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第76話 死とは

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 しばらく沈黙が流れる。僕がさっきの発言を取り消そうかと思ったところで彩寧が口を開いた。

「それは医学的な死についての話じゃないんでしょ」

「ああ、そう、そうだな。ごめん変なことを訊いた」

「私のとこはゆーちゃんのとこと比べたら死はちょっと縁遠い世界なのよね。でももちろんあるわよ。死は」

「そうだよな」

「それに医学的な死以外で人の死を定義するとなると、それは宗教や他の人文カテゴリーの仕事でしょ? 多分」

 彩寧はしばらく考え込んだ末に、さっきより少し真面目な顔になって僕に問いかける。

「ゆーちゃんは魂ってあると思う?」

「あ、うん、いいや…… ない、と言いたいところなんだが最近ちょっと怪しい」

「ふむ…… きっとお姉さんの影響ね。シェリー・ケーガンの『『死』とは何か』読んだことない?」

「ああ、名前くらいは聞いたことあるけど」

「多分うちにあったと思う。今度持って来るね。もしかしたら何かの役に立つんじゃないかな」

「判った。ありがとう」

「じゃ、来週の水曜でどう?」

「ああいいよ」

 彩寧に訪問の口実を作らせてしまったな。

「よかった」

 このあと僕たちはぽつりぽつりと言葉を交わし、彩寧は帰宅した。約一時間ばかりの訪問だった。

 彩寧の強引なところは少し姉に似ている。そう思うとため息と苦笑が同時に出る。そしてまたひどい喪失感に襲われ何もかも投げ出してしまいたくなるのだった。
 その翌日。彩寧のこない日、僕は一人姉を偲んでカレイの唐揚げを作った。油の温度がいけなかったのか、ギトギトでふにゃふにゃになってしまった。今までこんな失敗はなかった。一皿を、サイドボードに置いた小さな姉の写真の前に供え、残りの一皿を一人黙々と食べる。惨めな気分だった。何のモチベーションも湧き上がってこない。姉が死んで以来僕は時々このような抜け殻みたいな状態になる。
 姉の復讐をこの胸に誓い、せっかくこの病を地上から駆逐しようと新たな決意を得たのに、これでは腰砕けだ。僕は少し焦っていた。しかしいくら焦っても僕の虚ろな感情は動く気配がなかった。
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