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恐怖
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しおりを挟む「お父さんだって私の事なんて捜さない!」
そう叫ぶ彼女は、昔の俺によく似ていた気がした。
そして俺は父親に対する拭い難い不信感を持っていた。
だからこの時の俺の返答は、必然と言えば必然のものだった。
「……分かった、流奈。七夕祭り、行こう」
「え?」
彼女は俺の応答に自身の発言との繋がりを見出せなかったのか、きょとんとした。
「どうせひとりで帰れない状況なんだし。親御さんが捜そうとしてないならーーその間楽しまなきゃ損だろ?」
彼女は俺がそう言うのが意外だったのか、毒気が抜けたような顔で「う、うん」と呟いた。
取り敢えず落ち着いたようで安心する。
そんな彼女の雰囲気を感じ取りながら、俺はぼんやりと、再び昔を思い出す。
父さんが会社をクビになっても、俺は誰にも気付かれないように、表面上は普段通りに過ごしていた。しかし長い付き合いのためか、彼女は俺の異変にいち早く気が付いた。
「なにかあったの?」
「いや、別に」
それから何度かこのやり取りはなされた。
元々一人で本を読むのが好きだったという事も多分にあったと思うがーー次第に俺は、流奈以外のクラスメイトとは関わらないようになっていった。
しかしそれでも、俺は家庭で受けた傷を彼女との日常で癒しながら、なんとか決定的なところまでは堕ちずに、彼女に対する外面上の「笹原優希」という存在を保っていた。
父さんが俺と母さんを決定的に裏切る、あの日が来るまでは。
次の日、休まずになんとか学校に来た俺に、彼女は放課後、いつもの神社で
「もういい加減私には取り繕わないで!朝から目だって合わせないし……いったい何があったの⁉︎」
泣きながら問い詰めてーー踏み込んできた。
彼女には、家庭でのことで傷つく俺を知られたくなかった。
いつもの「笹原優希」で在りたかったーーいや、厳密に言えばそうではない。ただ俺は、彼女に笑顔でいて欲しかった。父さんの話をすると、彼女の笑顔に暗い影を落すことは分かり切っていた。
あの時の母さんの顔を見てから、俺はもう人の顔を容易に見る事は出来なくなっていた。
とはいえ、元々話すときに人の顔を見る方ではなかったし、話し相手の気分を推し量るのに(自分で言うのはどうかとは思うが)、俺は長けていた。だから顔を見られなくなっても文脈や口調、間、場の空気などで話し相手がどういう気分なのかは理解ったし、ましてや意思を伝えあうというコミュニケーション本来の目的を達成する上では何の問題もなかった。
けど、本来の目的ではないところでは問題があった。
俺は、彼女の笑顔を見る事が出来なくなっていた。
大切な話をする際には自分でも発言には気を付けるので腹を決めて彼女の顔を見る事は出来ると思う。しかし、普段――日常会話などでは自分の何気ない発言や行動で彼女を傷付けるかもしれない。
だからその日から、俺は彼女の笑顔を見る事が出来なくなっていた。
けど。
それでも。
俺は、俺の記憶の中でだけは彼女に笑顔でいて欲しかった。
彼女の悲しい顔だったり、暗い表情でその記憶が上塗りされるのが嫌だった。
だから俺は苦しそうに泣きながら寄りかかる彼女に、そっぽを向きながら「何でもない、何でもないから」とずっと言い続けた。
昔を思い出して、俺は内心、自分の臆病を責めてーー諦めていた。
彼女はあの時踏み込んでくれた。
でも俺にはそんな勇気はないーー大切な人の大切な時に踏み込む勇気が。
踏み込んで彼女が傷つくのが怖い。
自分が彼女を傷つけるのが怖い。
ーーどうしようもない自己愛故に、俺は彼女に踏み込めない。
俺は彼女に「現実から目を背け、七夕祭りを楽しむ」というぬるま湯を与えただけで、肝心の、「何故そこまで家に帰りたくないのか」ーー「彼女にいったい何があったのか」を訊く事が出来なかった。
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