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 手の届く距離

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 池崎にそんな事を言われて、俺は驚きはしなかったーーと言えば嘘になるが、内心、やっぱりか、と思っている自分もいた。
 やっぱり、流奈と久しぶりに再会して、いろいろと楽しんでーー
 こんな楽しい時間を過ごした後に。
 ーー悪い事が起きない訳がない。
 彼から話を聞いてふに落ちた事もいくつかある。
 まず、今朝のニュースーーキャスターは確か『×県では死者1名、意識不明の重態が1名、軽傷者が4名出た』と言っていた。あの×県の意識不明の重態者は流奈の事だったのだ。彼は彼女の名前が出ていたと言っていたが、俺がそのニュースを見たのは朝で、彼は昼にニュースを見たーー時間による情報の開示の差があったのだろう。
 次に、彼女の両親から留守電の折り返しがなかった事ーーいくら彼女たちの仲が悪くとも実の娘が行方不明になったら、彼女に何かがあったと考えるのが普通だろう。ご両親は、例えば、彼女が家出したと考えるかもしれない。ならば、置き手紙はないか、彼女からLINEは来てないか、やっぱり迎えに来てくれ、と直接は言い辛いから留守電を入れているかも、とかいろいろと考えるだろう。だが、実際にはご両親からアクションはなかった。彼女が昨夜の台風で事故に遭い、病院にいるのならそれも納得だ。意識不明になった彼女がICUにいるのかベッドで安静にしているのかは分からないが、ご両親はその病院で彼女が目を覚すのを待っているのだろう。
 最後に、彼が彼女を見たときの驚きの表情ーーあれはより正確に表現すると、そう。
 『死者にでも会ったような顔』だったのだ。
 だから俺が驚いた事といえば、現時点で彼女は2人存在していることと、そんな彼女の片方が何故か俺の前に姿を現したことに尽きる。
 いったい、彼女の身に何が起こっているというのだろう。
 今、彼女が突然俺の前から走り去った理由は何なのだろう。
 そしてそんな中で、彼はそんな事を俺に知らせてどうしろと言うのだろうーー俺なんかに彼女を助ける策がある筈もないのに。
「追いかけろ!」
「え?」
「『え?』じゃねえ、追いかけろっつってんだよ!」
「でもーー」
 俺が追いかけて何になるというのだろう。それで彼女が1人に戻って、意識不明から回復するーーましてや命が助かる、という訳でもないのに。
 彼女を助ける具体的な策もないのに、考えなしに動くのはどうだろう。
「『でも』じゃねえ!本当に大切な人が見るからに大変そうな時、手の届く距離にいねえと助けられるもんも助けられねえだろ!ーーていうか、女の子が泣いてんだ、男なら黙って追いかけろ!」
 『男なら』って。
 発想が前時代的過ぎる。
 ーーだけど。
 彼がその前に言った、俺が彼女を追いかけないといけない理由に、俺はハッとさせられた。
 昨夜彼女が泣いた時、俺は側にいる事しか出来ない。彼女には何もしてやれないーー踏み込めないと歯噛みしていた。その想いは今も変わらない。けど、何かしようにもそもそも側にいてやらないとーー手の届く距離にいないと、伸ばせるかもしれない手も届かない。
 今から彼女のところに行っても俺に出来る事はないかもしれない。けど、もし万が一にも助けられる策が後で見つかったなら、その時には彼女に手が伸ばせる距離にいた方が断然いい筈だ。
 ここにいても、俺の手は彼女に届かない。
「分かった」
 俺は腹を決めて、彼女の跡を追い始めた。
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