
策士め。
初めての間接キスでいつも以上にうきうきした表情の姉を連れて僕は病院へ帰投した。介護士に任せるのも気が引けるし僕の方がうまくできるので、僕が姉を寝かせる。その間ずっと姉は満足げな微笑みを浮かべていた。
柿の木とザリガニ釣りだが、いずれも近い距離にあるため移動には時間がかからない。柿の木もザリガニ釣りも僕らにとっては思い出深い場所だ。出来る事なら行かせてあげたい。それはきっと病と闘う姉にとっても大きな励みになるだろう。僕の説明に教授たちは難色を示していたものの、最後は僕の上申を受け入れてくれた。
本当はこういうことはあまりしたくはなかったのだが、上と掛け合いタイトなシフトをやりくりしてもらって、研修医と新人看護師を一名ずつ一日だけ確保した。決行日はちょうど夏休みに当たる時期で、姉と僕がザリガニ釣りに行った時期とも重なる。
全てしっかり押さえた上で、僕がザリガニ釣りと柿の木行きの件について姉に伝えると姉はベッドから飛びあがらんばかりにして喜んだ。これをきっかけに姉が元気を取り戻せればいいと僕は祈った。
「どこ」
僕はうんざりしながら返答する
「柿の木と、ザリガニ釣り」
「はああああ」
僕は呆れ果てた。僕の生涯でも特大級の溜息が出る。
「姉さん少しは自覚して。今、あなたは、病人で、身体の自由が利かなくて、移動には誰かの補助をお願いしなくてはいけない立場、なんですっ」
「だめかな」
不安そうな表情になる姉。
「だめだね」
「そんなこと言わないで……」
「何を言われようとだめなものはだ――」
だが、僕は思った。そこまでの距離を出かけられるのは今をおいてほかはないだろう。これから短期間で姉が持ち直す確率はごく低い。例え持ち直せたとしても、当面は体力の低下は防ぎようがない。そしてこれはかなりの高確率な話になるが、このまま姉の病状が改善しないのなら、今が遠出をする生涯最後の機会になる。そして最終的に…… 僕は頭を振って不吉な予想を振り払った。
「わかった。だけど約束はできない。いいね」
思わず出た僕の厳しい声に姉も少し大人しくなったようだ。
「ん。判った……」
僕はトイレにいく。トイレの個室でずっと考えていた。姉の病状はゆっくりとだが悪化の一途を辿っている。ここでもう一度冷静になって考えてみよう。このままの状況では医学的に考察してどう頑張っても五年は持つまい。ならばそれまでの間、つまり……姉が息絶えるまでの間、少しでもいい思い出を作ってあげるのも僕の仕事なのかもしれない。
死ぬ、姉が……死ぬ。医学上避けられない出来事だが僕の心はまだそれを受け入れることはできない。憂うつ感に苛まれながらトイレを出、自分の席に座ってコーヒーを一口飲もうとする。僕の向かい側にいる姉は何かを期待する眼でキラキラ輝いている。
手に取った重さに違和感があった。カップから透けて見える内容物がアイスコーヒーとは思えないほど白い。ほぼ真っ白だ。一方で姉の手にしているカップの中身は黒っぽく、いかにもアイスコーヒーといった様子だ。
僕はうんざりしたため息を吐いて僕と姉のカップを取り換えた。
「やっぱ判った?」
「あたりまえだ。子供みたいなことをして」
ニヤニヤ笑いが止まらない姉。僕はむっとした顔でコーヒーのストローに口をつけて一気に飲む。その瞬間に僕は気付いた。このストローに既に姉が口を付けていたのだとしたら。僕は激しくむせてしまった。姉はにこにこしながらそんな僕を眺めている。
「気付くの遅かったね」
策士め。
初めての間接キスでいつも以上にうきうきした表情の姉を連れて僕は病院へ帰投した。介護士に任せるのも気が引けるし僕の方がうまくできるので、僕が姉を寝かせる。その間ずっと姉は満足げな微笑みを浮かべていた。
柿の木とザリガニ釣りだが、いずれも近い距離にあるため移動には時間がかからない。柿の木もザリガニ釣りも僕らにとっては思い出深い場所だ。出来る事なら行かせてあげたい。それはきっと病と闘う姉にとっても大きな励みになるだろう。僕の説明に教授たちは難色を示していたものの、最後は僕の上申を受け入れてくれた。
本当はこういうことはあまりしたくはなかったのだが、上と掛け合いタイトなシフトをやりくりしてもらって、研修医と新人看護師を一名ずつ一日だけ確保した。決行日はちょうど夏休みに当たる時期で、姉と僕がザリガニ釣りに行った時期とも重なる。
全てしっかり押さえた上で、僕がザリガニ釣りと柿の木行きの件について姉に伝えると姉はベッドから飛びあがらんばかりにして喜んだ。これをきっかけに姉が元気を取り戻せればいいと僕は祈った。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
0
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる